2-4

「ご存知のように、私は高い塔のてっぺんに閉じ込められて、外界とへだたれた場所で育ちました。関わる人といえば、侍女のツゥイを筆頭に数人だけでした。私は両親からの愛情もこいびとへのれんじょうも知りません。せまい世界で生きていた。だからこそ、あの塔から出してくれる人をずっと夢見ていました。そうして貴方が求めてくれたのです」


 父はおろかな男で、母は可哀かわいそうな人だ。間違えないでと自分に言った母の姿を見ているから、そこに愛情がないのはわかる。


 テネアリアにとっての家族はいっぱんてきなそれとは異なる。父母は血をさずけてくれただけの存在であって、愛情を与えるような者たちではなかった。


 だからといってテネアリアが悲観したかと言えばそんなことは全然ない。ただサイネイトの話によれば、家族とえんうすくて病弱なひめしょもうされているのだから、先方の希望に沿うように演じることは重要だ。


 三年前からだが、塔から連れ出してくれる英雄を待っていたのは本当のことだし――。


 テネアリアは心の中で付け加えた。

 真実がふくまれていれば問題ないと考える。

 そもそもこの縁談自体が仕組まれたことなのだ。ユディングは何も知らないけれど。


「サイネイトが調べて勝手に求婚したんだ。むかえを手配したのもあいつだぞ。俺は何もしていない」


「それを今、言います?」


 そういうことは、正直に言わなくてもいいのに。


 可哀想な姫の夢をこわさないようにしようとかいうはいりょなんて思いつきもしないのだ。

 家族との縁が薄くて病弱で、わりと不幸なきょうぐうの少女をよそおったのは無駄だったのか。

 ユディングはあまり考えを口にしないので、思考が読みにくい。効果がないとなると計画を見直さなければならないのだが……。

 少しだけ傷ついたように告げれば、彼の眉間の皺が深くなる。安定の困り顔だ。はたから見れば不機嫌にしか見えないが。

 可哀想になってテネアリアは苦笑しつつ答えた。


「知ってましたよ、そんなこと」


 愛しい旦那様には甘くなってしまうものだなと自身をわらいながら。


「なに?」


「きちんと知っています。陛下が知らないうちに求婚話が出て、やっぱり知らないうちにこんいんが進められて、のこのこ私がやってきたってことくらい。心の準備も整わないうちに私が貴方の目の前に来ちゃったってこともわかっています。それでも、私の夫は貴方だけだったから。一目惚れだって言ったじゃないですか」


「やっぱり信じられない」


「今は信じてくれなくてもいいですよ。私が勝手に貴方を愛しているのですから。貴方はただ一人ひとりの、私の愛しい英雄様です」


 テネアリアはぎゅっとユディングのおなかに抱き着いた。硬い筋肉でおおわれた腹の熱を感じてくふふと笑う。

 触れると現実だと実感できる。幸福感が増し増しだ。


「ひ、姫!?」


「私は貴方の妻なのですから、名前で呼んでいただきたいわ」


「……名前」


「テネアリアです。そのままでもテネーでもアリアでもアリーでもお好きにどうぞ」


 あいしょうを呼ばれることなど今まで一度もなかった。そもそも、自分の名前を呼ぶ人もいない。ツゥイすらほとんどけいしょうで呼んでいた。

 だから、彼にならなんとでもんでほしい。それがとても特別なことだと知っているから。


 ワクワクしながら見上げれば、心底困り果てたきょうあくがおがあった。


はなれてほしい、んだが」


「名前を呼んでいただけるまでは陛下のお願いは聞きません」


 グリグリとほおをくっつけてまった胸をたんのうする。なんだか控えめな花のさわやかないい香りがする。彼がつけているこうすいだろうか。

 それとも服にめられている香だろうか。


 身だしなみなんて気にする男ではないので、サイネイトあたりが気を利かせてさいはいをとっているのだろうとは思うけれど、なんていい仕事をするのだ。

 うっかりときめいてしまったほどだ。

 温かい体温を感じればそれだけで、幸せな気持ちになる。


「みだりに男に触れるのは、よくない」


ふうはいちゃいちゃするものだって聞いています。だから、これは大事なことなんです。移動する時に妻を抱えるのもその一つです」


「そうなのか?」


「そうですよ。大体、結婚したのに初夜も済ませてないとか問題大ありですわ。あ、今からでもいいですよ」


「初夜!?」


「なんです、初めてってわけでもないんでしょうに」


 二十六さいの男がどうていのはずがないという情報は得ている。だから、そんなに狼狽うろたえる理由がわからない。

 ぱちくりと見上げれば、なぜだか絶望的な表情をした皇帝がいた。


「いや、お前からそんな言葉が出るとは思わなくて……何をするのか知っているのか?」


「ばっちり実地で勉強済です」


「実地で!?」


 口から魂が飛び出るのではないかというほどに驚きを見せた夫に、テネアリアはあわてて否定する。


「あー、いえ、をはりました。清らかな乙女おとめですわよ。でも勉強しましたからご心配なく。今から準備してきましょうか?」


「…………かんべんしてくれ」


「あら、乙女の本気を無視されるの? わかりました、今すぐ準備をしてまいります!」


「待て!」


 がばりと体を離すとぎゅっと腰をつかまれた。こうりょくだが、かなりうれしい。


「……時間をくれ、テネアリア」


 思いのほかやさしげに呼ばれた名前がをくすぐる。

 それだけで幸福の絶頂のようなここがした。


 もちろん彼のこんがんには笑顔で応じる。きょするなんてせんたくはあっさりと吹っ飛んだ。


「かしこまりました!」


 その後、ユディングがデザートを食べ終わるまでお腹にしがみついていたのは言うまでもない。




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