第28話 怒りのランドセルアタック
いまだ夏休み気分が抜けないのか、帰りの会が終わったあとも教室内では生徒たちが夏休みの思い出話に華を咲かせていた。
「お祭り最高に楽しかったよね! 花火もめちゃよかったしさー。それに推しにも会えたし!」
一際大きく甲高い声が教室に響く。キラキラ女子代表、クラスの女王様、ギャル予備軍、運動神経に才能を極振りした女など、いくつもの二つ名をもつ白鳥沙羅だ。
ランドセルを背負った陽奈は、沙羅の声を右から左へ受け流し席から離れてゆく。
「いやー、やっぱりお祭りとかってさ、友達とわいわい楽しむからいいんだよね。友達いない奴ってほんとかわいそー」
明らかに挑発されていると陽奈は気づいているが、相手にせずスタスタと教室から出ていった。その様子をちらちらと見ていた沙羅の顔が苦々しく歪む。
「何なのよあいつほんと……! 反応しなさいよね……!」
取り巻きの由美と桃香が「はぁ」とため息をつく。やってること、好きな女の子の気を引きたい意地悪な男子と同じですけど? と言ってやりたい衝動が襲ってくる。
陽奈からまったく相手にされないことに、やや同情もせざるをえない由美と桃香であった。
──お、あったあった。
ジャンク屋書店と書かれた大きな看板を見上げた陽奈は、意気揚々と店内へと足を踏み入れた。
一直線にレジカウンターへと向かい、店員の女性へ声をかける。
「すみません。雑誌の予約したいんですけど」
「はい、かしこまりました。商品名を教えていただけますか?」
「今月二十日に発売される『
「Lady annですね。少々お待ちください」
店員の女性がパソコンの前に座り、キーボードを叩き始める。
「お待たせしました。こちら予約票になりますので、商品引き取りの際にお持ちくださいね」
「わかりました。支払いはそのときでいいんですか?」
「はい、結構です」
無事に予約を完了させた陽奈は、カウンターを離れて店内をぐるりと見渡した。
んー……せっかく来たしいろいろ見てみようかな。小説と実用書コーナーはよく見るから……よし。
背の高い本棚がいくつも立ち並ぶ店内の通路を進みながら、左右へ視線を巡らせる。ここは……鉄道、こっちは自動車関連、こっちは……語学。
あ。あった。
しばらく進み『美容・ファッション』のプレートが掲げられたコーナーへと足を踏み入れる。
おお。ファッション関連の雑誌ってこんなにあるのか。華やかな色遣い、キラキラとした鮮やかなデザインを表紙に施した雑誌がこれでもかと並べられている。
媒体ごとに積みあげられた雑誌の山から、陽奈はLady annを手に取った。表紙には、テレビのバラエティー番組でも目にする人気女性タレントが起用されていた。
樹里、この雑誌の表紙を飾るんだよね? 凄い。いったいどんな服で掲載されるんだろう。
陽奈はペラペラとページをめくった。掲載されているのはプロのモデルやタレントというだけあり、さすがにビジュアルのレベルは高い。
でも……樹里も絶対に負けていない。この人よりも、この人よりも、この人よりも樹里のほうがキレイだ。確認するように陽奈は次々とページをめくってゆく。と、そのとき──
「あ、ジュリじゃん」
少し離れたところで声があがり、陽奈は思わずそちらへ視線を向けた。視線の先では制服姿の女子高生二人が雑誌を立ち読みしている。
上下ともに白を基調とした個性的な制服。白いプリーツスカートの裾から五センチほどの高さに黒い一本ラインが入っている。
あれってたしか、堀口学園の制服だよね。たしか芸能コースがあるとかいう学校。以前、クラスの女子が「堀口学園の制服かわいいよねー」と会話していたのを陽奈は思い出した。
「最近ジュリよく見るねー。人気あるんだねー」
ショートカットの女子高生が感心するように言葉を紡ぐ。樹里が褒められていることに陽奈も気をよくした。が──
「……どうせコネか何かでしょ。じゃないといきなりこんなに露出増えるはずないわ」
黒い髪をツインテールにした女子高生が不機嫌そうな声色で吐き捨てる。
「ああ〜、桐絵ってジュリのこと嫌いだったっけ?」
「……嫌いよ。汚いことして仕事とって……私は必死に頑張ってるのに……!」
桐絵と呼ばれた女子高生の言葉には、樹里に対する敵意が明確に込められていた。
「汚いことって?」
「Lady annの編集長に体でも売ったんでしょ、どうせ。ほら、男が好きそうな体してるじゃないこの女」
蔑むような目を誌面の樹里へ向けながら桐絵が嘲り笑う。
「いやいや……さすがにそれは言いすぎでしょ」
「本当のこと言って何が悪いのよ。ほんとに、こんな淫乱ブスを使う編集部の気が知れ──痛っ!!?」
気がついたときには体が勝手に動いていた。頭のなかで何かが爆ぜた音が聞こえ、陽奈は背負っていたランドセルをおろすと、思いきり振りかぶって桐絵の後頭部へ叩きつけた。
「ちょっと……何するのよ!」
いきなり襲撃を受けた桐絵は、戸惑いながらも目の前の小学生を睨みつけた。
「……訂正してください」
「はあ?」
「さっき言ったこと訂正してください! 訂正して!」
叫ぶや否や、陽奈が再びランドセルを振り回し、今度は下腹部に直撃した。
「い、痛い! ちょっと、何なのよ! やめなさい!」
同年代や年上なら力づくで止めることもできるが、相手は小学生である。怒り心頭の桐絵だったが、さすがに小学生へ腕力を使うのは躊躇わざるをえなかった。
そうこうしているあいだに、騒ぎを聞きつけた店員が駆けつけ興奮冷めやらぬ陽奈を桐絵から引き剥がした。それでもまだ陽奈が暴れそうな気配だったため、店長が警察へ連絡したのである
──事件の真相を話した陽奈は、再びふいっと明後日のほうを向いてしまった。
「陽奈……それじゃ、私のことバカにされたから怒って……?」
「まあ……正直あまり覚えていません。気がついたら体が動いていたので」
樹里が顎を少し上げ、目線を上に向け何度か強く瞬きをする。そうしないと、涙がこぼれそうだった。
「ダメ、だよ陽奈……私のことで怒ってくれたのは嬉しいけど……それでも暴力を振るっちゃダメだよ……」
涙がこぼれそうなのを我慢しながら、樹里がやっとの思いで言葉を紡ぐ。
「……暴力を振るったのはまあ……反省してます」
目を伏せてぼそっと呟く陽奈の様子に、警察官二人が顔を見あわせ苦笑いを浮かべた。
「あー……神木さんもしっかり反省しているようですし、もうこのままお帰りいただいて問題ありません。トラブル相手の学生さんも、子ども相手に事を大きくしたくないとのことでしたので」
「あ、ありがとうございます」
樹里がぺこりと頭を下げる。陽奈は無表情のままランドセルを背負うと、警察官へ向かい「お世話になりました」と口にした。
樹里のそばに立った陽奈が顔を見上げる。樹里は陽奈の頭にそっと優しく触れると、手を繋ぎ部屋をあとにした。
「……先輩。児童相談所への情報提供はどうします?」
部屋の扉がバタンと閉まったタイミングで、女性警察官が口を開いた。
「必要ないだろう。初めてのことだし、非行歴も予兆もない」
「まあ、そうですね」
「それに、あの神木陽奈だぞ? 国の宝なんて言われることもある大天才だ。へたなことしたら俺らの首なんかあっさり飛ぶぞ」
「た、たしかに」
「今回のトラブルの原因も、友人を悪く言われたのが理由だ。たしかに暴力はよくないが、心情的には理解できる」
「それもたしかに」
「まあ、何にせよあんないい友人がいるんなら安心さ」
──陽奈の母親、葉子が酷く驚くおそれがあったため、樹里はあらかじめLIMEで説明しておくことにした。
反省しているからあまり怒らないであげてほしい、と伝えたところ、それほど怒ってもいないようだったので樹里は胸を撫でおろした。
「陽奈〜! ご飯よー、降りてきなさーい」
ベッドの上でゴロゴロしていた陽奈が、緩慢な動きで体を起こす。何となく、ダイニングで母と顔をあわせるのが憂鬱だった。
仕事から帰ってきた母はいつもと何ら変わらなかった。それが余計に陽奈の不安を煽った。
スマホを掴みのろのろとした動きで一階へと降り、ダイニングチェアへと腰をおろす。すでに母は自分の席についていた。
「さ、食べましょ」
「ん……」
肉と野菜の炒め物にほうれん草のおひたし、味噌汁。いつもと変わらぬ母の料理が食卓の上に並んでいた。陽奈が両手をきゅっと握る。
「あの……お母さん……」
「んー?」
「……ごめんなさい」
肩をすくめて目を伏せる陽奈に、葉子は優しい目を向けた。
「……樹里ちゃんから話は聞いてるわ。たしかに、どんな理由があろうと暴力はよくない。分かるわね?」
「……うん」
「ならいいのよ。暴力を振るったことは間違いだけど、あなたが樹里ちゃんのために怒って行動を起こしたことは、正しいことだと私は思ってる」
ふふ、と微笑んだ葉子は、透明のティーポットからグラスへ麦茶を注ぐと陽奈へ「はい」と手渡し、真剣な眼差しで娘の目を見た。
「しっかり反省もしてるみたいだし、私は怒ってないわよ。逆に、目の前で大切な友達のことを悪く言われて、あなたが何も行動を起こさないようだったら、そっちのほうが私は怒っていたと思う」
母からの意外な言葉に、陽奈が目をぱちくりとさせる。
「ただ、さっきも言ったようにやり方は考えないとね。聞いたところだと、高校生のお嬢さんの頭だか顔だかにランドセルで殴りかかったんでしょ? 傷でもつけたら大変なことになってたわよ?」
「……うん」
「分かったのならいいの。さあ、冷めないうちに食べましょ。今日はいい豚肉が安かったのよね〜」
母の優しさと寛大さを実感し、陽奈の胸のなかにじんわりとあたたかなものが広がった。
途端に食欲が湧き、いつもより早いペースでパクパクと料理を平らげてゆく。そんな娘の姿に、葉子の口元が思わず綻んだ。
警察からの着信があり、その後樹里から状況を知らせるLIMEが届いたことで、当初葉子はかなり驚いた。
やったことは決して褒められたことではないが、あの陽奈が友達のために感情を露わにして怒り、実力行使までしたとは。
感情を表に出すことがほとんどなく、他人にも興味を示さなかったあの娘が、誰かのために本気で怒ったり泣いたりできるようになったことが、葉子はとても嬉しかった。
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