第9話 母を殺さない

 ジャンの母ネフェル。

 アレックス・サーガにおいて彼女について書かれた部分は本当に少ない。


 ジャンを出産した時、子供の顔を見て「あれを捨ててくれ」と叫んだというインパクト大なエピソードと、


「とても美しく、自分に正直な人だった」


 というジャンの回想くらい。


 確かに情報は少ないが、彼女の人となりを知るにはこれで十分かもしれない。

 少なくとも、俺はわかった気でいる。


――――――――――


 屋敷の中で一番広くて豪華なつくりの部屋に俺たちは踏み入った。


「だれ!?」


 部屋の隅でとびきりの美女が震えていた。

 

 彼女がネフェルで間違いないだろう。

 豊満な体を強調する服。ギラギラに輝く装飾品。身につけたもののレベルの高さに負けないくらいの妖艶な美しさ。

 

「お久しぶりです、母上」


 俺は丁寧に頭を下げた。

 その目と髪を見れば誰だかすぐわかるだろう。


「あ、ああ、ジャンか……」


 無理矢理口を歪ませて笑顔をこしらえる母上の俺は平然と言った。


「ここまで久しぶりになると、初めましての方がふさわしいかもしれませんね」


 何しろこれで二回目である。


「な、何を言うのです。私はずっとあなたのことを案じていたのです。ここまでよく来てくれました。私を助けてくれたのですよね?」


「助ける? 何から、何を?」


「決まっているでしょう? 私はあの野蛮な連中に閉じ込められていたのです」


 胸に手を置いて、これでもう安心だとアピールをする。

 大きな瞳が潤んでいたが、視線はあちこちをさまよっている。

 俺を直視できないでいるようだ。


「はあ、そうですか」


 呆れながら俺は部屋全体を見回した。 


「随分と散らかっていますね。まるで夜逃げでもするのかってくらい。あ、もしかして本当に夜逃げするつもりだったので?」


 俺の言葉に呼応して、アッシュじいやが口を開いた。


「兵士もメイドも執事も、あなた以外全員眠っております。もはや逃げ切れないものとお考えくだされ」


「……」


 沈黙するネフェル。

 この状況をどう打開するか必死で言い訳を考えているのかもしれないが、俺は既に相手の弱みを握っていた。


「さっきからあっちこっち首を動かしておられますね。特にこの箱をずいぶんと心配そうに眺めておられる。見られたくないものがここにあるようだ」


 化粧棚に置かれた小箱を俺は手に取った。

 その瞬間の母上の怖じ気づいた顔を見れば、それが答えだとわかる。


 鍵がかかっているがなんてことはない。じいやの怪力で鍵はあっけなく壊され、中からたくさんの手紙が出てきた。


「あ、ちょっと待って! それ外にだされると、凄く困るんだけど……!」


 母はひざますき、命乞いをするかのように俺にすがってくる。

 しかしサラがそれを引き剥がした。

 見かけによらず怪力のサラにネフェルは大いにびびる。


「何この子、凄い力なんだけど……」


「でしょう。ジタバタしない方が身のためです」


 母を諭しつつ、俺は何通かの手紙をざっと読んだ。


「じいや、どうやら俺の父親は北のモルボア人のようだ」


「モルボア……、聞いたことがございませんな」


「北の帝国が奴隷にしている連中で随分とひどい目に遭っているらしいが、そのモルボア人の特徴は、赤い瞳と白い髪っていうんだから、面白いよな」


「なんと……」


 信じられないといった顔でじいやはネフェルを見る。

 

「ああ、もう、ばれちゃったじゃんさ~」


 舌打ちして、とうとう本性を現すネフェルを俺は追い詰める。


「守りの堅いベルペインを内側から壊そうと、北の帝国が彼らの都に住む女優志望の娘を雇い、モルボア人の子供をはらませてからノヴァク王のもとに送り込んだらしい。すっかり女に魅了されたノヴァク王はそいつを妃にした」


 ノヴァク王は生まれてきた子供を見て震え上がった。

 昔話に出てくる悪魔の子にそっくりだったからだ。


 そこから国は乱れた。

 息子を庇ったアッシュを騎士団長の座から降ろすという悪手をかまし、ネフェルと縁を切って新たに妻を向かい入れるために多額の金銭を浪費し、なにより悪魔の子を持て余すことで国全体に暗い影を落としている。


「手紙には、ベルペインを荒廃させるための指示が事細かに書かれている。ノヴァク王が第二夫人を迎え入れたら、徹底的に嫌がらせをして、金をたかるだけたかり、俺を王位継承権から外すなと叫び続けろと書いてあるが、最後の手紙になると、なんで指示に従わず森の奥に逃げ込んだのか、説教と脅迫でいっぱいになってる」


「だって、そこまでやれなんていわれてないもんね」


 貴族の娘でも何でもない、上昇志向の強い田舎出身の女性だったネフェルがついに完全に姿を露わにした。


「子供が生まれたらあとは好きにしろって話だったのに、ああしろこうしろって毎日のように手紙が来て、もううんざり。いつまでも病んだ母親演じ続けてたら本当に頭がおかしくなっちゃう」


「それは大変でしたね」


 俺は笑った。

 本物のジャンにとってはきつい話かもしれないが、俺のような読者からすれば、こういう馬鹿なキャラは嫌いになれない。


「俺を殺せば楽になれると思ったんですか?」


「もちろんそうさ。いい男見つけて楽しもうと思っても、あんたを産んだせいでみんな怖がって近づかないし、お酒だってたくさん飲みたいのに馬鹿真面目なメイドが体に良くないからって一滴も飲ませてくれない。せっかくお金がたくさん入ったのに、やりたいこと何一つできないんじゃつまんない。あんたがいなくなれば自由になれるってなんかの手紙に書いてあってさ、これじゃんって思ってさ。ごめんね」


「いやいや、気にしちゃいませんよ」


 ふと理解した。

 もしかしたら本物のジャンも、この母のことを憎んだり嫌ったりはしていなかったのではないかと。


「自分に正直な人だった」

 という言葉には、尊敬の念すら感じる。


 他人の目や身分、政治的思惑なんかお構いなしに自分のやりたいようにやっている母のように、やりたいように生きてやろうとさえ思ったのではないか。


 確かにネフェルはジャンの母だ。

 やがてラスボスになって世界をぶっ壊す男の産みの親なのだ。


 とまあ、俺は一人で納得したが、じいやは顔を真っ赤にして怒っていた。


「なんと愚かな……。そんな理由で自分の子を手にかけたからって、自由が得られるはずがない! ますます人はあなたを怖れ、近づかなくなりますぞ!」


 すると俺の母は言った。


「そうなの?」


 難しいこと言われたってわかんないと首をかしげる。


「母上、ひとつ教えてください。この手紙の差出人は誰です? 北の帝国の誰と連絡を取り合っていたのですか?」


「知らない。黒い服着た人がお金いっぱいくれるって言うから、言われたとおりにしただけ」


「その黒い服を着た人は?」


「それがねえ。二回目に会ってお金をくれた後にその場で死んじゃったの。そんなバカなって言いながら、口から泡吹いてバタン。毒でも飲んだみたいね。口封じって奴でしょ」


「そうでしょうね。そうだと思いましたよ」


「私も怖くなってね。お金ももらったし逃げようって思ったんだけど、誰かに後ろから剣を突きつけられてさ。もう後戻りは許さない。報酬に上乗せしてやるから、さっさとベルペインに行けって言われて、ここまで来たのよ」


「もう一つ教えてください。ここにいる兵士はどこの所属です?」


「兵士じゃなくて、上からの指示で私が雇った傭兵とか山賊の寄せ集め」


「なるほど」


 ってことは、ここにいる兵士を尋問しても得られる情報は何も無いだろう。


「どいつもこいつも鍛えてるから体は良いんだけど、顔が私好みじゃ無くてさ。だから誰とも寝てないよ」


「そんなこと誰も聞いてませんが、まあ、十分です」


 さあ行こうと、じいやとサラに声をかけ、証拠となる手紙を懐に入れた。


 母上が俺に声をかけたのはその時だった。


「ねえ坊や。わたしねえ、悪いけどあんたのこと、なんとも思ってないの。そもそもあんたの父親の名前も分かんないし、お金が欲しかっただけだから。不思議よねえ。あれだけ痛い思いをして産んだんだから、愛情のひとつでも湧くかと思ったけど、なんもないの。何にも感じない」


 悪びれた様子もなくしれっと話す母に対し、俺も笑顔で答えた。


「それは奇遇ですね。俺もあなたのことをなんとも思っていない」


「ならよかったけど、これだけは言っとく。あんた、みんなが言うほど気持ち悪い顔してないよ。むしろあたしに似てすごくいけてる。こんな国とっとと逃げ出して、よそに行きな。きっとモテモテよ」


「その言葉、肝に銘じておきます」


 とはいえここで逃げられたら困るので、速効で眠らせた。


「……最悪ですな」

「……」


 悲しい顔をするサラとじいやに俺は笑顔を見せる。


「いや、これで本当に十分だ。彼女の言うとおり、外に出られるチャンスだぞ」


 そう。俺にはプランがあった。

 ジャンルートではなく、俺ルートをスタートさせるための最高の策だ。


「今度は父上に会いに行こうじゃないか」

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