第36話 宿敵と出会う

 ウルツァイドの返還の儀式がぬるっと終わったその翌日、ノヴァク王の使者が城にやってきた。いずれ来るとは予想していたが、その使者がセミエンだったことに驚いた。

 

 セミエンはアレックス・サーガの人気キャラだ。

 ノヴァク王の後を継いだミロシュに忠誠を誓い、ラスボスのジャンと激しい戦いを繰り広げつつ、ベルペインを世界一の強国に成長させた名参謀。


 清廉潔白を貫くミロシュとは違い、暗殺すら平然と行う情け容赦ない男。

 しかしそれはミロシュを守るため。

 冷酷かつ非道なのに、主には絶対忠実という設定が大いにウケたのだ。

 

 とはいえ彼が表舞台に立つのはミロシュが王になってから。

 この時点ではただの役立たずとしか思われていない。


 ずば抜けた能力を持ちながら出世に興味がなく、趣味の植物採集に没頭しすぎて遅刻や無断欠勤は当たり前。

 いつだって髪の毛はボサボサで、何日も同じ下着と服を着るような男だから、ノヴァク王はその身なりの汚さだけでセミエンを遠ざけていたのだ。


 そんな王がなぜ毛嫌いする男を使者にしたのか。

 セミエンをよく知るアレックス・サーガ読者の俺としてはなんとなく理解できたが、とりあえずは話を聞くことにした。


「ノヴァク王は、なんとしてでもウルツァイドの石を手に入れてベルペインに持ってこいと強く仰っておりまして」


 ふわあああと大あくびするセミエン。

 相手が誰であってもこんな感じなので、俺の両隣にいるアッシュじいやとサラは露骨に嫌な顔をした。

 二人ともセミエンのような無作法な人物が苦手だろうから仕方ないが、俺はあのセミエンと会えたことが嬉しかった。


 とはいえ、セミエンの要求が厳しいのも事実。


「父上のことだから必ずそう言ってくると思ったけど、ウルツァイドの石をもってこいってのは、そう簡単な話じゃないよ。こっちはお金がなさすぎて兵士なんかひとりもいないのに」


「でしょうね。自分であんなおぞましい税を王子に払わせているんだから、それくらいわかっているでしょうに」


「そうなんだよ。それで石を手に入れろってのは無理です」


 するとセミエンの目がキラリと光った。


「そんなことをあなたは必ず口にするだろうから、王はこう言えと私に仰いました。お前がダメならガランの部隊を行かせる。それを認めろと」


「それも難しいな……」


 俺は大げさなくらい悲観的に答えた。


「兄上はその機会を利用して遊牧民たちを叩き潰そうとする。それはできない」

 

 相手があのセミエンだから、俺は何もかも正直に話すことにした。

 きっとセミエンは俺に協力してくれる。

 彼はノヴァク王のために頑張ろうなんて微塵も思っていないはずなのだ。


 予想通り、セミエンも腹を割って答えてくれる。


「ジャン王子があなたの要求を受け入れるはずがないと私が進言したところ、だったら毒薬でも飲ませてあなたを殺してしまえとノヴァク王は仰いました」


 さらりとエグいことを言ったので、アッシュじいやもサラも大慌てで武器を取ってセミエンの前に立つ。

 

 しかし俺は驚かなかったし、落ち着いていた。


 セミエンは趣味が高じて毒薬に詳しい。

 アレックス・サーガにおいてはその知識をフル活用して国益の邪魔をする肥え太った無能な役人たちを次々粛正していく。


 ノヴァク王がセミエンを使者にしたのは、彼の知識を利用するつもりだったに違いない。毒殺でもなんでもいいからとにかく俺を消してこい。そう言ってセミエンをここまで寄こしたのだろう。


 ただノヴァク王には残念だけど、王がセミエンを忌み嫌うのと同じく、セミエンもまたノヴァク王を嫌っている。


 だから俺はアッシュじいやとサラにこう言って警戒心を解かせた。


「大丈夫。彼は味方だよ」


 その言葉にセミエンも欠伸しながら頷く。


「そのつもりです」


「なら教えて欲しいんだけど、どうすれば父上に石を渡さずに済むかな」


「そうですねえ」


 セミエンは考え込む。

 直立不動のまま目を閉じるので、立ったまま寝たと思うくらいだったが、


「あなたは城主になられてから蒼の部族と親密になっていたはずですし、なんなら先代の長から族長の座を譲るという話まで受けたはずです」


「流石に情報が早いね」


「であれば、その座を継がなかったのは失態でした。遊牧民の中でも最強の騎兵隊である蒼の部族をただで自軍に加えることが出来たはずなのに、あなたはそれをしなかった。蒼の槍とあなたの魔法があれば、石を手に入れるのはたやすかったはず。その勢いでノヴァク王と縁を切ってしまえばよかったのです」


「さらりと凄いこと言うね」


「それが世のためというものです」


 セミエンは笑い、逆に俺に問いただしてきた。


「教えていただきたい。あなたはなぜウルツァイドの争奪戦に参加しなかったのです? 城主である自らの立場を弱くさせる悪手ではないかと」


「そうかもしれないけど」


 俺はあっさり認めた後、アッシュじいややサラにも伝えていなかった本音をセミエンに打ち明けることにした。


「石の争奪戦は遊牧民たちにとってすごく大切なものなんだ。全身全霊で正々堂々と戦うことが前任者への弔いになると彼らは考えている」


「ふむ」


「俺もラーズ長老には本当に助けてもらった。だから、七部族が自分たちの戦いに没頭できるよう、余計な雑音を消すことが、俺なりの弔いになると思ってるんだ」


「なるほど」


 セミエンは何度も首を縦に振った。


「ミロシュ王子が仰っていましたよ。ジャン王子は支配ではなく共生を考えている。自分も王になったらそれをやりたいと」


「あいつが…」


 良い子だ。なんて良い子なんだ、我が弟よ。血はまるで繋がってないけど。


「王子、あなたは私が思っていた数百倍も面白いお方でした。だからこそ、一つ提案をさせていただきたい」


「是非聞きたいね!」


 ラスボスになる男を最後の最後まで苦労させ、


「私の宿敵」

 とまで言わせたセミエンのアドバイスだ。こんなありがたいことはない。


 そしてセミエンの提案は俺の想像を大いに上回った。


「おそらくあなたはこれから起こることすべてに徹底的な準備をしておられるはず。しかしどうでしょう。もうダメだと思えるくらいまであえて落ちてみては?」


「どういうこと?」


「つまりですね。もう八方塞がった。打つ手がない。絶望的。詰んでしまった。そう思うしかない状態まであえて落ちるのです。ここまでくればさすがに勝ったと敵が確信を抱くほどにです。そしてそこから勝つ。徹底的に勝つ。そうすれば、もうこのイングペインにちょっかいを出してくるヤカラはおりませんよ」


 あまりに大胆かつリスクの大きな策に俺たちは黙ってしまった。彼が言い出したことはギャンブルそのものだ。しかも限りなく負ける可能性が高い。


 ゆえにサラは言う。


「そうやって上手いことを言って私達をそそのかし、私達を窮地に立たせるつもりでは?」


 セミエンは苦笑いしつつ話を続ける。


「そう考えられても仕方がないのは認めますがね。結局のところ、どれほど緻密に計画を立てたとしても、それを上回るパワーがあれば良いのです。あなたならそれができる」


 おべっかなんて絶対にしないセミエンが、あなたなら出来ると言うのだから、とても勇気が湧く。


「ありがとう。大いに参考にするよ」


「それは良かった。ノヴァク王には私が言っておきましょう。ジャン王子は石を手に入れるのに苦労している。いずれしくじるだろうからその機会が来るまで待てと言えば、しばらくは動かないはずです」


「助かる」


「それとここまで好き勝手に言い出した以上、中身のある助言を一つだけ」


 セミエンはボサボサの髪をかきむしりながら言った。


「北の四カ国は間違いなく絡んできます。特にガラン殿に領地を奪われたグロウバの連中は土地を欲している。あなたがこしらえたこの地はまさに蜜のように見えているでしょう。奴らはそれこそ飢えたオオカミのようにその時を待っている。あなたも当然その備えをしているはずですが」


「そうだね」


「ですが覚えていてください。戦うのはグロウバだけにしておいて、残りの三国は遠ざけるべきです。特にロウザリオと絡んではなりません。あの国にはなかなかの人物がいると見ました。彼らの動きを見る限り、実に上手く立ち回っている」


「なるほど」


「グロウバだけを徹底的に痛めつけなさい。そうすれば他の三国の目はあなた達ではなく、弱ったグロウバに向くでしょう」


「ありがとうセミエン。君が来てくれて良かった」


「いえいえ。私もお会いできて良かった。最初はくだらん仕事と思って、途中で家に帰ろうかと思っていたので」


 さらにセミエンはこう言った。


「ところで王子。こう考えてみてはいかがです? なぜノヴァク王は私をここに寄こしたのか。あの選民意識の塊のノヴァク王がとことん毛嫌いしている私を寄こしたのか。その点について考えると、いや、なかなか面白いものが見えてきますよ」


 その言葉は俺に閃きを与えるのに十分なヒントだった。


「それってつまり」


 セミエンはまるで子供のような無邪気な笑みを俺に見せた。


「お考えください。あなたがノヴァク王なら、私が不在の間に何をしますかね」


 その言葉を残して、セミエンは城を出て行った。


「なんとまあ、大胆不敵な男でしたなあ」


 アッシュじいやはセミエンに圧倒されているようだが、サラはずっと苦しそうな顔をしていた。


「あのお方、ずっとお風呂に入られていないみたいで凄く臭うのです……」


 まあ、汗臭かったのは事実だった。


「だけどいろいろわかったよ。なにをするべきか」


 俺はすぐに動く。


「サラ、そろそろジュシンさんに会いに行く時間だ。予定通り、一週間後に例の場所で待ってると合図を送って欲しい。いちおうマインにもね」


「はっ」

 すぐさま城の屋上に向かうサラ。


 さらにアッシュじいやに仕事を振る。


「じいやはアレックスについてやってくれないかな。隠居したじいやが蒼の部族の味方をしても怒られないだろ」


 するとじいやは懐からたくさんの手紙を取り出した。


「一緒に戦ってくれないかと既に五つの部族から誘いを受けておりましてな」


「げっ、先手を打たれていたか」


 まさかゴルドやリンガムまで勧誘していたとは。

 アッシュじいやがいれば百人力どころの話じゃないから、皆、本当に石の争奪戦に勝ちたいのだろう。

 

「隠居した身の上ですので、いずれも断るつもりだったのですが、あなたのご命令とあらば蒼の部族に付くことにしましょう」


「ははは。それは良かった」


「ちなみに藍の部族からは何の誘いも無しです」


「だろうね」


「殿下の予想通り、彼らには用心すべきですな」


 七年前から俺と一切関わろうとせず、北の四カ国やベルペインと裏で繋がっている藍の部族。

 アレックスからお金のことばかり考えてるとディスられても一切リアクションをしなかったアロンという青年は間違いなく要注意人物だろう。


「セミエンの話に乗るとしたら、鍵を握るのは彼かもしれないな」


「確かにそうかもしれませんが、無謀な賭けに出ると負けたときに取り返しがつきませんぞ」


「ああ、わかってる」


 俺は笑ったが、セミエンの言葉に大いに揺さぶられたことは確かだ。


 相手がもうイングペインに手を出すのはよそうと思うくらいに相手をねじ伏せる。そのためにとことん追い込まれるフリをする…。


 やってみる価値はある……。

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