第15話 あんなことになるなんて
翌日から、滞りなく期末テストが始まった。陽奈が予想したとおり、樹里はテストの出来栄えにかなり手応えを感じているようだった。
苦手な二科目が終わり、しかもたしかな手応えを感じたからか、電話で聞く声もいつもより弾んでいるように感じる。
基本的に、樹里が苦手な英語と数学をメインに教えていたため、ほかの科目は大丈夫なのかと一抹の不安を覚えたものの、それもどうやら杞憂のようだ。
陽奈が見ていないところで、他科目の勉強もしていたらしい。ずいぶんと真面目なギャルだ。
そしてあっという間にテスト期間が終了した。
──テスト期間が終わり、いつもの日常へ戻った教室のなか、唯一樹里だけが緊張した面持ちで席に座っていた。
「どしたん樹里? そんなこえー顔して」
樹里のそばへやってきた咲良が、訝しげに顔を覗き込む。
「ん……次の授業数字じゃん? テスト返ってくるなーって」
そう、次の授業はテスト期間明け初めての数字の授業。つまり期末テストの答案が返却されるのだ。
「ああ。でも今回は自信あんだろ? 陽奈ちゃんにも勉強教えてもらってんだし」
「まあね。自己採点では七十五は堅いはず……!」
「すげーじゃん」
「頑張ったしね」
樹里の頬がかすかに緩む。と、授業開始のチャイムが鳴り、数学教師の伊達晴美が教室へと入ってきた。
「皆さん、期末テストお疲れ様でした。今から答案を返却します。名前を呼ばれたら取りに来てください」
名前を呼ばれた生徒が次々と立ち上がり、答案用紙を受け取って席へと戻ってゆく。ガッツポーズをとる者、小さく悲鳴をあげる者、大きなため息をつく者、反応はさまざまだ。
「佐々本樹里さん」
「は、はい」
名前を呼ばれた樹里が教師の前へと進み答案用紙を受け取る。そして、席へと戻りながら恐る恐る答案用紙へと目を落とした。
「……え?」
思わず足を止めた樹里は、答案用紙に穴があくほど食い入るように見つめた。
氏名記入欄の横へ乱暴に書き殴られた点数は、六十一点。自己採点より十点以上低い数字である。
え、何で? どうして?
訝しがるクラスメイトたちの視線に気づいた樹里は、ハッとした様子で席に戻ると、再度答案用紙へ視線を這わせ始めた。
そして、自信をもって解いたはずの問題三つにペケがつけられていることに気づく。樹里は隣に座る緑川誠司にそっと体を寄せた。
「ねえ、緑川君。ちょい答案見せてもらっていい?」
「え、ああ。どうぞ」
手渡された答案を見て、樹里の目が大きく見開かれる。間違いとされている三つの問題すべて、緑川と同じ解答であり、しかも彼は正解となっていたのだ。
は? いったいどういうこと?
悶々とした気持ちのまま授業を終えた樹里は、休み時間に入るや否やすぐさま教室から出て職員室へ戻ろうとする伊達を追いかけた。
「伊達先生! ちょっといいですか?」
背後から呼びかけられた伊達が何事かと振り返り、樹里へ怪訝そうな目を向ける。
「……佐々本さん、いったい何ですか?」
「この三つの問題、採点ミスじゃないですか? 緑川君は同じ解答で正解してますけど」
何か言いたげに顔を歪めた伊達が、差し出された答案用紙を受け取り目を通し始める。
「……ああ、この三つね。これ、答えは合ってるけど解き方が間違ってるわ」
「……え?」
こともなげに言い放たれ、樹里は呆然とした表情を浮かべた。
「い、いや、でも最終的に答えは合ってるんですよね?」
「だから、答えは合ってるけど解き方が違うって言ってるじゃない。私はこんな解き方教えたこともないし、教科書にも載ってないでしょ?」
「や、でも……」
「とにかく、そんな解き方では点数はあげられません。話はそれだけ? ならもう行くわね」
面倒臭そうにやや早口でまくしたてた伊達は、樹里へ押しつけるように答案を返し、サッと踵を返して立ち去っていった。
呆然としたまま廊下に立ち尽くす樹里。ツンと鼻の奥に痛みが走ったような気がした。何かが全身へ覆いかぶさってきたかのように体が重い。
マズい、目頭が燃えるように熱い。ダメだ、ダメダメ。こんなところで。奥歯をぎゅっと噛み締めた樹里は、目を伏せたまま足早に女子トイレへと駆け込んだ。
──グラウンドでドッジボールに興じる男子たちを横目で見ながら、陽奈は校門へと足を向けた。
暑いのによくやるものだ。正直、視界に入るだけでこちらまで暑苦しくなる。
そんなことを思いつつ校門を出たタイミングでスマホが震えた。足を止めてスマホを取り出し画面に目をやる。LIMEの通知だ。
メッセージは樹里からだった。が──
樹里『満身創痍』
見覚えのある四字熟語に陽奈が思わずイラッとする。
陽奈『真似するのやめてもらえます?』
素早くメッセージを打ち返し返信を待つ。いつもなら、既読になったあとすぐ返信があるのだが、なぜか今日に限って返事が来ない。既読にはなっている。
どうしたんだろう。何かあったのだろうか。スマホの画面を凝視したまま駅へと向かうが、やはりいっこうに返事は来ない。
立ち止まった陽奈は、少し躊躇いつつも樹里へ電話をかけた。何となく、いつもと違う気がしたからだ。数回コール音が鳴ったあと、樹里が電話に出た。
『もしもし』
『陽奈です』
『あ、陽奈……どうしたの?』
スマホから聞こえる樹里の声は、明らかにいつもと違っていた。
『どうしたの、はこっちのセリフです。何ですかあの四字熟語。何かあったんですか?』
『あー……うん、まあ……』
普段の樹里からは考えられない歯切れの悪さと低い声のトーン。間違いなく何かあったのだと陽奈は直感した。
『実はね……』
樹里の口から語られる学校での出来事。話を聞いているうちに、陽奈は全身の血が沸騰しそうな感覚に陥った。
『……樹里さん。答案を写真に撮ってLIMEで送ってください』
『え? うん……』
送られてきた答案の写真データに目を通した陽奈の顔が歪む。そばを低学年の子どもたち数人が大きな声をあげながらバタバタと追い越してゆく。普段はまったく気にならないその騒々しさが、今はやたらと腹立たしかった。
『……この三問が、間違いだと言われたんですか?』
『うん……そんな解き方じゃ点数はあげられないって……』
樹里の声は次第に小さくなり、最後は少し涙声になっていた。全身が燃えるように熱い。陽奈は衝動的に腕を掻きむしった。
『ごめんね、陽奈……本当に、ごめん……。約束したのに、七十点とれなかったよ……』
悔しさを滲ませながら言葉を絞り出す樹里の様子に、スマホをもつ陽奈の手がかすかに震える。
『何で……樹里さんが謝るんですか……』
『え……だって──』
『あなたが謝ることなんて何一つないじゃないですか!!』
ピロリン、と音が鳴り電話は切れた。陽奈が切ったのだ。
樹里はそっと息を吐くと天を見上げた。陽奈があんなに声を荒げるなんて。
完全に怒らせちゃったかな。あんなに勉強つきあってもらったのに、このていたらくだもん。愛想を尽かされたのかもしれない。
友達の期待に応えられなかった己の無力さに樹里は打ちひしがれた。家に帰ったら、もう一度きちんと陽奈に謝ろう。
帰宅して食事をとったあと、樹里は陽奈へ電話をかけた。が、陽奈がそれに応じることはなかった。やっぱり許してはくれないのだろうか。
だが、樹里は大きな勘違いをしていた。そして、神木陽奈という人間の根本的な本質も正しく理解できていなかった。
このときの樹里は、まさか陽奈があのような行動に出るとは夢にも思っていなかった。
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