第6話 どうして私なのか

いつからだったか。自分が他人と明確に違うと認識したのは。


四歳でコナン・ドイルの名作を読破し暗記したときだったか。いや、五歳のときに運動方程式の難問を解いたときだったかもしれない。



「ハーイ、ヒナ! 今週末にうちでホームパーティーするの! あなたもぜひ来てくれるでしょ?」


授業終わりに明るく声をかけてきたのは、同じエレメンタリースクール(アメリカの小学校)に通う同い年のエレナ。クラスのムードメーカーだ。


おそらくほとんどのクラスメイトが参加するパーティー。参加したい気持ちはもちろんあった。が──


「エレナ! ヒナちゃんを誘っちゃいけないじゃない。ヒナちゃんはあなたとは違うのよ?」


彼女を迎えに来ていた母親が、厳しい口調で叱責する。「ごめんね、ヒナちゃん」とエレナの母親は一言残し、クラスメイトを引きずるように連れて行ってしまった。


ああ、またか。これで何度目だろう。


『ヒナちゃんへ気軽に声をかけちゃいけないよ? あの子は特別なんだから』


『ヒナちゃんが勉強する邪魔になるから、今度からうちの子を遊びに行かせるのやめるわね』


『凄いわよね、生まれつきの大天才だなんて。うちのバカ娘となんか遊んでちゃダメよ? もっとその才能を活かさなきゃ』


どうして? どうして私は年相応に扱ってもらえないの? 私がギフテッドだから? ちょっと同年代より頭がいいから?


だったらこんな能力いらなかった。ねえ、どうして私だけこんな能力をもって生まれてきたの?


あるときから、陽奈は期待することをいっさいやめた。自分がギフテッドである以上、年相応の扱いもしてもらえないし対等に接してくれる者もいない。


飛び級制度を利用し、七歳でハイスクールへ進学したあとも状況は何も変わらなかった。誰もが貼りつけたような表情で腫れ物を扱うように接してきた。


凄い才能? 天才? 将来のノーベル賞候補? 


冗談じゃない。それは私の力じゃない。私が努力して手に入れた力じゃない。たまたま、神様の気まぐれで才能の「器」になっただけだ。


どうして。どうして私だけ? ねえ、神様。どうして私なの? こんな能力──



『ギフテッドって神様からの贈り物ってことなんでしょ? それってつまり、陽奈ちゃんが神様に選ばれたってことじゃん』


誰もいない真っ暗闇な空間のなか、空から声が聞こえてきた。誰? 私が神様に選ばれた存在? 陽奈は声が聞こえた天に向かい手を伸ばした──



「ん……」


ベッドのなかで目を覚ました陽奈が、ゴソゴソと枕もとをまさぐる。不快な電子音を奏で続けるスマホを手にとってアラームを解除すると、小さく息を吐いた。


……変な夢だった。スマホを握りしめたまま、先ほどまだ見ていた夢を思い出す。


あの言葉にあの声。やっぱりあの人だよね。天井をぼーっと眺めつつ、陽奈は昨日の出来事に思いを馳せた。


会って二回目の小学生を強引に自宅へ連れて行く非常識な女子高生。ギフテッドとわかっても何一つ変わらず、ぐいぐい近づいてきた距離感のおかしい人。


陽奈はベッドの上で半身を起こしLIMEを起動した。友達リストを開き、その名前を確認する。そこには、たしかに佐々本樹里の名前があった。


「……ん? 通知……」


通知があるのに気づきトーク画面を開くと、樹里からメッセージが届いていた。


樹里『陽奈ちゃん、今日はありがとうね。あ、問題集に解説書いてくれてたね! マジ助かる〜。ありがと! ゆっくり寝てね。おやすみ〜』


昨夜の二十二時すぎに送られてきたようだ。その時間はさすがに眠っているので気づかなかった。


これって、返事したほうがいいのかな。でもなんて? 今日はありがとうって、私お礼言われるようなことしたっけな?


ん? 待って。飲みものご馳走になって服着せてもらって髪の毛もいじってもらって、帰りも家まで送ってもらって……。


これってもしかして、むしろ私がお礼言うべき? いやいや、もとはと言えば強引にさらわれたわけだし……。


スマホの画面を凝視し続けること約五分。結局何と返せばいいのかわからず、ブサイクなウサギが笑顔で親指を立てているスタンプを送るに留めておいた。



──お昼ご飯食べたら唐突に眠くなるの何とかしてほしい。


教室窓際の壁にもたれかかりスマホをいじっていた樹里は、襲ってくる眠気を排除しようと頬をつねった。うん、痛いだけであまり効果はない。


「樹里ー、トイレ行かんー?」


そばで同じようにスマホをいじっていた剣城咲良つるぎさくらが、机に腰かけたまま樹里へ声をかけた。


咲良は小、中、高校とずっと一緒の親友だ。樹里のよき理解者であり、読モとしての活動も誰より応援してくれている。


「うん、いいよー」


並んで廊下を歩く二人に、多くの生徒が目を向ける。樹里が人気なのはもちろんだが、咲良も黒髪美人として男子からは憧れの的だ。


「咲良さんいいなー……彼氏いんのかな?」


「いや、やっぱ樹里ちゃんだろ。顔もスタイルも高校生離れしてるって!」


「あーそれはわかる。でも、樹里ちゃんって何てゆーか、俺たちとは違う世界の人って感じで近寄りがたいんだよなー」


「まあ、人気の読モだし特別っつーか、高嶺の花だとは思うわー」



男子たちの会話に聞こえないフリをしつつ歩いていた樹里の顔がかすかに曇る。


「……樹里、あんなの気にすんなし。あんたが人気者になった証だよ」


「ん……大丈夫」


表情を曇らせる樹里の顔を覗き込んだ咲良が、優しく腰に手を添える。


樹里が学校の人気者であるのは事実だ。美人でスタイル抜群、明るく誰にでも気さくに接する性格のよさ、しかもファッション誌ガルガルの看板読者モデルだ。人気にならないはずがない。


だが、人気者ゆえの苦悩もある。それは、先ほどの男子たちが会話していたように、樹里を「違う世界の人」と見る者が多いこと。


咲良や葉月、晶など樹里と分け隔てなく接してくれる友人はいるし交流も広い。が、樹里が人気者になればなるほど、自分たちとは別世界の人間と考える者が増えていくのも事実だった。


「ま、人気者ゆえの悩みだよな。カリスマ読者モデルさん?」


「やめろし恥ずかしい。あーあ、ぱーっとカラオケでも行きたいわー」


「だなー。ま、週明けに英語の小テストあるから勉強しなきゃだけどなー」


「……は? 咲良、今何て……?」


「あ? 昼前の英語の授業でセンセー言ってたじゃん。週明け小テストやるって。まさか、聞いてなかったん?」


歩みを止めて立ち尽くす樹里の顔色は明らかに悪かった。それもそのはず、数学と英語は樹里が苦手な教科トップツーだからだ。


「マジか……マジか……!」


「ま、まあ出題範囲はそんなに広くないし何とかなるって。期末前だしそんな難易度も高くないだろ」


抜き打ちで行われる数学の小テストもあるのに、ここにきて英語もあるとか。マジ何なん。周りの目などいっさい気にせず、樹里は大きなため息をついた。



──その日の夜。少し早めの夕食をとった樹里は、ベッドへ仰向けに寝転ぶと深いため息をついた。


ヤバいなー。一年のときもギリで留年免れたくらいだし、このままじゃマジでヤバい気がする。てか、中間とか期末以外で成績に関わるテストなんてやらないでほしい。


ベッドの上で体を捻りゴロリとうつ伏せになった樹里は、おもむろにスマホを手にとりLIMEを起動した。こうなったら恥もクソもない。



樹里『陽奈ちゃんやっほー。今何してる?』


積極的にLIMEでやり取りするようなタイプではないだろうから、返事もなかなか返ってこないと思ったのだが──


陽奈『パソコンで作業中です』


樹里『マ? ごめんね。今って大丈夫?』


陽奈『作業中です。が、まあいいです。何か用ですか?』


樹里『陽奈ちゃんって英語も得意だったりする?』


陽奈『……私、アメリカからの帰国子女なんですが』


樹里『マ!? そうなんだ〜、すごっ! そんな陽奈ちゃんにお願いがあります』


陽奈『……何ですか?』


樹里『実は週明けに英語の小テストがありまして……この私めにご指導いただけないでしょうか……?』


陽奈『…………』


樹里『ダ、ダメかな……? あ、お礼に何か甘いものでも用意するけどっ!?』


陽奈『はあ……まあいいですよ』


樹里『やった! じゃあ明後日の土曜日か日曜日にでも! 時間は陽奈ちゃんにあわせるから!』


陽奈『では、土曜日の正午あたりに』


樹里『わかった! ほんとありがとうね!』



やり取りを終えた樹里は大きく息を吐くと、再びゴロリと仰向けになった。あー、陽奈ちゃんが引き受けてくれてよかった。


それにしても、陽奈ちゃんがあんなにテンポよくやり取りしてくれるとは意外だった。それに、何となく棘がなくなったような……気がする。


「ふふ……」


何だかよくわからないが、樹里は嬉しくなりお気に入りのクッションをぎゅっと抱きしめた。



──どっと疲れた気がする。やり取りを終えたLIMEのトーク画面を凝視したまま、陽奈は大きく息を吐いた。


もしかすると、あの人からメッセージが送られてくるかもしれない。そう思い、パソコンデスクの目につくところにスマホを置いておいた。


本当にメッセージが送られてきて焦ったものの、我ながら実にスマートなやり取りができたと思う。多分。


陽奈は手にしたままのスマホを操作し、カレンダーを起動した。次の土曜日……正午……ええと、件名はと……。


少しのあいだ悩んだあと、ポチポチと件名を打ち込んでゆく。


『件名: Juri』


うん、これでいい。スマホを置いた陽奈が再びパソコンのキーボードを叩き始める。


静謐な空間にカタカタとリズミカルに響くタイピングの音が、タップダンスの軽快なステップのように室内へ響いた。

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