第5話 じいやを殺さない
サラが俺のメイド兼ボディーガード兼秘書のようになってから、一日のスケジュールがだいたい固まってきた。
午前中はじいやと訓練。
午後は夕方まで書庫で魔術の特訓。
そこから日が沈むまでサラに本を読み聞かせる。
サラの好物は冒険小説。
最初に読んだ「ザイオン伯爵の冒険」シリーズは特にお気に入りで、全七巻の内、三巻まで既に読み切ってしまった。
伯爵と友人の魔術師に起こる奇想天外な冒険にサラは興味津々。もはや自分も伯爵と一緒に旅をしているくらいの熱心さでかぶりついてくる。
その姿を見るのが何よりの楽しみになってきたのは間違いないが、そうなるといつタイムリミットがやって来るのか不安も増していく。
何度も言うが、ジャンの最初の殺人はアッシュ爺さんだ。
ただでさえ恩人を殺すなんてしたくないのに、その孫娘と仲良くなると、この人たちといつか真剣に戦う日が来ると考えて吐きそうになる。
俺と組み手をして、楽しそうに汗を拭くアッシュ爺さんと、俺のつたない朗読を真剣に聞いてくれるサラの姿を見れば、そんな日が来ないよう祈るしかない。
とはいえ、今の段階ではアッシュ爺さんもサラも味方だ。
特にサラは有益な情報まで俺に持ち込んでくれる。
「ノヴァク王とネフェル妃は既に離婚ているという噂は間違いないようです」
「本当か……!」
一応は驚いてみるけれど、
「まあ、俺のせいだろうな……」
呪われた子をその腹から産み落としたネフェル妃が心を病んでしまったというのはもうみんな知っている話だ。
なんて可哀相な方だとみんなが母上に同情しているが、サラはその母上の現状をしっかりつかんでいるらしい。
「王宮から離れた森の奥に屋敷を構え、そこで数名のお手伝いと静かに療養しておられるようです。しかしノヴァク王が顔を見せたことはただの一度も無いようで、それは余りに酷だという者もいるとか」
まだ六歳か七歳だというのにこの情報収集力。
おまけにまだ続きがある。
「ネフェル様のお屋敷に大量の金貨が運び込まれたようです。他国から新たにお妃を向かい入れたノヴァク王からの、事実上の手切れ金ではないかと重臣クラスの方々が口にしておられます」
この時代には珍しい恋愛結婚で民を喜ばせたノヴァク王とネフェル王妃の夫婦生活は、俺のせいであっさり破綻したというワケだ。
「母君のことを思えばお辛いでしょうが、今は耐える時ですぞ」
アッシュはそう言って俺を慰める。
「いずれ、あなたが必要とされるときが来ます。それまでじっと耐えるのです。この時間は決して無駄にはなりませぬ」
肩をポンと優しく叩いて、アッシュはいつものように町の清掃に出て行くが、サラはアッシュの足音が小さくなるのを確認すると、俺に言った。
「ネフェル様のお屋敷の場所なら既に調べが付いております。警護も薄いようですし、お会いになられては?」
案内しますと胸を叩くサラ。
俺が母を恋しがっている。そう考えたのだろう。
「よそう。サラにだけは言うけど、母のことはもういいんだ」
薄情かもしれないが、ネフェルはジャンの母であって、俺の母ではない。
「ですが今の坊ちゃまを見ればネフェル様も安心するのでは?」
「それはないな」
と、言おうと思って、ぐっと我慢した。
かわりに別の言葉で誤魔化す。
「安心してくれれば嬉しいけど、会うのは駄目だ。じいやの言うとおり今は我慢の時だからな。ありがたいけど、もう言ってくれるな」
「申し訳ありません。出過ぎたことを言いました」
深く頭を下げるサラ。
内心、変に気を遣わせた俺の方が謝りたかった。
サラやアッシュには決して言えないことだが、母上が心を病んで療養しているのは嘘だと思っている。
ここまで得た情報と、アレックス・サーガを読んでいたからこそ知りうる知識から判断するに、ネフェルという女性はなかなかの曲者だ。
とはいえサラにはそういったことは伝わらないだろう。
彼女にとってはジャンとネフェルは、誤解と偏見によって引き裂かれた悲しい母子なのだ。
どう考えてもそんなことはあり得ないんだけどな。
――――――――――
そしてその日は静かに来た。
あっけないほど、あからさまに。
いつもと違い、アッシュは一人でやって来た。
サラはどうしたんだと俺が聞くまでもなく、じいやは言った。
「サラがいなくなりました。何者かにさらわれたようです」
「なんだって?」
俺は椅子から転げ落ちた。
「昨日もいつも通りに帰ったはずだぞ?」
「そのはずですが屋敷に戻った形跡がありません。中も荒れた様子がなく、脅迫状のようなものもなし。ただ孫だけが消えているのです。近隣の住民に尋ねても怪しいものを見たといった情報はありませんでした」
「……慣れた連中の仕業だな」
「私もそう思い、考え得る限りの場所を探したのですが……」
首を振るアッシュの顔には疲労が濃く表れている。
かつての騎士団長を途方に暮れさせるほどのプロが犯人というわけか。
「あの子の聴力は人の数倍優れておりますが、逆にその特性を利用されたのかもしれません」
「音で引き寄せたか……」
思わずペンダントを握りしめてしまう。
「今に至るまで周囲を探しましたが徒労に終わり、仕方なく屋敷に戻ると、一振りの剣と、貴方の首を切り落とせば孫を自宅に返すと記した匿名の手紙が玄関に置かれていたというわけです」
「そうか……」
誰がサラを拉致したのか、ありとあらゆる可能性を考えていると、突然アッシュが膝をつき、こちらに剣を差し出してきた。
「殿下、この剣で私を切り捨ててください」
「はあ? なんでそんなバカなことするんだ」
「孫を人質に取られた私が殿下を襲った。しかしあなたは難なく返り討ちにした。そういう事実を作り、街中に広めるのです。老いたとはいえかつての騎士団長を倒したと知ったら、相手もあなたの命を狙うことはしなくなるでしょう」
「そうか……。そういうことか……」
俺は深く溜息を吐いた。
今わかった。
これがジャンの最初の殺人。
その真相だ。
もの凄くホッとした。
アッシュは俺を殺したくて殺そうとしたわけじゃない。
嫌っていたわけじゃない。憎んでいたわけじゃない。
仕方なく殺そうとした。
そしてジャンはアッシュのリクエストに応えたのだ。
生きるために。
だけどな、本物のジャン。
悪いが俺は同じ道を進まないからな。
「いい考えとは言えないな。ここでお前を殺したところで、捕まっているサラは間違いなく消されるぞ」
「サラは幼いながら既に武人です。あの子も覚悟を決めていることでしょう」
「悪いが言うぞ。くだらないことだ」
俺は立ち上がり、クローゼットの中からフード付きのマントを取り出した。
「すぐ行こう。サラを助ける」
フードで顔を隠して目立たないようにする。
この状況で、呪いのジャンが歩いているだとか、悪魔の子だと石を投げられるのはめんどくさい。
ここは素顔を隠して行動するべきだろう。
塔を出ようとする俺をアッシュはその怪力で制した。
「お待ちください。どこにいるかもわからないのに闇雲に動いては……」
「いや、もうわかってる」
「なんと?」
「ネフェルだ。こんな事ができる人間は彼女しかいない。あの人が療養している屋敷の場所は知っているか?」
「もちろんですが、あの方は貴方の母上ですぞ……」
「だからこそ、やったんだよ。詳しい説明は移動しながらする。案内してくれ」
そして俺は外に出た。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます