第23話 ぼったくりじゃないですか

「美味しそーー!」


たこ焼きの屋台で足を止めた葉月が、辛抱たまらんといった様子で財布を取り出そうとする。


先ほどチョコバナナを食べたばかりの樹里だが、ソースと鰹節の芳しい香りを嗅いで空腹感が増すのを感じた。


「うー、私もちょっとお腹空いちゃった。陽奈、一緒にたべない?」


「たこ焼き、ですか」


「うん。食べたことある?」


陽奈が弾かれたようにバッと樹里を見上げ、ジトっとした目を向けた。


「バカにしないでください」


「や、そんなつもりはないんだけど」


「たこ焼きくらい食べたことあります。前にお母さんがどこかで買ってきてくれたんで」


「そ、そう。じゃあ、すみません! たこ焼き一つくださーい!」


壮年の店主が元気な声で「あいよ!」と返事する。


「あたしも食べる!」


と葉月が勢いよく手をあげると、「あたしも」「私も食べよかな」と晶や咲良も小さく手をあげてそれぞれ一つずつ注文した。


樹里が巾着を開こうとしたのと同時に、陽奈が巾着に手を突っ込み財布を取り出した。


「樹里、ここは私が全員分支払います」


「え? いやいや、そんな悪いよ」


「いえ、さっき咲良さんに出していただいていますし」


「でも……」


何となく年下の、しかも小学生の女の子に奢ってもらうというのは気が引ける。たとえ、陽奈がその類まれなる頭脳を活かして樹里たちより稼いでいるとしてもだ。


そんな樹里の思考を読んだのか、陽奈が眉間にややシワを寄せて口を開いた。


「樹里。私は樹里の妹でも後輩でもありません。と……友達なんですから、私が支払ってもいいじゃないですか」


友達、のくだりは少し恥ずかしかったのか、そそくさと陽奈が顔を背ける。あまりの愛らしさに、樹里は人目もはばからずぎゅっと抱きしめたい衝動に駆られた。怒られそうだからもちろんやらないが。


「そっか……うん。じゃあここはごちそうになるね。ありがとう、陽奈」


「……それでいいんです」


クスッと笑みを漏らした樹里が「みんな、ここ陽奈がだしてくれるって」と咲良たちに伝える。全員が先ほどの二人のやり取りを聞いていたので、素直に「ありがとう陽奈ちゃん!」と感謝を口にした。


そうこうしているあいだに、華麗な手さばきでたこ焼きがどんどん焼きあがってゆく。パックに詰められたたこ焼きを全員が受け取り、さっそくその場で頬張り始めた。


「あっつ! でも美味しい!」


何をするにも賑やかな葉月に苦笑いしつつ、樹里たちもできたてあつあつのたこ焼きへ爪楊枝をさした。


「はふはふ……うん、美味しい。タコも大きいね。どう、陽奈?」


「はふ……美味しいです……ただ」


ふーふーして冷ましたたこ焼きをもぐもぐと咀嚼しながら、陽奈はたこ焼きの料金表へと目を向けた。そこには、『たこ焼き 六個入り 六百円』の文字が。


「少し値段は高すぎる気がしますね。たしかお母さんが買ってきてくれたのは三百円くらいだった気が」


「あー……お祭りだからね。イベント価格的な?」


「それにしても、です。原料は小麦粉にキャベツ、タコ、紅しょうが、出汁、鰹節などなど。一人あたりに使う量など諸々踏まえて考えるとおそらく原価率は二十パーセント程度のはず。ここのたこ焼きは六百円なので、単純計算で八十パーセントの四百八十円が利益です」


祭りの雰囲気がそうさせたなどうかは不明だが、つらつらとやたら饒舌に話す陽奈に、全員が目を丸くした。一方、陽奈の話が嫌でも耳に入る店主の顔が次第に赤くなっていく。まるで茹でダコのようだ。


「業態にもよりますが、一般的な飲食店の利益率は五〜十パーセント程度。よくて十五〜二十が目安です。それを踏まえると、ここのたこ焼きがいかに暴利なのかよくわかるかと。まあわかりやすく言えばぼったくりですね」


樹里をはじめとした全員の顔がサーッと青ざめる。葉月と晶は、たこ焼きを口へ運びかけていた手が完全に止まっていた。咲良も「あちゃー」といった様子でこめかみを揉んでいる。


「こ……この小娘……言わせておけばふざけやがって!」


さすがにぼったくりと言われ店主がキレた。顔を真っ赤にしたまま、表へ出てきそうな勢いだ。


「ヤバっ! おい、逃げんぞ!」


「わああ! 待ってー!」


「陽奈、こっち!」


咲良の号令で樹里たちがたこ焼き片手に一斉に走り出す。カッカッと派手に下駄の音を響かせながら走る樹里たちは自然と人目を引いた。


少し開けた場所まで辿り着いた樹里たちは、祭りの来場者用に準備されていたベンチへと腰をおろした。走りにくい浴衣で全力疾走したため、全員が肩で息をしている。


「はぁはぁ……あー、びびった……」


「はは……見た? あのおっちゃんの顔、茹でたタコみたいだったわ」


葉月と晶が息を切らしながらも、先ほどの出来事を思い出し変な笑い声をあげる。


「つ、疲れた……陽奈、大丈夫?」


「はぁはぁ……は、はい。あの……すみません、樹里。私、つい……」


息を切らしながら目を伏せる陽奈の頭を、樹里が優しく撫でる。


「まあ、陽奈ちゃん間違ったことは言ってねぇしな。まあ、ちょっと焦ったけど」


「うう……すみません」


「いや、めっちゃおもしろかったよ。なあ、お前ら?」


咲良が葉月と晶へ顔を向けると、二人ともにこやかな笑顔で親指をビシッと立てた。


「ふふ……私も楽しかったよ陽奈。あのおじさん、怒ってたね……顔真っ赤にして……ふふ……ぷぷぷ……!」


樹里が我慢できないといった様子で大声をあげて笑い始める。それに釣られて、咲良に葉月、晶も腹を抱えて爆笑し始めた。


一瞬ぽかんとした陽奈だったが、みんなが楽しそうに笑っているのを目の当たりにし、かすかに口元が綻んだ。と、そのとき──


「あ! 花火!」


葉月の声に全員が夜空へ目を向ける。ドンッ、と鈍い音が響きわたり、真っ暗な空に美しい大輪の花が咲いた。


次々と打ち上げられていく花火が闇夜を華々しく彩り、そして散ってゆく。その刹那の美しさに陽奈の目は釘づけになった。


「凄い……きれい……」


思わず漏れる心の声。隣でその声をはっきりと聞いた樹里の頰が緩む。


「陽奈、花火は初めて?」


「……こんな近くで見たのは初めてです」


「そっか」


見事な尺玉が夜空に弾け、少し遅れてドドンッ! と腹に響くような炸裂音が響く。


「陽奈、夏祭り楽しかった?」


「はい……とても」


クスッと笑みをこぼした樹里は、そっと陽奈の手を握った。陽奈もその手をぎゅっと握り返す。


「また、来年も一緒に来ようね」


「はい」


わずかに視線を交わした二人は、再びそろって大輪の花が咲き乱れる夜空へと顔をあげた。



──心が荒むと生活が荒む。昔誰かがそんなことを言っていた気がする。だが、はたして本当にそうだろうか。


生活が荒んだことで心が荒むこともあるのではないだろうか。そんなことをぼんやりと考えながら、男はマンションの玄関ドアを開いた。


薄汚れた土間へ靴を脱ぎ、廊下の照明をつける。ゴミ袋や段ボール、衣類がところかまわず散乱し、廊下にまで溢れかえっていた。


男は障害となるゴミを乱暴に蹴り飛ばしながら進み、自室のドアを開けた。むわっとした熱気と饐えた異臭が容赦なく男にまとわりつく。


着ていたフードつきのパーカーを脱ぎ床へと投げ捨てた男は、ベッドの上で開きっぱなしになっている雑誌を手に取った。


誌面では、栗色の髪の読者モデルが丈の短いスカートを履き、魅力的な笑顔を振りまいていた。ベッドへドスンと腰をおろした男が、雑誌のなかの少女へねっとりとした視線を向ける。


しばらく少女を眺めていた男が、おもむろにズボンのベルトへ手をかけた。ガチャガチャとバックルを外し、ズボンと下着を一緒に膝までさげる。


男は膨張した自分自身を握ると、せわしなく右手を動かし始めた。左手には雑誌をもち、誌面の少女を凝視している。


やがて男の呼吸が荒くなった。絶頂が近づき右手の動きも早くなる。


「…………っ!!」


男の脳内がスパークし、全身を快楽の電流が貫いた。同時に男の自分自身から欲望にまみれた体液が吐き出される。


動きを止めた男の呼吸が少しずつ落ち着き始める。男はべっとりと手に付着した体液を、雑誌のなかの少女へ執拗になでつけると、満足したかのようにベッドへと倒れ込んだ。



──八月も半ばとなり、いよいよ夏本番がやってきた。外を歩けば、自分たちの存在意義を示すかのような蝉たちの大合唱を強引に聞かされ、空から容赦なく降り注ぐ日光がじりじりと肌を灼いた。


「暑い……」


額の汗をハンカチで拭った陽奈がぼそりと呟く。照りつける太陽を忌々しいと感じつつ、陽奈は校門を抜け正面玄関へと向かった。


履いていた靴を上履きへと履き替え、人気の少ない廊下を進んでゆく。登校日でもないため、生徒の姿は見えない。せいぜい、事務仕事のため何名かの教職員が登校しているくらいだ。


「失礼します」


会議室と書かれたプレートが掲げられた部屋の前に立った陽奈が、ノックしてから扉を開く。なかでは、すでに一人の男性教師が席についていた。英語教師の山里拓実である。


「師匠! おはようございます!」


席を立ち頭をさげる山里に陽奈がジト目を向ける。


「その師匠っていうの、やめてもらえませんか?」


「なら、先生とか?」


「先生はあなたでしょう? 仮にも教職員が一生徒を師匠、先生と呼ぶのはどうかと思いますが? ほかの生徒や先生に聞かれたら困ると思いますけど」


「大丈夫ですよ。そのあたりは気をつけてるので!」


山里がにこやかな笑顔を向ける。


「はぁ……まあいいですけど。じゃあ始めましょうか」


「はい。お願いします!」


夏休みであるにもかかわらず、陽奈が登校した理由は山里への個人英語レッスンのためである。


以前、授業で陽奈に完膚なきまでに叩きのめされた山里は、怒りに燃えるでも絶望するでもなく、すっかり陽奈に心酔してしまった。


それからというもの、山里は英語力強化のため頻繁に個人レッスンをお願いするようになった。当初は面倒くさいと感じていた陽奈だったが、あまりのしつこさ、もとい熱意に負け渋々とレッスンを引き受けている。


もちろん無料ではない。時間は有限である。貴重な時間を切り売りするのだからそれ相応の対価は必要だ。


「では、発音からやりましょうか」


「はい」


以前、授業で使用した英語小説を山里が声に出して読み始める。気になるところがあればその都度陽奈が止めて指導することになっていた。


「……そこ。もう一度」


「は、はい」


指摘された部分を再度読み直す。


「違います。『hierarchy』です。aとrのつながりを意識してください」


「わかりました」


素直に頷いた山里が、指導されたとおりに読み直す。


「……まあいいでしょう。では続きを」


小さくガッツポーズした山里が再び教材へと目を落とし朗読を始めた。そんな感じで、三十分ほど発音の指導が続いた。


「さて、次は何します? フリーで英会話でもしますか?」


「いえ、師匠相手にさすがにそれは無理なので……」


少し目を伏せた山里に、陽奈が怪訝な目を向ける。この人、こんなに謙虚な先生だったっけ? もっと自信満々で好戦的な人だった気がするんだけど。


山里がここまで変化したのは間違いなく陽奈の影響なのだが、本人にその自覚はない。


「あ、師匠。難しい洋書を読めるようになるにはどうすればいいですか?」


「洋書ですか? 山里先生くらい英語できれば大抵の洋書は読めるのでは?」


「その……日本人向けに出版されている洋書はまあ、だいたい読めるんですが、現地で売られているような作品がちょっと。海外ドラマとか映画の原作小説とか……」


「ああ、なるほど……」


日本人向けにアレンジされた洋書と、現地のネイティブ向けに売られているものとでは難易度が段違いだ。


当たり前のようにスラングが出てくるし、現地の文化や価値観を理解できていないと内容がまったくわからない、といったことも起こりえる。


「いろいろな文法を理解できていること、単語をたくさん覚えていることが大前提ですね。あとは現地のスラングや文化、歴史的背景、価値観なんかも勉強するといいですよ」


「なるほど……なかなかハードルが高そうですね」


「そうですね。日常英会話できる人でも、現地の洋書がほとんど読めないって人もいるくらいですから」


「そう……ですか」


がっくりと肩を落とす山里。わかりやすくへこんでいる。


「何かあったんですか?」


陽奈は何となく興味本位で聞いてみた。ほんと、ただの気まぐれだ。話すべきかどうかと迷っているのか、山里の目が泳ぎ続けている。いや、別に言いたくないならいいんだけど。そこまでして聞きたくもないし。


「実は……」


どうやら話す気になったらしい。


「最近、気になる人ができたんです。その人が難しい洋書を読んでいて……自分も同じレベルで本の内容についてお話ししたりしたいな、なんて……」


やっぱり聞くんじゃなかった、と陽奈は思った。正直、大人から、いや学校の先生からそのような話をされるのはキツいものがある。


目の前でもじもじする山里は完全に恋する男だ。いったいどんな人がこの男のハートを射抜いたのか。いや、全然気にならないけど。


「そ、そうですか。まあ、いきなり英語力があがることはまずありません。地道な努力は絶対に必要です。洋書の読書も続けながら先ほどお伝えしたことも並行して学んでいけば、そのうち難しい洋書も読めるようになると思いますよ」


「……はい! 頑張ります」


「……ちなみに、その難しい洋書ってどんな作品ですか?」


「あ、えーと……これです」


山里がスマホを取り出し、操作したあと陽奈へ手渡す。画面には、大手通販サイトの商品紹介ページが表示されている。電子書籍版の試し読みもできるようだ。


画面をスワイプして試し読みを始めた陽奈の目がかすかに大きく見開く。自分にとってはまったく難しくもなんともないが、多少英語ができる程度のレベルでは難しいだろう。


うーん、これをスラスラ読むような人がお相手なのか。明らかに英語力に差がありすぎる。山里の恋はきっと前途多難だろう。


と、そうこうしているあいだに約束の一時間が経ったため、陽奈はレッスンのおさらいとアドバイスをして会議室をあとにした。

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