第30話 やがてラスボスになる男、託される
七年の時間はイングペインを大いに豊かにしたけれど、同時に、あちこちで憎まれる結果になったことも確かだ。
自分たちだけいい思いをしていると妬まれたり、強くなったからこっちに攻めてくるのではと怪しまれたり。
周りがヘイトを溜め込んで、それがいつ爆発するかわからない。
そんな張り詰めた状況の中、厳しい現実が俺たちを襲う。
俺がサラと共に敵陣を駆け抜けた時から今に至るまでずっと味方になってくれていた蒼の槍のリーダー、ラーズ長老の命が尽きようとしている。
半年前に肺を病んでから、いつその時が来てもおかしくない状況なのは長老自身が一番わかっていたのだろう。
この半年で見事に終活をやってのけた。
もう思い残すことはないと言い切れるくらいに近辺を整理した後、長老は俺たちに会いたいと使いを寄こしてきた。
ガランとやり合ってしまった翌日のことだ。
三ヶ月ぶりに会う長老は痛々しいほどやつれていたが、その瞳の力強さは全く変わっていないどころか、むしろ増している感すらあった。
「アッシュ殿、あんたともう碁を打てんのが実に残念だ」
声もしっかりしているし、誰の手を借りなくてもベッドから身を起こせる。
「心配するな。私もすぐ向こうに行くゆえ、先に行って待っててくれ」
お互いに笑い合う老人達。
歳を重ねれば死は恐怖でなくなるとじいやは言っていたが、そんな不思議な感情に俺もいつかなるのだろうか。
「サラさんよ。あんたには何から何まで助けてもらった。感謝の言葉がいくらあっても足りない」
「もったいないお言葉です。してくださった恩にまだ報いることができていないのに……」
そんなことはないよと長老は首を振り、優しく語りかける。
「これからも、あんたが守りたいと思う人たちを守っておくれ」
シワだらけの大きな手が、サラの小さな手を包む。
「ネフェル。本当にお前さんは香水臭いのう。病んでる老人に会いにくるなら少しは気を使ってくれないかね」
その悪態に母上はニヤリと笑う。
「じいちゃんの最後の説教が聞きたくてさ。いつもの倍、ふりかけて来たんだから」
ヒッヒッヒと笑い合う老人と母上。
不思議とこの二人は仲が良かった。
いつも自分勝手な母上が今日ばっかりは酒も飲まず、ちゃんと化粧して来るんだから、母上にしては最大級の礼儀で会いに来たのだろう。
「さて、ジャン」
ラーズ長老が温かい目をこちらに向けてくる。
「すまないが、二人きりで話をさせてくれんか」
長老の言葉に従い、皆が出て行く。
しんと静まりかえった寝室で長老は初めてその顔から笑顔を消した。
「わしが死ぬことで今まで抑えていたものが次から次へと湧き出して、この地を乱すだろう」
「はい」
「あんたのことだから、ジュシンやランドロと組んで、既に備えているのだろう?」
「そのつもりです」
長老は満足気に頷く。
「だからその点は心配しておらん。ただ気がかりなのはエッジだ……」
長老の娘(既に故人)と元帝国の騎士オーレンの間に生まれた子供、エッジ。
蒼の槍の次期リーダーであり、やがてラスボスになる男ジャンにとっては四天王とよばれるほどの頼りになる部下。
になるはずの女の子なんだけど、現状はひきこもりで、俺もこの七年間で七回しか姿を見たことがない。一年に一度のペースだ。
実を言うと話したこともない。
なにせ部屋から出てこない。
エッジとちゃんと話せるのはアレックスだけだが、最近はアレックスとも会わなくなったと聞く。
なんでこうなってしまったのか。ラーズ長老は語る。
「あの子の魔法はずば抜けておる。あのアレックスが一目置くほどだ。本来ならミロシュ王子のようにノーヴァに向かわせて学ばせるべきだったのだろう。あの子もそれを望んでいたようだが、我々のつまらん掟と先入観があの子の意思と自由を奪ってしまった」
遊牧民は魔法を嫌う。
魔法を使ってはいけないというルールもある。
アレックスや俺は外国人扱いだから、どんな魔法を使っても怒られたりはしないが、エッジが魔法を使うとなると怒り狂う人もいた。
しかしマイン王子が作りだした魔法仕掛けのドリル兵器がこの地に革命を起こしたことで、魔法に関する印象はだいぶ良くなった。
脳筋といっていいくらいだった赤と黒のリーダーですら魔法に手を出したのだ。
とはいえエッジからすれば、いまさら遅すぎるといったところだろう。
それは長老が何より理解している。
「エッジはすべてを憎んでいる。この土地。そのしきたり。七年の間に手の平を返したように魔法を使い出した我々に。本来なら今すぐにでも、好きなように生きてくれと言うべきなのだろう。しかし、それができんのだ。これからの七部族にはエッジが必要になる。それは間違いない」
喋りすぎて激しい咳をする長老。
その背中を俺はさする。
「万が一、エッジが蒼の部族を率いてくれるというのなら、これ以上望むものはない。しかしそれは難しい。まだ時間がかかる」
「できる限り助けるつもりです。俺だけじゃない。アッシュじいやにサラ、アレックス、ジュシンさん、ランドロさんもです」
「そうしてくれれば誠に嬉しいが、もしエッジに跡を継ぐ気が無く、それゆえに混乱が起こるまでになれば、あんたに蒼の槍を任せたい」
「いや、それは……」
あってはならないことだと言おうとする俺の手を長老はがっちりつかむ。
「とち狂って申しているのではない。今の話は蒼の民全員にもう告げている。皆あんたに従うことに承知しているのだ」
「後継者ならオーレンさんのほうがよほどふさわしいはずです」
どう考えたってそっちが適任だと思うが、ここで長老は必殺の言葉を使ってくる。
「あいつには民ではなく、娘と向き合う時間を作らせてやりたいのだ」
「……」
そんなことを言われたら何も言い返せない。
「頼む。これでもう思い残すことはないと、わしに言わせてくれんか」
その言い方もずるいなあ。
「わかりました。どうにもならなくなれば最後の手段として考えます。だけど蒼の槍を導くのはエッジ意外にないという俺の考えは変わりません」
「わかってる。わかってるよ……」
言いたいことをすべて言えた安心感か、長老はゆっくり横になる。
「あんたのおかげでいろんなものが見ることができた。あんたがここにやって来てくれたことを本当に嬉しく思う」
ここまできて、そんなこと言わないでとはもう言えない。
「長老がいてくれなかったら、ここまでこれませんでした」
サラと同じだが、受けた恩に対して何一つ返せていないのが残念だ。
「欲を言えばあんたがベルペインの王になるところまで見たかったがな。そこはアッシュ殿に見てもらって、詳しい話は向こうで聞くことにしようかのう」
そう言って俺を苦笑させた長老が眠るように息を引き取ったのは、それから三日後のことだった。
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