第32話 それは見てみたいです

目の前に鎮座するふわふわとしたパンケーキに、陽奈の瞳が輝きを帯びた。陽奈たちがいるのは、先ほどまで遊んでいたゲームセンターから徒歩五分ほどのところにある人気のカフェ。


お店のイチオシメニューこそ、陽奈が目を輝かせているふわふわ食感のパンケーキだ。


ナイフとフォークを手にした陽奈が、ゴクリと喉を鳴らす。幸せな気持ちにさせてくれる甘い香りに、思わず陽奈は目を閉じて大きく息を吸った。


「おお。陽奈が感動してる。ここのパンケーキめっちゃ美味しいから、早く食べて食べて」


「そ、それでは……」


やや緊張した面持ちでパンケーキへナイフを入れる。こんがりと焼けたパンケーキにスッとナイフの刃が入り、手にはしっとりとした触感が伝わってきた。


「いただきます……──!?」


フォークを口へ運んだ瞬間、陽奈の目が大きく見開かれた。よほど美味しかったのか、フォークを持つ手がふるふると震えている。


「美味しいでしょ?」


樹里の問いに陽奈がコクコクと頷く。満足そうな陽奈を見て、咲良や葉月たちも「いただきまーす!」とパンケーキにがっついた。


「んーー! ヤバ……とろける〜」


「分かるわ〜」


顔をとろけさせる葉月と晶に、咲良が口元をニヤリと歪める。


「またデブになんぞ」


「ならんし!」


「辛辣すぎて草生えるわ」


不毛なやり取りをする三人を傍目に、陽奈はハムハムとパンケーキを食べすすめてゆく。よほど気に入ったようだ。そんな陽奈の様子を、隣に座る樹里が微笑ましそうに見つめる。


「……樹里。見てないで食べてください」


「あはは。陽奈が美味しそうに食べてるからつい」


陽奈に促された樹里がパンケーキを口に運び「んー!」と歓喜の声を漏らす。


「やっぱりパンケーキいいわぁ〜」


「だな。文化祭のメニューに加えてみるか? こんなしっとりふわふわなやつは無理だけど」


咲良の言葉に首を傾げた陽奈が樹里へ顔を向ける。


「樹里、文化祭って?」


「ん? ああ、学校でやるお祭りみたいなもの……かな? 各クラスがいろんな出し物するんだよね」


「学校のお祭り、ですか。樹里のクラスは何をやるんですか?」


ピクッ、と肩を跳ねさせた樹里の目が泳ぐ。怪しい態度に陽奈が怪訝な目を向けた。


「ええと……うちのクラスは……カフェ?」


「何で疑問系なんですか」


あからさまに怪しい。言いたくない事情があるのだろうか。


「うちのクラスはメイドカフェだよ、陽奈ちゃん」


見かねた咲良が、苦笑いしながら口を開く。


「メイドカフェ……というと、メイドに扮した女性が給仕をするあれですか?」


「そうそう」


「ということは、樹里や咲良さんたちがメイド姿に?」


「うん。面白そうでしょ?」


頷いた陽奈がちらりと隣に座る樹里を見やる。何となく樹里の頰が赤い。


「樹里、なぜ言いにくそうにしてたんですか?」


「いや……ちょっと恥ずかしくて……陽奈も誘うつもりだったし……」


珍しくもじもじする樹里を、陽奈はかわいいと思ってしまった。むくむくと膨らむいたずら心。


「私にメイド姿を見られるのが恥ずかしいんですか?」


「……ちょっと」


「かわいいですね」


「んなっ……!?」


弾けるように陽奈へ向き直り、口をパクパクとさせる樹里。一方、咲良と葉月、晶は「またイチャつき始めた」とニヤニヤしながらその様子を眺めていた。


「ふふ。樹里のメイド姿、めっちゃかわいいよ陽奈ちゃん。ぜひ遊びにおいでね」


「はい。樹里のメイド姿……見たいです」


「うう……まあ当日になったらどうせバレるし、まあいいや……」


諦めたように息を吐いた樹里は、落ち着こうとドリンクをゴクゴクと喉へ流し込んだ。


「クラスの女子で交代しながらやるから、私のシフト終わったら一緒に文化祭周ろう、陽奈」


「はい。楽しみです」


新たな楽しみができたことを内心喜びつつ、陽奈は残りのパンケーキに手をつけた。



──小さいころからかわいいものやキラキラしたもの、キレイなものが大好きだった。


だから、初めてその子を見たときは衝撃だった。同じ年齢とは思えない完成された顔の造形、凛とした雰囲気。それはまるで、おとぎの世界から抜け出してきたお人形さんのようだった。


以前から噂は聞いていた。アメリカからの帰国子女で、生まれついての天才らしい。アメリカでは小一のときに高校へ飛び級したんだとか。何だそれ。


その影響なのか、神木陽奈が編入してきて以来、先生たちはやたらと緊張した面持ちで授業に取り組むようになった。へたな授業をしてツッコまれたくないと考えたのだろう。


ただ、なかには「子どもに負けてなるか」と無意味な敵対心を燃やし、何とかマウントを取ろうとする先生もいた。


が、そのような先生は例外なく神木からのとんでもない逆襲に遭った。圧倒的な知識量の前になすすべなく論破され、かえって生徒たちの前で恥をかくことになった。


お人形さんのようにかわいくてしかも頭までいい。「天は二物を与えず」なんてことわざは嘘っぱちだと子ども心に思った。


私は何としても神木に近づきたかった。できることなら友達に、とも考えた。


「ねえ、神木さん。あなたを私たちの派閥に入れてあげる。喜びなさいな」


ああ。私はどうしてこんな言い方しかできないのだろうか。両隣に立っていた由美と桃香も呆れた顔をしていた気がする。


「……興味ありません。お断りします」


おそらく、やり取りを見ていた誰もが「そりゃそうでしょうね」と思ったに違いない。


せめてあのとき「なーんてね。冗談冗談。よかったら私たちとお友達になってくれない?」とでもフォローできれば状況は変わったんだろうか。


でも、それはできない。だって私だから。心で思ってることと行動が真逆になってしまうひねくれ者。それが私だ。


でもでも。あのとき、せめてあのときだけでも勇気を出して素直になれていたら。こんな思いをすることはなかったんだろうか。



「……ん」


無機質な電子音が遠くで聞こえ、白鳥沙羅はベッドに寝転んだまま枕元を手でまさぐった。何とか掴んだスマホの画面に、寝ぼけ眼を向ける。


「……しまった。ちょっとだけ昼寝するつもりだったのに」


半身を起こしてベッドへ腰かけた沙羅は、軽く伸びをすると再びスマホを手に取った。


LIMEは……来てない。由美たちはまだ遊んでるのかな。私も行くはずだったのに……ほんっとママのせいで予定が台無しよ。


目を伏せて小さく息を吐いた沙羅は、先日の出来事をぼんやりと思い返した。生理痛の酷さを見抜きそっと鎮痛剤を差し出した神木。


極力、人との関わりを避けている神木が、どうしてあのときに限ってあのような行動をとったのだろうか。


ちらりと動かした視線の先に、フローリングの上で開いたままになっている雑誌が映り込む。神木の特集が組まれていた『Cuteeeen』だ。


ベッドから降りた沙羅は雑誌を手に取ると、再びベッドへ腰をおろした。


誌面を飾る見慣れたクラスメイトの顔。いつもと同じ無表情で無愛想な、でもキレイなお人形さんのような顔。


その頰を、かすかに震える指先でそっと撫でた。指先に伝わったのは、無機質で冷たい紙の質感だけだった。



──接客は別に嫌いじゃない。いろいろな人と出会えるしコミュニケーションもとれる。


が、ときにはろくでもない客に遭遇することがあるのも事実だ。


バイト先のスーパーから徒歩で帰宅していた綾辻桐絵は、仕事中の出来事を思い出して顔を顰めた。


はぁ……仕事中にナンパしてくる男って頭のなかどうなってるんだろうか。こっちの迷惑とか考えないのかな。


いくらイケメンだとしても、仕事中にデートへ誘われて快諾する人はいないでしょうよ。好意を抱く相手に配慮もできない男なんて願い下げだ。


「ただいま」


玄関の引き戸を開けると、何やら甘い香りが漂ってきた。おそらく、妹の瑠衣がスイーツでも作ったのだろう。


居間に誰もいないのを確認し二階へあがる。妹の部屋をノックすると「はーい」とかわいらしい声が返ってきた。


「瑠衣、ただいま」


部屋へ入ると、学習机の前に座っていた妹がこちらを振り返りにこりと笑みを浮かべた。


「お姉ちゃんおかえり!」


「おばあちゃんは?」


「近所のお友達のところに行ってるよー」


「そっか。台所で何か作ったの?」


「うん。ホットケーキ。お姉ちゃんのもラップして置いてあるからあとで食べてね」


「ありがと」


妹の優しさに触れたことで、仕事中に感じたストレスが緩和されていくのを桐絵は感じた。


「何してるの? 宿題?」


「んーん。キューティーン読んでる」


「ああ。最新号出たんだ。かわいい子いる?」


「んー……なーんかどの子も個性がないとゆーか……似たり寄ったりなんだよねー」


かわいい女の子に目がない瑠衣の評価は厳しめだ。姉の桐絵でさえときにダメ出しを喰らうことがある。


「あ! でも、先々月号かな? めっちゃかわいい子いたよ」


「へー……どんな子?」


「えと……ちょっと待ってね」


本棚の前へ移動した瑠衣が一冊抜き出し、ペラペラとページをめくる。


「あ、いた。この子」


瑠衣が雑誌を開いて桐絵のほうへ向ける。そのページに掲載されている少女の顔を見た瞬間、桐絵は完全に固まってしまった。


「え……この子って……!」


海をバックにしたウッドデッキの上で、尋常ではない存在感を放つ少女。それは、間違いなく先日書店でトラブルになった女の子だった。


え……? キッズモデルだったの? たしかに小学生にしてはとてもキレイな顔をしていたけど……。


「……ねえ、瑠衣。この子って有名なキッズモデルなの?」


瑠衣から手渡されたキューティーンを食い入るように見つめながら口を開く。


「んー、違うと思う。今まで見たことないし、今月号にも出てないし」


桐絵は余計に混乱してしまった。単発の読者モデルってこと? いや、それでいきなり二ページにわたる特集って……。


桐絵はページの下部に記載されているプロフィールへ目を向けた。名前は神木陽奈、小学五年生。とてもシンプルなプロフィールだ。


ん……? ちょっと待って。神木陽奈……? その名前たしかどこかで……。


「あっ!」


いきなり大声を出したことに、瑠衣がビクッと肩を震わせる。


「ど、どうしたのお姉ちゃん?」


「や、ごめん」


そうだ、神木陽奈。たしか以前、テレビでギフテッドの天才児として紹介されてた子だ。


そんな子がどうしてキューティーンに? いや、それよりも、どうしてあのときあんなふうに激怒したのか。


もしかすると……ジュリと何らかの関係があるのかもしれない。ジュリにはいずれきちんとお礼をしなくてはいけないと考えている。


でも、この子にもあのときのことを謝っておきたい。明日香さんなら何か知ってるだろうか。


とりあえず、あとで明日香さんにLIMEで聞いてみよう。瑠衣にキューティーンを返すと、桐絵は妹が焼いてくれたホットケーキを味わうべく階下へ向かった。


瑠衣が焼いたホットケーキはすでに冷めていたため、そのまま電子レンジであたためることに。電子レンジの稼働音を聞きながら、桐絵はスマホでSNSをチェックし始めた。


十代、二十代の男女に人気のSNS、『glamorous』。芸能活動をしている桐絵にとって必須のツールである。


裏垢でログインし、タイムラインへざっと目を通す。こちらのアカウントは、本垢では言えない愚痴などを主にぶちまけている。


以前はジュリへの罵詈雑言も書き込んでいたものの、すでにそれらは削除した。


「……ん?」


フォロワーの一人が投稿している内容が桐絵の目に止まった。アカウント名は『ルシフェル』。何とも厨二ちっくなアカウント名だが、以前から発信している内容に共感できるところもあったためフォローしていた。


『ずっとあのときの過ちが頭をよぎる。己の愚かさを呪い続ける日々。この先も未来永劫にわたり後悔しながら生きていくしかない。それが己の業だ』


チンッ、と電子レンジが温め完了を知らせる音を鳴らすが、桐絵はスマホの画面を見つめたまま動かなかった。


投稿内容を数回読んだ桐絵が、おもむろにコメントを入力し始める。


『過ちは、誰にでもあることだと思います。私も最近、自分の勘違いから家族の恩人に対し理不尽な攻撃をしてしまいました。してしまったことはなかったことにはできません。だから、私は私にできることで、必ずその人に贖罪するつもりです』


コメントを投稿した桐絵が、ふぅ、と小さく息を吐く。そう。過去を悔やんでも仕方がない。やるべきことをやるだけだ。


椅子から立ち上がった桐絵が、電子レンジからホットケーキをのせた皿を取り出しテーブルへ置く。加熱時間が短すぎたのか、表面以外は冷めたままだったが、桐絵は気にすることなく冷めたホットケーキを口へ運び続けた。

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