第一章 物語はご要望に応えて

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 きりぶかこうとして有名なジャイワの街のいしだたみを一台の馬車が進む。

 白を基調とした優美な箱馬車はからりからりと車輪を回して、皇城へと向かう道をひた走っていた。

 大陸の西半分をめるツインバイツていこくの皇帝との婚姻式を行うためだ。


 箱馬車の周囲はくっきょうたちがすきなく取り囲んでいる。物々しいふんに、こんれいはなやかさなどじんもない。むしろあわれないけにえげないかと見張るかのようだ。

 皇都のかいどうにはかざけた花もなく、皇帝の結婚を祝う出店もなければかんげいする人々もいない。


 ただ息をむようにひっそりと大通りをひた走る馬車を見送る視線があるだけだ。

 それを窓に取り付けられたうすいレースのカーテンのすきからちらりとながめて、テネアリア・ツッテンは泣き暮れる――のではなく、幸せをめていた。


 純白のごうしゃはなよめしょうに身を包み、心はどこまでもふわふわと落ち着かない。皇帝の前ではヴェールを下ろして顔をかくすが、今は旅を楽しむために上げている。豊かながねいろかみれいげられヴェールに隠れているが、真夏の湖面を思わせる青緑色のひとみこうあふれ、きらきらとかがやきを放つ。そのそうぼうは馬車から見える景色に向けられていた。


ひめさま、やっぱり帰りましょうよぅ……」


 馬車のとうちゃくさきを想像するだけでにまにまとくずれそうになる顔を必死で整えていると、向かいに座ったゆいいつ自国から連れてきたじょが、今にも泣き出しそうな顔で必死に視線を向けてくる。


 テネアリアが幼い時から世話をしてくれている侍女だ。茶色の髪にブルネットの瞳を持つへいぼんな女性ではあるが、とある一点の理由のためだけにこうしてとつぐ際にもついてきている。彼女の方こそ故郷をはなれて、仲のいい家族にもおいそれと会えないじょうきょうさびしがっているのかもしれない。


「ツゥイ、だから無理をせずに国に残ればよかったのに。城に着いたら、お前だけでも帰してもらえるようにたのんであげるわ」


「何言ってるんですか、帰るなら二人いっしょですよっ。ひとぎらいだしめんどうくさがりの姫様が自国のとうから出るなんて今でも信じられません。一生塔にいるものだと思っていましたから。どうしてこのこんいんを断らなかったんですか!」


「求婚されたからに決まっているでしょう。大国の皇帝に求婚されて、小国の姫が断るなんてできるわけがないじゃない。泣き暮れていないだけありがたがりなさい」


「相手は求婚の書状を送りつけてきただけですよ、我が国の『慣習』を思えば断ることなんて容易たやすくできましたよね。だというのに、ものすごく姫様のげんがいいでしょう。知っていますか? この皇都は霧の都と呼ばれるくらいに霧深いんですよ。本来ならば!」


 皇都の周辺はしょう地帯だ。日が高くのぼってもまだ霧がめると言われている。

 だが霧の都とめそやされる皇都ジャイワは、今はすっきりとわたり、真っ青な空もゆうなレンガ造りの街並みもはっきりと見える。

 霧の中にたたずむ皇都のげんそうてきな光景などどこにもないのである。まるでこの婚姻が、喜びに満ち溢れたものだと気候の方が物語っているかのように。


「なによ、ツゥイったらそんなに観光したかったの。それなら休みをあげるから、明日の朝を楽しみにしていなさいな。さすがに早朝なら霧深いのではなくて?」


ちがいますっ、なんで姫様がそんなに機嫌がいいのかって聞いてるんです。祖国から遠く離れた戦争ばかり起こしている帝国の皇帝の元に嫁ぐことが決まってから、ずっと機嫌がいいですよね。この国の皇帝がなんて呼ばれているかご存知でしょう。れのあっいくさきのオーガ、くびり皇帝ですよ!?」


 ツゥイは図太い神経をしているが、血は苦手なのだ。

 この婚姻が決まった時から、ずっとふるえているのは知っていた。だからと言ってきょうけたたんに、おこり出すのはいかがなものか。


「さすがに帝国の騎士に囲まれているのに、そんな言葉を大声でつらつら述べる貴方あなた太い神経にあきれるわ。いいじゃない、格好いいわよ」


「格好いい……? 豊かなじょうがほしいとりんごくいくさけ、鉱山があると聞けば土地をうばい、がいればごうだつして一夜が済めばなぶり殺し……ほしいものは力ずくで奪っているなんてうわさのある男ですよ。殺した敵大将と気に入らない臣下の首を狩り取って部屋に並べ立てて飾るようなばんな男なんですよっ。これは絶対に帰るべきです!」


「あくまでも噂でしょ。ツゥイも実際に見てから言いなさいな」


「その確信した顔は、噂をご存知なんですね。すべてを知っていて、それでも格好いいとおっしゃる……。何をたくらんでおられるのですか。帝国の乗っ取りですか。それとも何かおいしそうな食べ物でもあってどくせんしたくなりました? 先に言っておきますが、食べ物はすぐに食べきるんですからね!」


「お前は一体主人をなんだと思っているの。安心してちょうだいな。高い塔にとらわれた病弱な姫は助けてくれたえいゆうにばっちりれるのよ。家族とえんの薄いなんの力もない島国出身の姫なんて、帝国の皇帝にめられればしゅんこいに落ちるものでしょう。たとえ相手がどれほど悪名をとどろかせていようが、愛にえた憐れな姫は惚れっぽいのだから」


「何を言ってるのかよくわかりませんが、姫様がその古式ゆかしきえいゆうたんをぶちこわしたのですよね? 塔の『試練』にこの国の皇帝はいどんでいませんし、姫様も助けられてなどいないのですから。そもそも昔からおとぎ話に興味もなかったじゃないですか」


 高い塔に囚われた姫は英雄に助け出されて恋をする――自国のおとぎ話である英雄譚を持ち出した主人をしんそうに見つめる侍女に、テネアリアはただただみを深めた。


「だって、ただ待っているだけでは絶対に助けてくれなさそうだったし……」

「なんです?」


 ぽそりとつぶやいたテネアリアの声はわだちの音でツゥイの耳には届かなかったようだ。


「私もとしごろだもの。英雄様に興味があっても不思議ではないでしょう」

「お年頃、ですか……部屋から一歩も出てこずたいに過ごすことが大好きな姫様が? あれだけ私たちが話を向けても色恋なんて興味のないご様子だったのに、とつぜん?」

「お前たちが望むから寝台で大人しくしていただけでしょう。それに色恋に興味があるのは喜ばしいことじゃない。とにかく、ツゥイ! 私には野望があるのよ」


 じっとりとした視線をすツゥイに、テネアリアは意気込んでみせる。

 先方の期待にはしっかり応えるつもりだ。そのために、ずっと計画してきたのだから。


『お前はちがえないでね』


 ふと思い起こされた声に、テネアリアは知らずスカートの上に置かれた両手のこぶしに力を入れた。

 この世に自分を生み落とした母である者の言葉だ。

 帝国に嫁ぐと決まった時に、そう声をかけられたのだが、だからこそおくの中の母に向かって大きくうなずく。

 自分は決して間違えない。失敗もしない。


「やはり帝国の乗っ取りですか? ろくなことではない気がいたしますが、お聞きしましょう……」

「その噂に名高いどくな皇帝陛下である私の英雄様を、てっていてきに甘やかして幸福にしたいのよ!」

「むり、むりむりむり、絶対に無理ですって!!」


 そんな侍女の悲痛な声を、馬車の車輪が回る軽快な音がかき消したのだった。

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