1ー5



「まあ、その方が夫になついてくれるから好都合でしょ。あんな可愛い姫に惚れられるなんて役得と思っておけばいいじゃない。家族の代わりに大事にしてあげればいいんだよ、それは夫になったお前の役目だ。少なくともこの国に来るまでの俺の配慮はかんぺきだからね」


 東の島国の位置を確かめたことはないが、ぼんやりと大陸の地図を思い浮かべれば少なくとも三か月はかかる長旅だ。それをつかれた様子もなく、この城に辿たどいたのだから、確かに本人が言うようにサイネイトが色々と配慮したのだろう。


「迎えの騎士団も用意したし、帝国領に入ってからは各地の領主の館で体を休めてもらった。長旅だが、それなりに誠意を感じてくれたのかもね。我儘一つ言わないらしい姫だと報告を受けているよ。今日も宿しゅくはく場所の地方領主の館からしゅくしゅくと花嫁衣装をまとってやってきてくれたわけだし、ひとまずこちらの対応にぎわはないはずだ。今日のお前の態度以外は」


「………………」


「ここまでおぜん立てしてやって、花嫁を泣かせてみろ。お前のしりを蹴り飛ばすくらいじゃ済まないからな。いいか、絶対に逃がすんじゃないぞ。つかの平和でお前の妻に納まってくれそうな相手を探すのは本当に大変なんだから。彼女の代わりはいないんだ、きもめいじろ」


 彼は温和そうな見た目に反して好戦的だ。わりと行動で示す。

 サイネイトがやると言ったらやるに違いないとはわかっている。


「晩餐くらいは落ち着いて食事をさせてやってくれ」


「え、いきなり初夜で会うつもりか?」


「違う! 今日一日くらいはゆっくりさせてやってくれ」


 ユディングだって好き好んで泣かれたいわけではない。

 初めて会った時には泣かれなかったが、次に会えば泣かれる可能性もある。

 それに三か月も旅してきて、病弱ならきっと疲れがたまっているはずだ。

 なぜ着いて早々婚姻式をしてしまったのか。せめて今日はこのままゆっくりと体を休めてほしい。


「はあ、ほんとどうしたんだよ。戦場では怖いものなしだろうが。あんな可愛い姫君にビビってんの? まあいいさ、今日くらいはかんべんしてやろう。ただし晩餐で会わない分だけ次に会うハードルは上がるからな。そもそもお前は彼女を助けた英雄なんだから、惚れられた男らしくどんと構えてればいいんだよ」


「この前から、なんなんだそのおとぎ話のような言い方……」


 サイネイトが現実主義なのは知っている。

 だというのに彼には全く似合わない童話めいた言い回しを口にされて、かんすさまじい。


「姫様の国の言い伝えなんだよ。高い塔に幽閉されていた姫が英雄に救われて恋に落ちるって話。よくわからないが、あちらの国の『慣習』にもなってると聞いたな。求婚するなら親から出された『試練』をクリアしなきゃならないらしい」


「俺は何もしていない」


 敵をたおしたわけでも、姫の国に行って求婚したわけでもない。

 なのに、なんでそんな話になってるんだとユディングは内心で頭を抱えた。


「それでもこうして求婚を受けて嫁いできてくれたんだから問題ないということだろう。それに彼女がお前に恋してるのは間違いないと思うけど?」


 サイネイトがあっさりとばくだんを放り投げてきて、ユディングは心臓がつぶれるような思いがした。


「…………」


「よかったじゃないか、惚れさせる手間が省けて。お前が誰かを口説くどくなんて正直想像できなかったから安心したよ。あんなれんな姫様にうるうるした瞳で見つめられてたんだから自覚くらいしただろう。一体なんの問題があるっていうんだよ」


「大ありだろ。はっ、わかった。なんだか俺がいい人に見えるように思いこませたんだ、すぐに彼女に現実を突き付けて目を覚まさせて――」


「どう現実を突き付けるつもりだ。彼女の目の前で気に入らない臣下を斬り殺しでもしたら、本気で尻を蹴り飛ばすぞ! まあ、お前が混乱してるのはよくわかった。ついでになっとくできないなら存分に疑えばいいだろう」


 そうだ、ユディングには好かれるというこうが全くわからない。


 母は自分を産み落とすと同時に亡くなった。父は子どもには興味のない男だった。皇族といってもまったんにすぎない自分には、きょうだいと幼馴染みくらいしかいなかったのだ。だがすぐに乳母は病に倒れ、乳兄弟とは一緒に戦争に行き戻ってきたのは自分だけ。


 結果的にサイネイトしか自分の傍に残らなかった。


 だから、孤独はわかる。独りということだ。だが、愛はわからない。誰も教えてくれなかった。家族は死に、こいびともいない。友情だけが、少し信じられた。


 自分には理解できないのだから、妻の態度などわかろうはずもない。

 世間知らずだからとサイネイトは言うけれど、世間に慣れれば周囲の人間が遠巻きにするように、いつか彼女もユディングの恐ろしさに気が付いて、離れていくのではないだろうか。


 それを想像しただけで、どこか胸が潰れるようなここがした。

 ならば自分から突き放せばいいものを、どうしてかあの青から緑に変化するキラキラした瞳をまっすぐに向けられると、何も言えなくなるのだ。


 おかしい。怖いもの知らずの自分が、恐怖を感じているとか。

 あんな小動物みたいな姫に、一体何を恐れることがあるのだ。


「そういえば、彼女の瞳は青緑色だったな」


 ふとユディングは先ほど見た少女の瞳の色を思い浮かべた。

 サイネイトからは虹色と聞いていた。


「確かに、報告とは異なるな。虹色って不思議な色だなと思ったけれど、でも青緑色でも綺麗な色だよ。たまに青みが強く出て色が変わるところなんて神秘的だしね」


「そんな真近で見たのか?」


 ユディングが彼女の瞳の色が変わることに気付いたのは抱き上げた時だ。光の加減かと思ったがそうではないらしい。抱えてほしいと頼んできた時は緑色が強く、ユディングの頭を撫でた途端に青みが増した。だがそれは近くにいたから気付いたことだ。


 そんなきょで二人はいつの間に何をしたのだ。


「お前が妃殿下を落とさないように、傍で見守ってたんだろうが」


 げんなりとした表情のサイネイトを見て、胸のムカムカが少し落ち着いたのをユディングは首を傾げつつ気のせいかと思う。


「まあお前をからかうのはここまでにしといてやる。それより真面目な話だ。お前の婚姻で大人しかった貴族どもがうごめきだした。デキラ侯爵はまえれのようなものだな」


「なぜだ?」


「婚姻で浮かれてすきができるとでも思ったんだろう。お前が今日、彼女を殺さなかったというのも大きい。化け物が多少は女で懐柔できるかもしれないと希望をいだしたのかもな」


「馬鹿馬鹿しい。わざわざ遠い島国から呼びつけた女の首を刎ねる理由がない」


「そこはお可愛らしい妃って言えよ。まあ、ぞうぞうの考えることなどたかがしれているが、筆頭はお前のさまだ。あの人は本当に要所要所で動き出すな。証拠がないのが本当ににくらしい」


 ユディングはにゅうな叔父の顔を思い浮かべて、思案する。

 いつものらりくらりと躱されるけれど、彼は王族で唯一のけつえんしゃだ。


「お前のいちゃいちゃしんこん生活にひびくかもな」


 真面目な話をするのではなかったのか、とユディングは渋面を向けながら心の中でつぶやくのがせいいっぱいだった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る