第37話 策を練る
イングペインの歴史書を書くとしたら、そのほとんどが戦いになる。
なんとしてでもこの地を手に入れたい異国と、そうはさせないとする遊牧民たちが、何度も何度もぶつかってきた歴史だ。
それがあんまり長いこと続いたもんだから、攻める側と守る側、双方の様々な思惑により、イングペインには秘密の地下通路や地下室がいっぱい作られた。
俺と、紫の部族の長ジュシンさんは、数ある地下室の中から割と広めの場所を秘密基地にした。
陰でこそこそ動きたいときはここに集まり、表にできない悪巧みをあれやこれや企んでは実行に移してきたのだ。
無論、この土地を外圧から守るため。
ウルツァイドの返還式が行われた後に会うことはもう前から決まっていたのだが、珍しくジュシンさんはひとりで来なかった。
俺と同世代の若い男女二名を伴ってきたのだ。
「これから起こることは貴重な訓練になると思って連れてきた。君たちほどじゃないが、そこそこ使えるヤツらだ」
遊牧民には珍しい金髪の男の子がグレン。
まだ十代だというのに、体がムキムキのガチガチ。
天の恵みとしか思えないフィジカルの持ち主だ。
紫の部族に驚異的な身体能力を持つ子がいると聞いていたが、彼がそうだろう。
で、長い髪をツインテールにしている童顔の女の子がラミ。
体も顔つきも中学生にしか見えないが、これまた天の恵みとしか思えない体術の才能があるらしく、さらに弓の扱いに関しては七部族全体でもトップクラスらしい。
ふたりとも将来有望な若者というわけだが、明らかに機嫌が悪い。
そりゃそうだろう。
本当はウルツァイドの石をめぐる戦いに参加したいのに、こんな陰気な場所に連れてこられたのだ。
ジュシンさんも彼らの不満に気づいているはずなのに、あえて無視して、さっさと話を進めてしまう。
「さあ状況を整理しよう。ラミ、説明してくれ」
「はい……」
ラミは大きな地図を床に広げ、杖を使って解説する。
むすっとした顔で。
「現在もウルツァイドの石は黒の部族が所持しています。彼らに近い場所に集落を築いていた緑の部族が三度、仕掛けましたが、すべて徒労に終わりました。黒の部族は予想外に巧みな進軍で緑の部族と適切な距離を置き、戦いを避けていたのですが、緑はそれに気づかず深追いしてしまい、伏兵を用いた黒の部族に返り討ちにされたのです」
俺もサラも、黒の長であるリンガムさんの予想外の頑張りに驚く。
「黒のリンガムはな、用兵に関しては巧みなんだよ。いくさにおける攻め時と引き時が感覚でわかる天才的な能力がある。君の母親が絡むと一切駄目になるが」
「はは……」
「それに緑の部族は長のランドロが現場を放棄して作戦に関わっていないはずだ。あいつがいるといないじゃ大違いだろう」
戦うことより、土をいじるのが好きだと公言するランドロ氏は、マイン王子とトンネル掘るのに夢中なので、石の争奪戦は部下任せにしているようだ。
個人の戦闘能力では最強クラスの戦士がいる緑の部族であるが、彼等を自らの手足のように統率するランドロ氏がいなければ勝つことは難しい。
アレックスの言うとおり、今後は緑のクワと名乗った方が良いかもしれない。
「で、その後の進展はどうだ?」
「静かです。藍の部族も赤の部族も自分たちの勢力圏から出てくる気配がなく、銀の弓に至っては武装すらしていない。族長の言うとおり、トーリ様には戦う意思がそもそもないようです」
アレックスから「やる気がない」と言われたトーリであるが、彼女に戦意がないのは俺も薄々感じていたし、ジュシンさんもそうだろう。
「無理もない。父親のラーズ長老がウルツァイドのせいで散々苦労したのを見ているし、自分の姉が石の争奪戦の最中に落馬して死んだのもその目で実際に見ているわけだしな。石なんざ欲しいどころか見たくもないってところだろう」
トーリに同情するジュシンさんであるが、隣にいたグレンがムッとしたようにその言葉に異議を唱えた。
「ウルツァイドを持つことこそがイングペインに生きる者の最高の名誉です! ラーズ長老が石のせいで苦労するなんてあり得ません!」
若いがゆえにまっすぐで熱いグレンにジュシンさんは苦笑い。
「最強であり続けるってことはな、心も体も疲れるんだよ。そんな親父の背中を見続ける子供の辛さをわかってあげないとな」
「だ、だから我々は戦わないというのですか!?」
もう我慢ならんぞと上司にたてつくグレン。地図にある自分たちの集落をドンと叩き、進軍ルートを指でなぞる。
「今が好機なんです! 赤も藍も動かないのなら、我々が出ていけば相手の懐を突けます!」
確かに黒の部隊が留まっている陣地は、グレンたちが住む場所から見れば攻めやすい立地にいる。しかしそれは安易な考え方だ。
「リンガムだってそれくらいわかってる。これは罠だ。あからさますぎるほどに罠だ。それに何度も言うが、これが罠でなかったとしても俺は動かないぞ」
トーリと同じくらいやる気がないジュシンさんに、グレンは身をよじるほどイライラしてしまい、もはや言葉も出ない。
ならば今度は私がと、ラミが長に訴える。
「族長、やはり考え直してください。私達はこの七年で最も強くなりました。武器も、馬も、装備も、戦術も、すべて他より優れています。もはや、あの人にもひけはとりません……!」
あの人とは、どうやら俺のことらしく、ラミは俺を睨んでいる。
「いつまでこんなことを続けるおつもりなのですか? 藍のアロン様は私達をベルペインの奴隷だと嘲笑っています!」
「ほう……、あのアロンがお前らには本音を言うのか。案外迂闊な奴だな」
不敵に微笑むジュシンさんにラミは不安げな顔を浮かべる。
「まさか、本当に身も心もベルペインに服従されてしまったのですか……?」
もはや泣きそうなくらいの若者ふたりだが、ジュシンさんはこのくらいで動揺しない。
とにかく頭の良いジュシンさんにとってすれば、アクシデントやトラブルなんざただの暇つぶしなのだろう。
むしろ、将来有望なふたりにこういう反応をして欲しかったから、わざわざ連れてきたのかもしれない。
「ふたりとも聞け。俺の楽しみはこの地図にはない。地図の外にあるのだ」
そして紫の族長は申し訳なさそうに俺を見た。
「つまらん問答を見せてすまなかった。ようやく君の番だ」
俺は小さく頷き、すぐ結論を言った。
「赤のゴルドさんが動き出したときが始まりです。間違いなくグロウバが攻めてきます」
グロウバとは分裂した元帝国の一つだ。
ベルペインの騎士団長ガランによりその領土を多く奪われてしまった国である。
「グロウバの進撃を許せば残りの三国も次から次へと攻めてくる。そうさせないためにまずはグロウバを抑える。それを防いだとき、今度はアロンが牙をむきます」
「君がそう言うなら、そうなのだろう」
ジュシンさんは特に理由を聞くこともなく、俺の考えに納得したらしい。
「戦うのならグロウバだけにするべきです。後の三国は足止めするか、三国同士で争わせたいと思ってるんですが」
「それなら君の母親こそ最適な手段じゃないか。もともと北の帝国から刺客としてベルペインにやって来たんだろ? 彼女が持っていたルートを辿ってみればいい。偽手紙を寄こして他の三カ国を争わせるのが最も手っ取り早いだろう」
「ああ、それが最高ですね」
確かに母上は北の帝国生まれで、ベルペインを内部崩壊させるためにやってきたハニートラップ要員である。
母上は見事ノヴァク王を色仕掛けで狂わせ、ある程度の目的を達成し、多額の報酬をゲットし、あっという間に使い果たしている。
俺がこの地に母上を連れてきてしまったことで、帝国と母上の繋がりは薄くなるし、仕掛け人だった北の帝国の方が逆に内部分裂しちゃったから、母上は今やただの飲んだくれとなり、イングペイン城で自堕落に暮らしているだけの日々。
そんな母上を雇った知恵者たちは現在、分裂した四カ国に散り散りに所属しているのは既に調べがついている。彼らに母上名義で手紙を書き、煽って騙すことができれば、セミエンが言ったことを実行できるかもしれない。
北の四カ国の内、戦うなら一つ。後の三つは放っておけ。ってやつだ。
「母上に話をしてみますので、あとを任せていいですか? グロウバは俺が何とかします」
「ああ、任された」
「それとアロンが動き出した後、彼らが使っている武具を調査したいので、マイン王子にそろそろこっちに来るように突っついて欲しいんです。俺が言っても全然こっちに来ないんで……」
「はは。あいつは君を困らせたいんだよ。その上で君に頼られたいと思ってる」
そしてジュシンさんは、今までのやり取りをぽかんと見ていたふたりの部下を見て、割と強めの口調で指示を出した。
「良い機会だ。お前らは彼についていけ」
「な……!」
冗談じゃない。と言わんばかりのふたりだったが、ジュシンさんはこう言って黙らせた。
「よく見ておくんだな。どんなに計画を練っても、どんなに戦略を立てても、どんなに訓練をしても、すべてを覆す絶対的な力があるということをだ。我々はそれに抗うことが出来ないということを、ジャン王子とサラ殿から見て知っておけ」
どうやらこれがジュシンさんの最大の目的だったらしい。
というわけで、いつもならサラと二人だけで動いていた俺の暗躍に、今回はグレンとラミが加わることになった。
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