第4話 それって凄いことじゃん
「校長先生、今よろしいでしょうか?」
ノックと同時に部屋へ入ってきた壮年の男が腰を折る。
「……何かありましたか? 教頭先生」
書類へペンを走らせている初老の男、私立聖蘭学院小学校の校長である萩野義隆が静かに口を開いた。
「文科省の担当者からお電話がありました。神木陽奈君の進路や将来に関して、校長先生も交え面談を実施したいと……」
「はあ……またその話ですか。その件なら本人が望んでいないと以前伝えたはずなのに」
「国としても神木君の頭脳は放置しておけないのでしょう。何せ希有な能力の持ち主ですから」
「だとしても、です。未来のことを決めるのは本人なのです。周りがあれこれ口を出して未来の選択肢を狭めるべきではない」
萩野は椅子から立ち上がると、窓の外へ目を向けた。グラウンドでは、授業を終えた生徒たちがランドセルを投げ出し元気に走りまわっている。
「そう……ですね。では、お断りの電話を入れておきましょうか」
「……いえ、私がのちほど直接お伝えしておきましょう。報告は以上ですか?」
萩野が窓から目を離し正面を向き直る。
「ええと、もう一つ。その神木君なのですが、英語の授業中に一悶着起こしたようでして……」
「一悶着? 具体的には?」
教頭は英語教師と五年三組の生徒から聞きとった内容を要約して萩野に伝えた。話を聞いた萩野が顔を顰め、額に深いシワが刻まれる。
「はぁ……山里先生にも困ったものですね」
採用面接で初めて山里と会話を交わしたときのことを思い出し、萩野はため息をついた。言葉の端々から感じられるプライドの高さ、自信家にありがちな尊大な態度。
遥か年下の子どもに自分が劣っているはずはない、とでも考えたのだろうか。
山里のような行動に及ぶ教師がこれまでいなかったわけではない。わざわざ眠れる獅子に石を投げつけて起こすような真似をした教師は、いずれも神木陽奈から手痛い逆襲に遭いプライドをズタズタにされ自ら学校を去っていった。
今度もおそらくそうなるだろう。早急に新たな英語教師を探して採用しなくてはならない。
「……山里先生はどうしていますか? まさか、もう荷造りを始めたりしていませんよね?」
「それがですね、私も意外だったのですが……」
「? 何かあったのですか?」
「はい。神木君に完膚なきまでにやりこめられたと聞いたので、私も心配したのですが、その必要はなさそうです。むしろ、生徒に負けてはいられないとやる気をみなぎらせているみたいです」
「ほう……!」
「生徒から聞いた話ですが、もっと本場の英語を教えてほしいと、授業が終わったあと直接神木君に頭を下げていたとか」
萩野の顔が驚愕に染まる。大の大人、しかも教師が生徒に教えを乞い頭を下げるとは尋常なことではない。
あのプライドの塊のように見えた教師の意外すぎる行動に、萩野はただただ驚くしかなかった。
「ただのプライドが高いだけの若造ではなかったということですね。自らの行いを恥じ、成長のために頭を下げられる人材は希有です。ほかの教師にも見習ってほしいものですね」
「そうですね。それに、その話をしてくれた生徒も、授業中の神木君がいかに凄かったかを興奮した様子で話してくれました。これはよい傾向だと思います」
「……よい風が吹いているみたいですね。これをきっかけに、彼女にも心を開ける友達ができてくれるといいのですが」
──子どもたちが楽しそうにはしゃぐ声が遠くに聞こえる。いくつかの問題を解き終えた樹里は、ふぅと息を吐くとペンを置き顔をあげた。
頬を撫でてゆくそよ風に心地よさを感じつつ樹里は目を閉じた。ああ、疲れた。これだから頭を使うのは苦手なんだよなー。はぁ。
うっすらと目をあけて隣を見やると、先ほどと同じ姿勢のまま少女が読書をしている姿が視界に入った。
「……ねぇ、あのさ」
「読書中なので話しかけないでもらえますか?」
「う……」
にべもない返事に樹里が肩を落とす。ちらりと横目で見やった彼女の横顔はまるで能面のようにいっさいの変化がない。
前も思ったけど、この子表情がほとんど変化しないよね。家でマンガとかアニメ見るときも無表情のままなんだろうか。
少し離れた場所へ目を向けると、隣で読書をしている少女と同じくらいの年の子どもたちが笑顔で駆けまわっていた。
うん、あれこそ「ザ・子ども」って感じだ。自分も小学生のときは公園で走りまわってた気がする。
それにしても、このミステリアスガールはいったい何者なんだろう。ただの口が悪い読書好きなお嬢ちゃん、ではないよね。
高校生でも解くのが難しい数学の問題をあっさりと解いた先ほどの出来事を思い出しつつ、樹里は少女へちらちらと視線を向けた。
まつ毛長いなー……つけま、なわけないよね。目もぱっちりしてるし、全体の造形がいい。すっぴんでこれだから絶対にメイク映えするよね。
「……あの、ちらちら見るのやめてもらえます?」
「あ、ごめんね」
横目でじろりと睨まれ注意された樹里は、おもむろに体ごと少女へ向き直りまじまじと眺め始めた。
「……はぁ。何なんですか、あなた。読書の邪魔なんですが」
「あはは。ちょっとお嬢ちゃんのことが気になってね」
迷惑そうな口ぶりの陽奈だが、表情がほとんど変わらないため顔からは感情が窺えない。
「ねぇねぇ、お嬢ちゃんはさ──」
「陽奈です」
「え?」
「そのお嬢ちゃんってやめてもらえます? 私には神木陽奈という名前があるんです」
「ああ……じゃあ陽奈ちゃんね。私は樹里。佐々本樹──」
「あなたの名前に興味はありません」
ズバっと斬り捨てられた樹里が肩を竦める。だがせっかく掴んだ会話のチャンスを逃す手はない。
「え、ええと、陽奈ちゃんは小学生なんだよね? どうしてさっきの問題わかったの? 高校生でも難しい問題のはずなんだけど」
「……私にとっては難しくなかった、というだけのことです」
再び本へ目を落とした陽奈が、何でもないことのように言い放つ。
「い、いやいや。だからそれが不思議なんだけどっ。いくら名門私立の小学校でも微分法なんて習わないでしょ」
「…………」
じーっと興味津々な目を向け続ける樹里をちらりと横目に見た陽奈は、「はぁ」と大きくため息をついた。
「……私は、ギフテッドなんですよ」
「ギフテッド……って、生まれつき凄い能力を持ってるっていう、あの?」
「まあ、そんなところです。私の場合は、人よりちょっと高いIQで生まれてきただけです」
「へ〜! なるほど。天才ってやつなんだね。凄いなぁ〜」
なるほどなるほど。これで謎は解けた。それにしてもギフテッドって本当にいるんだなー。初めて見たわ。うんうん、と一人納得した様子で樹里が頷く。
一方、陽奈は読みかけの本にしおりを挟むとパタンと閉じ顔をあげた。
「……別に何も凄くありませんよ。生まれつき頭がいいだけで、私が何か努力したわけではないんですから」
「いやいや、それでも凄いことだよ。だって、ギフテッドって神様からの贈り物ってことなんでしょ? それってつまり、陽奈ちゃんが神様に選ばれたってことじゃん。きっと、この子なら何かやってくれそう! って期待して選んでくれたんだよ」
樹里の言葉に陽奈が目をぱちくりとさせる。今まで、そのようなことを言われたことは一度もないからだ。
「それに、そんなに頭よくてかわいいなら、学校でもめちゃモテでしょ?」
「いえ、モテる云々の前に友達がいないので」
「え!? 何で?」
「何で、と言われても。そもそも、友達の必要性を感じませんし」
「ひ、必要性……?」
樹里はわかりやすく困惑した。そもそも、友達が必要かどうかなんて、今まで一度も考えたことがなかった。
「で、でも、友達と遊んだり恋バナしたりとか楽しいと思うんだけど……」
「興味ないですね」
陽奈の即答に「マジか」と固まる樹里。今まで生きてきたなかで一度も出会ったことのないタイプの人間だ。よし、話題を変えよう。
「そ、それにしても勉強できるのマジ羨ましいわー。私バカだからなー。まあ、数学とか将来役に立たないだろうし勉強する意味もよくわからんけどねー」
「……実際に役立つかどうかは別として、日本は学歴社会です。勉強できないと将来の選択肢が少なくなりますよ?」
「うーん、そうかなー?」
今読モのバイトしてるけど別に頭悪くても問題ないしな……ファッション系の仕事なら学歴とか必要なくない?
「自分が目指す世界に必ずしも行けるとは限りません。そのとき、ほかの道へ方向転換するにも、学歴がないと受け入れてもらえないでしょうね」
「う……」
陽奈が言ってることは正論に聞こえる。が、樹里としてはあまり認めたくない事実だ。
まあ、将来のことなんて今考えても仕方ない。樹里はちらりと陽奈の服へ目を向ける。
「あ、あのさ。全然話変わるんだけど、陽奈ちゃん服装とかあまり気にしないほう?」
「……どういう意味ですか?」
じろりと睨まれ「うっ」と言葉に詰まる。やっぱりこの子圧強すぎ!
「い、いや、陽奈ちゃん顔もかわいいのに、何でそんな服着てるのかなって」
「……服なんて着られればそれでいいと思いますが?」
唖然とする樹里とは対照的に陽奈の表情は変わらない。少し首を傾げる様子からも、本気でそう考えていることが窺えた。
「い、いやいや! いろいろな服を着てオシャレするの楽しいよ? 全然興味ないの?」
「ないですね。毎日何を着ようなんて考えるのも煩わしいので、基本的に同じ服しか持っていませんし」
「し、信じられない……! そんなに顔もかわいいのにもったいない……!」
「別に顔がかわいいからといってオシャレしなきゃいけない理由にはならないと思いますが?」
顔がかわいいについては否定しないのか、と樹里は思わずツッコミそうになったが、それは何とか呑み込んだ。
「で、でも、オシャレしたら今よりもっとかわいくなるし、男子からもモテると思うよ?」
「ですから、どちらも興味ないんですよ。はぁ……あなたと私とでは考え方も価値観も違うんです」
「む……」
「まあ、あなたに限った話ではありません……この世には私と私以外の人しかいませんし、私と私以外の人たちはどこまでいっても決して交わることのないパラレルラインです」
「パラレル……何??」
「パラレルライン。平行線ってことですよ」
陽奈が空を見上げながらぼそりと呟いた。その声色からは何の感情も窺えなかったものの、どことなく寂しそうな響きが含まれているように樹里は感じた。
本をランドセルへ片づける陽奈を尻目に、樹里はスマホをポケットから取り出す。十六時前……か。
「ねえ、陽奈ちゃんはどこに住んでるの?」
「……葛城新町ですけど」
「そうなんだ。私、隣の相生町だから近いね……よし!」
ランドセルを背負った陽奈の手を樹里が握る。突然の出来事に、さすがの陽奈も顔色が変わった。
「ち、ちょっと、何なんですか?」
「陽奈ちゃん、今からうちおいでよ!」
樹里が陽奈の手を握り足早に歩き始める。
「ど、どうしてですか? 離してください。防犯ブザー鳴らしますよ?」
「さて、鳴らせるかな?」
陽奈がランドセルにかけてある防犯ブザーへ手を伸ばす。が、いつもそこにあるはずの防犯ブザーがない。
ハッとして顔をあげると、「にひひ」と笑みを浮かべた樹里が右手の人差し指に防犯ブザーのストラップをひっかけてクルクルと回していた。
「大丈夫大丈夫。きっと陽奈ちゃんも楽しめるはずだから。もちろん暗くなる前に家まで送るし」
「そ、そういうこと言ってるんじゃなくて、どうして私があなたの家に……」
「まあまあ、いいからいいから」
「そ、それに歩くの、は、速……」
困惑する陽奈を無視してどんどん歩いてゆく樹里。これまで直面したことのない状況に、陽奈はとにかく戸惑っていた。
手のひらにじんわりと伝わる温もり。母親以外と手を握るのも、こうして引っ張られるのも陽奈にとっては初めての経験だった。
嫌なはずなのに、大声を出すべきなのに、手を振り払って逃げないといけないはずなのに。なぜか陽奈はそれができないでいた。
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