第7話 ビシバシいきます

「うん、これでよし」


ベッドの上に広げた服を見て、樹里はにんまりとした笑みを浮かべた。この前は「女の子っぽい」コーデだったけど、こういうのもきっと似あうと思うんだよなー。


顎に手をやり一人うんうんと頷く。ベッドの上には、ストレッチデニムのショーパンと白黒ボーダー柄のTシャツ、黒レザーのスタッズベルトが広げられている。


「シャツはこっちのほうがいいかな……」


しばし考え込んだあと、おもむろに黒い衣装ケースのなかをまさぐり始める。いや、やっぱり白黒ボーダーだな。今日はちょっとパンキッシュな陽菜を見てみたい。


衣装ケースにフタをしたところで、来客を知らせるチャイムが邸内に響いた。樹里は慌ててリビングへと向かい、インターホンのモニターを確認する。お、来た来た。


『はーい』


『来ました』


『うん、今開けるね!』


エントランスとエレベーターホールのオートロックを解除して数分待つと、今度は玄関のインターホンが鳴った。再度モニターをチェックし、玄関前にいるのが陽菜であることを確認。出迎えるためにパタパタと玄関へ向かい扉を開いた。


「いらっしゃい!」


「どうも」


「ごめんね、わざわざ。さ、入って入って」


「お邪魔します」


樹里の部屋に足を踏み入れた陽菜が、この前と同じ場所に腰をおろす。と、樹里がすかさず――


「よし、陽菜っち。お着替えしようか」


「陽菜っち……?」


じろりと目を向けられ、思わず「うっ」と怯む。相変わらず目力が強い。


「い、いや。いつまでも陽菜ちゃんって、ちょっと他人行儀とゆーか」


「あなたと私はれっきとした他人ですが?」


「そ、そうだけど! ダメかな?」


「別にダメではないですよ。今までそのような呼び方をされたことがないので驚いただけです」


樹里がほっと胸をなでおろす。てゆーか、さっきの怒ってたんじゃなくて驚いていたのか。相変わらず感情がまったく読めん。


「それより、お着替えって何ですか?」


「ん、ああ。また陽菜っちに似あいそうな服見つけたからさ。さっそく着てみようよ」


「私、勉強するために呼ばれたのでは?」


「まあまあそう言わずに」


「相変わらず強引ですね。まあ……いいですけど」


樹里からふいっと顔を背けた陽菜が、ベッドの上に広げられた服をちらりと見やる。渋々といった素振りを見せているものの、多少なりとも興味を示しているのは明白だ。


「じゃあこれ、はい。服、脱がしてあげようか?」


「警察に通報しましょうか?」


じろりと睨まれた樹里はおとなしくベッドに腰をおろした。この前も思ったが、脱がされるのは嫌がるのに見られるのは何とも思わないらしい。まあ、同性だからか。


陽菜が目の前でシャツとズボンを脱ぎ、すらりとしたしなやかな四肢が露わになる。やっぱ肌きれいだなー。それにハリがある。ま、JKとJSじゃそりゃ違うか。


「どうですか?」


着替え終えた陽菜が、ベッドに腰かける樹里へ向き直る。


「うん、いいね! こういうコーデも絶対に似あうと思ってたよ」


「ただ、これ足の露出多すぎませんか? みっともなくないですか?」


「全然そんなことないって! 黒いタイツあわせようかなとも思ったけど、季節的にちょい暑いと思ってね」


太もものあたりを気にしつつ、陽菜はスタスタと姿見の前へと進み、鏡に写る自分の姿を眺め始めた。


「自分でどう? 陽菜っち」


「私がかっこいいです」


「また自分で言った」


苦笑いするものの、樹里自身もなかなかクールに決まったなとしみじみ感じた。やっぱり素材がいいからか何でも似あう。


少しのあいだ鏡のなかの自分をじっと見つめていた陽菜へ、樹里がニマニマとした視線を向ける。が、見られていると気づいた陽奈が、ハッとしたように樹里へ向き直った。


「ん、どしたの? あ、髪もいじる?」


「いえ。勉強しましょう」


「あ、はい……」


鏡の前で全身チェックする陽菜をもう少し見ていたかった樹里だが、ベッドから腰をあげすごすごと学習デスクへと向かう。


木製デスクの上には、すでに英語の教科書とノート、ペンケースがセッティングされていた。樹里が椅子に腰をおろし、その背後に陽菜が立った。


「教科書見せてもらっていいですか?」


「……あ、うん」


かすかに上ずった声と微妙な間にかすかな違和感を抱いた陽菜だが、とりあえず手渡された教科書のページをペラペラとめくり始めた。


「高校英語はこういうの勉強しているんですね。難しいことしていますね」


「え? 帰国子女で天才の陽菜でも難しいって感じるの?」


「難しいの意味が違います。何て言えばいいんでしょうか……無駄に難しいことを勉強している、という意味です」


樹里の隣へ移動した陽菜が教科書をデスクの上へ戻す。一方の樹里は、今しがた陽菜が口にしたことが理解できず首を傾げていた。


「それって、どういうこと?」


「日本の英語教育って、実際に使うシーンを想定していないんですよ。たとえば、小学校や中学校の英語の教科書でよく出てくる『This is a pen』。こんなの、日常会話のなかで使うと思いますか? アメリカで暮らしていた私でさえ一度も使ったことありません」


「あ、なるほど……!」


「まず普段使いしないフレーズの暗記や無駄に難しい文法、言い回しの勉強。日本人の英語力が世界のなかでもかなり低いのは、個々の能力以前に日本の英語教育そのものに問題があると思います。まあ、難解な文法や言い回しに関しては、英語圏の専門書や古い書籍なんかを読むときなどに知識が必要になることもあるとは思いますが」


目から鱗な話を聞き、樹里はただただ「へ~!」と驚嘆するばかりだった。いや、ちょっと待て。陽菜の話が本当なら、私たちはどうしてそんな使えない英語を勉強しているんだ?


「どうして使えない意味のない英語を勉強する必要があるんだ、って考えてます?」


心を読まれた気がして樹里は跳びあがりそうになった。エスパーかな!?


「意味がまったくないかと言えば、決してそうとは言えません。英語は世界中で使われている言語ですし、その教科書に載っている知識が役立つときがいずれ来る可能性も少なからずあります。あと、英語系の資格試験なんかに出題されるかもしれませんね」


「な、なるほど……!」


「いずれにしても、学校のカリキュラムに組み込まれているのなら、学習する必要があります。たとえ将来役に立たなくても、試験に出題されるのでしょうから。というわけで、さっそく勉強を開始しましょう」



――紙へペンを走らせる音に、ときどき漏れる「う~ん」という唸り声。樹里が頭を悩ませる様子を、隣に立つ陽菜がじっと見つめる。


「えと……これってどっちの前置詞を使うべきなんだろ……『to』それとも『for』……?」


「そこはforです」


「え、そうなんだ。toかと思った」


「英語の前置詞はイメージで覚えるとよく理解できますよ」


そう口にした陽菜は、ペンと紙を受けとりサラサラと何やら図を描き始めた。


「toのイメージは到達点です。一方、forのコアイメージは方向。この矢印がこの四角形へ向かっているだけで、到達点は含んでいません」


「なるほど……わかりやすい!」


「ほかの前置詞も、こうやって図にしてみると理解しやすいと思います。というか、高校二年生にもなって今さら前置詞のおさらいとか……」


「う……」


「まあ、前置詞は奥が深いので突き詰めようとすると沼にはまります。とりあえずは要点とコアイメージだけ押さえておけばいいでしょう」


「うん、わかった!」


気合いを入れ直し再度机に向かう。なるほど、イメージか。何となく理解できた気がする。


勉強が大の苦手で大嫌いな樹里だが、わずかでも前進できたことを嬉しいと感じていた。


「……? 何ニヤニヤしてるんですか?」


「ん……私ってバカだし勉強も嫌いだからさ、今までこうやってていねいに教えてくれる人誰もいなかったんだよね。先生に質問しても『またか』みたいにうんざりした顔されてさ。だから、陽菜っちがていねいにわかりやすく教えてくれてるの、嬉しいんだよね」


「……そうですか」


「うん」


カリカリと勢いよくノートへペンを走らせてゆく樹里を、陽菜はただ黙って見続けた。



――勉強開始から二時間後。樹里はベッドの上へ仰向けに寝転んでいた。


「つ、疲れた……」


「まあ、二時間ぶっ続けでしたからね」


ファッション誌のページをめくりながら、陽菜が無感情に口を開く。やはりファッションに興味をもち始めたようだ。


「でも、陽菜っちのおかげでだいぶ小テストの対策できたわー」


ガバっと半身を起こした樹里が陽菜に向かってVサインを出す。


「あ、そう言えばこの前LIMEしたときさ、パソコンで作業してるって言ってたじゃん? あれって何してたの?」


「ああ。アプリの開発と小説の執筆です」


「ア、アプリの開発!? 小説の執筆!?」


驚きで思わずオウム返しになる樹里。さすがに想像の斜め上をいく返答に驚いてしまった。


「ええ。私、お小遣い稼ぎにアプリ開発をしてるんです」


「すっご……! ちなみに、どんなアプリ?」


「すでにリリースしているのは……これですね」


陽菜がスマホを操作し、画面を樹里のほうへ向けた。


「んん……? 『Hello Japanese』?」


「外国人を対象とした日本語学習アプリです」


「へえ……よくできてるね! プログラミングとかもすべて陽菜っちが?」


「はい」


いや、凄すぎるでしょ。どんだけハイスペックなんだ。


「これって有料アプリなの?」


「インストールは無料でできますよ。ただ、カリキュラムをすべて解放するには課金が必要です」


「うわ、よくあるやつだ。陽菜っち商売上手だね」


「ビジネスですから」


「ちなみに、そこそこ儲けてたりするの?」


「そうですね……まあ、いやらしいので具体的な金額は言いませんが、今すぐ一人暮らし始めても問題ないくらいは稼げてます」


サラッと口にする陽菜に、ベッドの上で慄く樹里。マジすげー。読モのバイトなんかせいぜい一回の撮影で一万円くらいもらえたらいいほうなのだが?


「あ、小説の執筆っていうのは?」


「それは……」


珍しく言葉に詰まる陽菜に、樹里が怪訝な目を向ける。


「……私は、小説家になりたいって思ってるんです」


「え、そうなの? それが陽菜っちの将来の夢なんだ?」


「まあ……そうですね。自分にとって理想的な物語を考えて書くのが好きなんで」


陽菜が少し伏し目がちに言葉を紡ぐ。


「へえ~……。でも、陽菜っちなら小説家にもなれるでしょ。天才なんだしさ」


その言葉を聞いた陽菜がじろりと樹里を見やったあと、これみよがしに大きなため息をついた。


「はぁ~……あなたはほんと浅はかというか、おめでたい頭してますね」


「辛辣すぎて草生えるのだが」


「いいですか? おもしろい小説を書くのに高いIQなんて何の意味もないんです。発想力や創造力といったクリエイティブな能力が何より大切なんですよ」


「そ、そうなの?」


「ええ。実際のところ、何度も小説の賞に応募していますが、一次審査すら通過したことありません」


「マ、マジか……なんて厳しい世界なんだ……」


「そう、厳しい世界なんです」


再度「はぁ」とため息をつく様子を目にした樹里は、陽菜の新たな一面を見られたことに思わず頬が緩んだ。


「そっかぁ……でも、私も読んでみたいな、陽菜の書いた小説」


「……」


「あれ、ダメだった?」


「そのうち、気が向いたら」


ふいっとそっぽを向く様子は、何となくだが照れ隠しのようにも見える。


「あー、でも私、読書も苦手なんだよな……というか、漢字が苦手。漢字があまり読めないから、結局途中で投げ出しちゃうんだよね……」


「ダメじゃないですか。あ、でしたら……」


陽菜がスマホの画面に指を何度か走らせ、樹里のほうへ向けた。


「これは?」


「電子書籍リーダーです。機種にもよりますが、そこそこの値段の製品なら辞書機能が実装されているので、わからない漢字があってもその場ですぐ調べられます」


「へえ~……! そんなのあるんだね」


「本がかさばることもないですし、おすすめですよ」


「陽菜っちは使わないの?」


「私は本の、紙の質感が好きなので。ただ、自宅にはありますよ」


「そうなんだ。バイト代入ったら買ってみようかな」


「ぜひ。さあ、休憩終わったらまた勉強しますよ」


「はーい」


こうして、初めての勉強会は粛々と進んでいくのであった。

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