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「お母様、わたしの婚約者が本日決まりました! 一緒に喜んでください!」


 新たな婚約者デミオンを連れて、リリアンは父ロナルドと屋敷に帰った。何しろ除籍されたライニガー侯爵家のタウンハウスに、彼の居場所なんてない。そこでカンネール伯爵家の屋敷に着の身着のまま連れてきたのだ。

 デミオンのことに関しては、王太子殿下がきちんとしてくれるという。と同時に、ライニガー侯爵家へのペナルティーに関しては、渋い顔をしていた。ライニガーの領地は王家にとっても大事な場所。大陸への扉を持っている、かの侯爵家がはんこうしてくるのも困るのだろう。だからこそ、王女殿下のとつぎ先にも指定されたのだ。

 しかも今夜のやらかしの片棒を、王家の姫がかついでいる。人によっては、そそのかしたのは王女側と思う貴族もいるはずだ。よって片方に重いばつあたえれば王家の求心力をおびやかす。軽すぎてもまた同じ。められるわけにもいかない。一方的にしょばつは出来ず、そうほう痛み分けとせざるを得ないのだろう。


「まあ、リリアン! その素敵な殿方はどちらかしら?」


 どうやら、うちのしつの体格が良すぎて、背後に隠れてしまったよう。執事のハリーはきょかんで執事に見えない執事なのだ。


「こちらです、お母様。こちらの殿方が、わたしの婚約者となる……デミオン様です」

「ごしょうかいあずかりました、デミオンと申します」

「まあ、ご丁寧に。ですが、デミオン様はただのデミオン様でしょうか?」


 母イーディスの目が、キラリと光る。


「お母様、デミオン様は元ライニガー侯爵家嫡男のデミオン様なのです! ただ、一言では言い表せない深い事情がありまして、現在はデミオン様なのです」

「分かりました。貴方もこの件に関してわたしに説明願いますわ」


 イーディスがロナルドを呼ぶ。その目は隠し事やしなど許さぬという、意思が明確だ。リリアンはその厳しさにどきりとする。

 ロナルドは事のあらましを、つつみ隠さず話すしかなかった。


「分かりました。デミオン様は、侯爵家嫡男の座を追われ、廃嫡除籍とされたのですね。それで、前侯爵夫人の子爵位を襲爵なされると……」


 えんたくを囲んで座る中、イーディスが息をつく。僅かに顔が曇っているのは、やはりこの話を良くは思っていないからなのか。

 食後の団らんに使用するファミリールームで、リリアンたちは話し合っていた。主な説明はロナルドがとりおこない、リリアンはイーディスの説得にあたる。


「お母様、わたしはデミオン様が良いのです! こう申しては何ですが、一方的に婚約破棄してきたホール伯爵令息よりも、ずっと誠実なおひとがらだと思うのです」

「……リリアン、貴女あなたはホール伯爵令息にも似通ったことを言っていたのよ。まあ、デビューしたばかりだったし、ちょっとおぎょうの良い殿方を見るとそう感じてしまうのも、無理ないのだけど」


 そうでしたっけ? と、リリアンは首をかしげる。しかし、考えれば考えるほど、そう指摘されても仕方がないと気がついた。リリアンの持つ前世の記憶とやらでも、年中無休で彼氏いない歴をこうしんし続けていた。そこに貴族令嬢としての生活が加わったところで、男を見る目が、養われているはずがない。


「わたしは前侯爵夫人は存知上げないのだけれど、現ライニガー侯爵夫人は少し知っているのよ」

「どのような方なのですか?」

「そうねえ……一言で言うならば、面倒そうな方かしら? 彼女はきっと、前侯爵夫人を快く思っていないわ。まあ、だからデミオン様もご苦労されたと思うのだけど」

「ああ、現侯爵夫人はお綺麗だけど、雰囲気がどうも苦手かな……僕も。うちは伯爵家だし、あちらと領地が近いわけでもないから、ごあいさつなんてそうそうしないんだけど、夜会で遠目に見るからね。華やかではあるよ」

「そうね、綺麗な大輪の花よ。その根まで美しいかは分からないですけど」

「お母様はわたしが面倒な方に目をつけられると思っているから、反対するのですか?」

「できたら、問題が欠片かけらもなく、石やくぼみのない整った道を歩いて嫁いで欲しいと思っているわ。だけど、それがとてもぜいたくな願いだとも知っているの。生きていれば、大なり小なり面倒ごとが起きるでしょう。親というのは庇いたくとも、それを全て庇ってあげることもできないの」

「カンネール伯爵じん。よろしいでしょうか?」


 デミオンがイーディスの方を向く。


「今の俺では、何とおごったほどらずの若造とお思いでしょう。けれども、俺は俺自身を信じてくれたカンネール伯爵令嬢へむくいたいと思います。そのために、出来うる限り彼女を守るつもりでいますし、たとえかつて家族だった者と敵対するとしても、ひる|まずたてとなるつもりです」

「これは随分と大きなことを言う婿殿だね。君とリリアンはけいやくけっこんする仲なんだよ。なのに、僕の役割をうばってしまうのかい?」

「貴方……今からそんなことを言っては、この先もちませんよ」


 ロナルドとイーディスが顔を見合わせる。


「リリアン、わたしは貴女の判断に委ねるわ。ホール伯爵令息の時も同じようなことを言っていたけど、彼と今回の彼は違うようね。まず間違いなく、ホール伯爵令息はこんなこと言わないでしょうから」

「じゃあ……お母様良いのですね!」

「ええ。契約結婚と言い出したのは、貴女なのでしょう? ならば、責任がありますしね。リリアン、そのことをよく考えるように。……母としては、今度こそ上手くいくことをいのってます」

「ありがとうございます!」

(大丈夫、わたし今回は考えているから。それに今回は契約結婚だもの、きっと前みたいな失敗はもうしないわ!)


 そう改めて、リリアンは決意した。

 宴の後なので、話が終わる頃にはもうおそい時刻となっていた。ろうでリリアンとデミオンはお別れだ。

 側にはボディガードのように、逞しい執事のハリーが直立している。リリアンたちは婚約を認められたとはいえ年頃の男女なので、ふたりきりにはなかなかなれない。アランにカフェで婚約破棄された時も、個室には店付きのメイドがへきめんひかえていたものだ。


(あら、そうすると……わたしの婚約破棄って、ちょっとした公開しょけいみたいなものなんじゃ? あの店に行ったら、あの人婚約破棄されたあとにプロポーズを見せつけられたの

よって、笑われたらどうしよう)


 リリアンはしばらくベニエの店には行かないと誓う。食べたい時は使用人にお願いして、買ってきてもらうのだ。

 執事のきょたいの陰で、リリアンは彼に微笑ほほえむ。


「デミオン様、ありがとうございます! 母を説得してくれて」

「いえ……説得などと言うほどのものではありません。あれは今の俺の本心です。貴女は信じてくれると言った。ならば俺はその気持ちに応えたいですし、報いたいです」


 その言葉に、リリアンはあんする。自分の人を見る目はいまいちらしいが、今回ばかりは大正解だったのではないかと思う。


(ほら、やっぱり彼はすごく良い人だ。そして真面目で、信頼に足る相手だよ。まだひょろひょろだけど、明日からはわたしが気合を入れて健康にするんだ!)


 デミオンのしらと思われる髪も、やつれた目元も、本人並みにくたびれた残念な衣装だって、おさらばさせる予定だ。身体が整ったら、カンネール家がひいにしてる仕立屋で素敵な衣装をもりもり注文しよう。

 こうして側でゆっくり見れば、彼の容姿は全然問題ない。りんかくも目も左右たいしょうで、配置は完璧だ。健康になれば、見かけなんてあっという間に変わってしまうに違いない。


「デミオン様、ここを安心できる家だと思ってくださいね。わたしは二言のない淑女ですから、大事な相手は必ず守りきります」

「俺も、カンネール伯爵令嬢に相応しい人間となりましょう」

「わたしにとっては、とてもうれしいお言葉ですが、デミオン様自身きゅうくつに感じませんか?」


 相応しくなろうという気持ちは嬉しいが、それで彼が気負いすぎてしまっては意味がない。


「そういうのには慣れ……いえ、この台詞は貴女に失礼でした」


 反射的に出てきた言葉は、彼のこれまでをうかがわせる。侯爵家の嫡男として、王女の婚約者として、責任や義務をきちんと背負ってきたのだろう。

 その彼が改めて、リリアンを真正面から見る。


「出会って一日もちませんが、カンネール伯爵令嬢――貴女の名を呼んでも良いですか?」

「は……はい、喜んでー!!」


 つい、どこかで聞いたフレーズが飛び出していた。自分としたことが雰囲気ぶちこわしと思ったが、デミオンにはそうではなかったらしい。


「……そう言っていただけて、安心します。今の俺は家名も爵位もありません。だから仕方なく俺の名を呼んでいるのだろうと分かっていますが……普通に呼ばれることが懐かしくて」

「そうではありません。わたしはデミオン様と良い関係でいたいと思っているんです。家名も爵位もないことは関係ありません。名も呼ばない仲では、仲良くなれないですから」

「その気持ちが嬉しいんですよ」

「では、わたし……いっぱい名を呼びますね」


 そういうことなら、任せて欲しい。名前を呼ぶことならばリリアンにもできる。


「ええ……だから、俺にも呼ばせてください」


 少し、ほんの少しだ。咎められない程度に、デミオンがリリアンへ顔を寄せる。


「ありがとうございます――リリアンじょう


 やわらかい響きが、リリアンを包んだ。

 まくを震わせる。

 父とも母とも、それこそ屋敷の誰とも違う声。かつての婚約者よりもずっと甘い調べだと思ってしまうのは、おかしいだろうか。


(あ……あれ?)


 瞬間、胸が高鳴ったような気がする。そんな馬鹿なと思ってしまう。かんちがいだと思いたい。


「……で、デミオン様」

「何でしょう、リリアン嬢?」


 目の前の相手を、リリアンはぎょうする。しかし、何処どこにもあやしい変化はないし、清廉そうな青年にしか見えない。

 たった今ドキドキしたのは、気のせいなのだろう。


「すみません、呼んでみただけです」

「いいですよ、いっぱい呼ぶと言ってくれたので、どうかもっと呼んでみてください」


 そう言われると、リリアンもえんりょなくまた呼びたくなる。


「……デミオン様」

「はい、リリアン嬢」

「……デミオン様」

「……ええ、リリアン嬢」


 名を呼ぶ度じわじわ彼の顔ににじむものが、喜びだといいなと願う。普通に呼ばれることすら懐かしむ彼が、この当たり前を当たり前だと感じられるようになって欲しい。

 デミオンが目を細め、小さな声でそっとつむぐ。楽しい秘密をしのばせるように、優しい声がリリアンを呼ぶ。


「――リリアン嬢」

「デミオン様」


 たった一言、名前を呼ばれるだけなのに、リリアンは安らぎを感じた。互いの名前を呼び合う、ただそれだけなのに、不思議と温かい。とても大切にしてもらっている気分になるのだ。

 ふたりは契約結婚で、愛は愛でも親愛の情からあくしゅする関係を目指すだけ。でも、悪くないと思うのだ。互いを思いやる、優しい雰囲気を紡ぎたいと望むからだろう。


「本日は色々あってお疲れだと思いますから、ゆっくりたっぷりお休みください。あさぼうしても大丈夫ですからね! デミオン様のそのクマが消えるような、のんびりとした生活をしてください」

「ありがとうございます。リリアン嬢も、どうかゆっくりお休みください」


 けれども、正直まだリリアンは分かっていなかった。デミオンの今までのがんりと、その日常を。想像すら、きちんとしていなかったのだ。

 その結果、翌朝いきなりだ。リリアン付きとなっているじょのジルに、叩き起こされる羽目になる。空耳と決め込もうとしても。ばっさりととんぎ取られてしまう。


「お嬢様! リリアンお嬢様! 起きてください、お願いいたします!」

「……ふぇ?」

「起きて、起きてください! よだれは後できましょう。ああ、二度寝しないでください、本気のお願いなのです! 婿様の一大事なのです!!」


 彼女いわく、デミオンを止めて欲しいとのことだ。


(え、何それ?)


 訳が分からないまま、朝のたくが開始される。あれよとあれよという間にドレスを着せられ、寝ぼけ気味の顔を整えられ髪までバッチリだ。そして、ぐいぐいジルに押されて進んだ廊下の先には、確かに笑顔の婿殿がいた。


「おはようございます、リリアン嬢。本日も良い一日が始まりそうです」

「……デミオン様は、一体何を?」

「俺は、いつものように朝の仕事をしたまでです。でもリリアン嬢のお言葉に甘えて少しぼうをしてしまいました」


 ぽやんと、頰がほんのり染まる。


(おおう、ずかしがるところはそこじゃないです!)


 何でハタキにほうきにモップやぞうきんと、あらゆるそう用具一式をっているのだろう? 

 まさか、今から大掃除でも始めるのだろうか? いやいや、まさか。そんなわけがない。

 何度まばたきしても、やはり彼は掃除用具を背負い込んでいる。まるで前世の千手観音もかくやな姿に、リリアンはどこから突っ込むべきかとしんけんなやむのだった。

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