2-3


「準備なさい、今すぐに向かいますわ」


 ばんっと執務室の扉を開けば、ユディングにじゅうめんを向けられた。

 眉間の皺も深く、口はぎりりと固く閉じられている。


 だが彼がげんになろうが知ったことか。

 こちらはしっかり怒っているのだから。


「こんばんは、陛下。お食事の時間ですわ。こちらにご用意させていただきますわね」

「は?」

「いやあ、妃殿下が来てくださって助かりました。では、後はよろしくお願いします」

「は……いや、おい、サイネイト?」

「俺は先ほど散々忠告しましたよね、しっかりときもめいじてください。女性を怒らせると怖いんですよ」

「ま、待て」


 初めてユディングの弱々しげな声を聞いた気がしたが、表情は全く変わらない。

 開けた扉をサイネイトがていねいに閉める。


 執務室には二人きりだ。


 テネアリアはソファの前のローテーブルに食事を並べて、にっこりとユディングに微笑みかけた。

 だが、彼はせいだいにのけぞる。


 失礼な。まだ何も言っていないのに。


「食事の用意が整いましたよ、こちらへどうぞ」

「あー、まだ仕事が……」

「急ぎの分はないと聞いています」

「…………」


 有無を言わさずに押し切れば、ユディングは盛大にため息をついてしぶしぶとソファに座る。


 テネアリアはすかさず、彼の隣にこしかけ、ぴたりと腕にくっついた。服の上からでもわかるたくましい腕のかんしょくたましいふるえるが、きっちりとふたをする。


「……近い、んだが」

「私、陛下の妻ですから。これが適切なきょですわ。お昼だってこうしてくださいましたでしょ。それよりも、こちらを先に召し上がってくださいな。食前酒になります」


 グラスを押し付けると、彼は無言でそれをあおった。


「次はこちらの前菜を。はい、どうぞ」


 皿に盛られた前菜のうちの一つをさじに載せて、彼の口元に持っていくと彼はぱくんと食べてくれた。


「おいしいですか」

「いや、味はしない……」


 昼と同じ返答に、テネアリアはがおを作った。


「おいしいですよね?」

「うん」

「よろしい。では、次はこちらですわ。テリーヌになります」

「うん」


 次々口元に運ぶと、彼は頷いて食べ続ける。

 おいしいかと聞けば頷く。なんとも素直なことだ。いつか心の底からおいしいと言わせてみたい。もっとわがままなことを言えば、自分と一緒だからおいしくなるのだと言わせてみたい。けれど、今はこれで十分満足だ。


 表情は渋面のままだが、サイネイトいわく困っている顔ということなのだろう。

 ここに来るまでに怒っていた気持ちがしぼんで、思わずしょうしてしまう。


 食事がデザートにまでおよんだところで、とうのように口元へ運んでいた手をようやく止める。


かんはそんな顔をして食べる物ではありませんわ」


 眉間の皺をばすようにそっと額にれて縦に指を動かせば、紅玉の瞳がこぼれんばかりに見開かれた。


「お前は、俺が怖くないのか」

「怖い、ですか? いいえ、全く」


 むしろ飼い犬を可愛がっているような心境だ。

 犬を飼ったことはないが、飼っている家なら見たことがある。


「……変な女だな」


「陛下の妻ですわ。こんな妻はお気に召しません?」


「ん、いや、俺がどうというよりも……どうにも信じられないな。お前は俺のことを知らないだろう。わりと人殺しだ、物心つくころからの。戦争ばかりしているし、見た目もあっみたいだろう。まあ、お前は見た目は怖がらないようだが。世間知らずだからか?」


「陛下の瞳は、宝石を溶かし込んだかのような、夕焼けのくれないのような、綺麗な紅玉ですよ」


 二人の身長差からどうしてもテネアリアがユディングを下から見上げる形になる。そうすると光の加減からか色味が変わるのだ。ちらちらぬすているテネアリアが言うのだから間違いはない。


 心意を述べれば、彼はふ、と口角を上げた。


 彼なりに面白がっている表情なのだろう。わりと希少だ。おがたおしたい。

 だが、続くユディングの言葉には打ち震えた。


 おもいかりで。


「はっ、この瞳は血の色だ。せんけつの色だろ。母の命をうばって産まれた罪人のあかしだからな」


「なんです、そのばなしは。どんな物知らずに言われたのか知りませんが、山間の光の届きにくい場所には同じような瞳の方がたくさんいますよ。ここまで綺麗な赤色はいませんけど」


とうで暮らしていたと聞いたが……? 見てきたかのように言うんだな」


「……誰かが話していたのを聞いたのです。ですから、陛下。それはお母様から受け継いだものであって陛下の価値をおとしめるものではありません」


 きっぱりと断言すれば、彼はふっと表情をゆるめた。はっきりとやわらいだ顔に、テネアリアは心の中でひれしてあがたてまつる。


 ――尊い!


「戦好きなのは本当なんだがな」

「それは陛下の生きてきたかんきょうのせいであって、個人のこうではございません」

「それも見てきたかのように言うんだな」

「勉強しました。嫁ぐ国のことですから」

「勉強熱心なことだ」

「私を助けてくれたえいゆうさまの国のことですもの。愛しいだんさまの国のことだからです。ね、陛下。私は貴方あなたを愛しているのです」


 何があったとしても、テネアリアのこの気持ちだけはるがない。

 テネアリアは彼を心底、愛している。


「だから、それが、どうにも信じられない」

「信じられないなら信じてくださるまで何度でも言います。私、テネアリアはユディング様を心から愛しているのです」

「俺には愛情というものがわからない。お前はどうしてその気持ちが愛だとわかるんだ?」


 紅玉の瞳にはじゅんすいな光しか見えない。心の底から不思議なのだろう。

 

 本当に困った人。そして、とても愛しい人だと思う。

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