第2話 鍛える
アレックス・サーガのラスボスであるジャンは初登場の時点で二十代前半で、その時点ではベルペインの端にあるイングペイン地方の城主でしかなかった。
そこから自分の父を殺して国を乗っ取ると、あれよあれよと大陸を制覇していって巨大な帝国を作り上げるのだが、そもそも目的が人類の滅亡だから、政治には一切興味を示さない。
ジャンの無関心によって荒れ果てていくベルペイン国を救おうと立ち上がったのがアレックスであり、ジャンとアレックスは作中で何度も剣を交えることになる。
第三巻くらいで、ジャンは自分の幼少期についてアレックスに語ったはずだ。
「私が生まれたとき、喜んだ人間は一人もいなかった」
そう。
確かに実母であるネフェル王妃は生まれたばかりのわが子を見て叫んだ。
「早くその気持ち悪いのを捨てて!」
父のノヴァク王も、この場で息子を殺したものには褒美をやると叫ぶくらいに取り乱す。
だが王の命令にもかかわらず誰も動こうとしない。
泣き叫ぶ赤子の目を見れば、呪われた悪魔の子に違いない。
可哀相だが、王の指示通り殺したほうが国のためになるとはわかってる。
だがしかし、殺したことでこの世界の地下に眠る万を超える悪魔が一斉に復讐に来るのではないか。
そう思うと怖くて手が出ない。近づくことすらできない。
困り果てたノヴァク王は、実に国家予算の三分の一に迫るほどの金銀を褒美にとらすとまで宣言する。
法外な褒美に目がくらんだ側近が毒の入った水綿をジャンの口に近づけたとき、アッシュじいさんが叫んだ。この時点ではベルペインの騎士団長だ。
「愚かな! この世に呪われた子など一人もおりませんぞ!」
さらに魔術師たちも、ここでジャンを殺したら悪魔を怒らせるからやめましょうと脅えながら進言したので、王は息子を殺すことを諦め、幽閉することにした。
そして俺を産んだネフェル王妃は心を病んでしまい、王宮を出て別荘で療養することになり、王はそんな妻を励ますようなこともなく、新たな妻を別の国から招いたと、まあ、そんな流れだ。
王に対して「愚か」と叫んだアッシュは騎士団長の任を解かれ閑職に追いやられたが、それでもなおジャンを家族ぐるみでサポートし続けた。
窓も明かりもない幽閉先の塔を人が住めるくらいに改装し、食事から着るもの、果ては人並みの教育と魔術、剣術まで仕込んだ。
ジャンにとってアッシュは育ての親、命の恩人、武術の師匠というわけだ。
そのじいやをジャンは殺す。
「それが私の最初の殺しだ」
誇らしげに語るジャンに向かって、なぜそんなことをしたのかとアレックスは問いただす。
ジャンはすぐに答えた。
「言ってもわからんよ」
このシーンはわりと強烈で、勇者アレックスが狂王ジャンに対する見方を変えるきっかけになる場面だが、これ以降、ジャンの幼年期の話は出てこない。
だから俺もそれ以上のことは知らない。
それでも殺す瞬間は必ずやって来る。
だからこそ誓った。
「決してじいやを殺さない」
ではどうするか、足りない頭をフル回転させて必死で考えた。
ここで「人類皆兄弟、愛こそすべて、ラブアンドピース」なノリで生きていくのは危険だ。
忘れてならないのは、この時点でジャンの味方はアッシュだけであり、それ以外の連中は悪魔の子ジャンが死んでくれることを待ち望んでいるということ。
いつ誰に襲われても不思議じゃない。
だからジャンは殺した。
生きるために、自分に害をなそうとした連中を殺してきた。
これこそがやがてラスボスになる男、ジャンの幼少期なのだ。
だが俺としてはそんな生き方を選ぶ度胸も根性もない!
とはいえ自分の身を守るために強くなる必要はある!
つまり身につけるべきは護身術!
鍵を握るのは幽閉場所の近くにあるグラックス家の書庫だ。
過去を振り返らない今の王家にとっては無価値な施設だけれど、ここには先人の知恵と技術が詰まっている。俺にとっては宝の山だ。
ゆえに俺は血眼になって書庫から役に立つ情報を追い求めた。
なにせ時間だけはある。
乱読と熟読を繰り返し、とうとう四つの要素に辿り着いた。
電撃。
睡眠。
煙幕。
そして体術。
論より証拠、ひとつずつ試してみよう。
――――――――――
「おい! また外に出やがったか!」
書庫から出てきた俺の前に、三人の屈強な男が近づいてくる。
ご近所の皆様方である。
都の端っこで大人しく暮らしていたら、昔話に出てくる悪魔に良く似た子供が引っ越してきたのだから、彼らからしたら冗談じゃない話。
ただの迷惑。
ただの邪魔者。
ただのゴミ。
とはいえ彼らは気づく。
王の息子なのに、嫌悪感を丸出しにしてあからさまに差別しても、父親のノヴァク王は怒ったりしないのだ。
殺さない程度に痛めつけるなら罪に問わない的なスタンスでいることに気づいたご近所の方々は、まだ小さいジャンに小さな暴力を日常的に浴びせ続けたという。
「ここから消えろってんだよ!」
俺の姿を見るだけで腹が立つらしく、近づいてきて囲むと、肩や足に蹴りを入れてくる。
「もう姿を見せるなと言っただろ」
「もう塔から出ないと誓え」
「なんならここで舌を噛んで死んでくれや」
確かに悪魔の子が近所に幽閉されてきたらたまらんだろうが、俺だってここに来たくて来たわけじゃない。文句があるなら俺じゃなく父のノヴァク王に行って貰いたいもんだ。
「塔を出るのもここで自殺するのも無理だ。やることがあるんでね」
口答えすると男たちは一斉にわめき散らす。
「ここで殺したって構わないって言われてんだぜ!? ああ?!」
「やったんぞ、おらあ!」
「ああおら、ええおら!」
「なら殺せよ」
俺は強気だ。何しろ呪いの子である。
「悪魔が報復に来るぞ」
そんなことあるわけないが、ここで暮らす連中にとっては抜群の脅しになる。
「ぐっ……」
「んだよこいつ……」
怖じ気づいて逃げようとする。
だけど逃がしはしない。
「ならこちらから行かせてもらう」
早速、試してみた。
パチンと指を鳴らして拳に電撃を貯めると、連中の体にちょんちょん触れていく。
「あぎゃっ!」
「うおがあっ!」
「どふぇ!」
情けない悲鳴とともに倒れ込む男たち。
まるで陸に打ち上げられた魚のように地面をピチピチ跳ねる。
きつそうだけど、死んではいない。
その姿を見て俺は大いに満足した。
「よし、スタン攻撃成功だ」
――――――――――
さて次行ってみよう。
何しろ歩いているだけで敵がわんさか出てくる。
半グレの連中をマヒさせたあと、現れたのは十人の子供たち。
「あくまー!」
「しね~!」
「きえろ! きっえっろ!」
まるで節分の豆まきのように、楽しそうに石を投げてくる。
体のあちこちに石が当たり、おでこや腕から血が流れてきた。
体のどこに当たるかでポイントを競う遊びをしているようだ。
頭に当てたら3ポイントで、それ以外は1ポイント。股間に当てたら10ポイントという子供らしくて馬鹿馬鹿しい遊び。
「ったく」
痛いというより、呆れてしまう。
この国にはろくな人間がいない。
「ジャンも可哀相に」
毎日こんなんじゃ、おかしくもなるだろう。
とにかく俺はガキどもをひと睨みした。
本に書かれていたとおりの呪文を心の中で念じながら。
すると。
「スア……」
「ふわあああ」
「ねむ……」
ひとり、またひとりと、その場に座り込み、静かに眠っていく。
どうしたんだいと駆けつけてきた親たちも、ついでに眠っていく。
この術には連鎖の効果がある。
人が欠伸をするのを見たらそれが移っちゃった的な奴。
「よし、これも上手くいった」
さすがはジャン、やがてラスボスになる男。
ポテンシャルが半端じゃない。
これはとても難しい術だからできなくても本の責任にするなと作者が注意書きするような術まであっさりこなしてしまう。
個人戦では電撃を使い、電撃を使うのをためらわせるような女性、子供、老人などには睡眠魔法で眠らせる。
ここまでは上手くいった。
さて三つ目の要素は、煙幕だ。
――――――――――
「殿下! どういうおつもりです!」
アッシュが大慌てで塔にやって来た。
「苦情が来ております! 電気を浴びただの、眠らされただの、呪いの言葉をくらっただの。なぜそうまで嫌われるようなことをするのです……」
悲しそうなアッシュを見ると胸が痛むが、仕方ない。
だって試したかったんだもん。
「すまない。けど呪いの言葉なんか呟いてないぞ。それは濡れ衣だ」
「それ以外のことはやったのですな……」
深い溜息を吐くアッシュのまわりを白い霧が包んでいく。
「む……?」
ただならぬ気配を感じたのだろう。アッシュはかつて騎士だったときの顔になって周囲を睨みつける。
「これは……?」
どこからともなく湧いてくる大量の霧。
一歩先の視界すら奪い、進むことをためらわせる。
霧は塔の中に充満し、やがて外に漏れ出し、周辺の町並みも白く包み込む。
「殿下……、これはいったい……?」
戸惑うばかりのアッシュ。
実を言うと俺はじいやのすぐ後ろにいた。
霧のおかげでじいやは気づいていない。
「どこにおられるのです?」
すぐ後ろにいるというのに、まだキョロキョロ首を動かしている。
これがチャンスとばかりに接近し、ベルトにぶらさがった塔の鍵を奪って驚かせてやろうと思った。
しかし、さすがは元騎士団長。
考えるよりも先に体が自然と動いたのだろう。
俺の腕をしっかりつかむと、軽快かつ鋭い内股で俺を横倒しにする。
「あいでっ……!」
咄嗟に受け身をしたので深刻なダメージはなかったが、投げられた衝撃で、俺が作り出した霧は一瞬のうちに消えて無くなった。
「こ、これは失礼しました! つい反応してしまって……」
膝を突いて謝罪するじいやに気にするなと言ったあと、俺は頼み込んだ。
「アッシュ、その技を俺に教えてくれ」
「なんと……?」
「俺は剣を持って戦うことはもうしない。そのかわり、相手から戦意を奪うための体術は徹底的に覚えたい」
そう、これが四つ目の要素。
魔法だけでなく、己の体で自らを守るのだ。
「いったいどうされたのです? ここ数日のあなたはまるで人が変わったようになられたが……」
「まあ、あまり言うな」
本当に人が変わったんだよとは口が裂けても言えない。
「いつまでも、ふてくされていては時間の無駄だ。お前にも色々迷惑をかけた」
「お、おお……」
ここでアッシュ爺さん、まさかの男泣き。
「よくぞ申された……。その若さで理不尽を受け入れ、前に進むのは並大抵のことではなかったでしょうに……」
こんなに泣かれるとなんだか恥ずかしい。
「体術を教えてくれるんだよな?」
「もちろん。私のすべてをあなた様に伝授いたしましょう!」
目を真っ赤にしつつ豪快に笑うその姿を見て、俺は喜んだと同時に、少しだけ暗い気持ちにもなった。
いつかこの老人を殺す時が来る。
どんなタイミングでそれはやって来るのだろう。
やがて最狂となるジャンという男の戯れ、あるいは狂気で意味も無く殺すのか。
もしそうなら、俺が殺さなければいいだけの話だから、それで解決する。
しかし、アッシュの方から俺を襲ってくるとしたらどうだ?
そうなったときのために、俺は強くならなきゃいけない。
じいやに殺されないために、じいやを殺さないために。
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