1-4
*****
「お母様、わたしの婚約者が本日決まりました! 一緒に喜んでください!」
新たな婚約者デミオンを連れて、リリアンは父ロナルドと屋敷に帰った。何しろ除籍されたライニガー侯爵家のタウンハウスに、彼の居場所なんてない。そこでカンネール伯爵家の屋敷に着の身着のまま連れてきたのだ。
デミオンのことに関しては、王太子殿下がきちんとしてくれるという。と同時に、ライニガー侯爵家へのペナルティーに関しては、渋い顔をしていた。ライニガーの領地は王家にとっても大事な場所。大陸への扉を持っている、かの侯爵家が
しかも今夜のやらかしの片棒を、王家の姫が
「まあ、リリアン! その素敵な殿方はどちらかしら?」
どうやら、うちの
「こちらです、お母様。こちらの殿方が、わたしの婚約者となる……デミオン様です」
「ご
「まあ、ご丁寧に。ですが、デミオン様はただのデミオン様でしょうか?」
母イーディスの目が、キラリと光る。
「お母様、デミオン様は元ライニガー侯爵家嫡男のデミオン様なのです! ただ、一言では言い表せない深い事情がありまして、現在はデミオン様なのです」
「分かりました。貴方もこの件に関してわたしに説明願いますわ」
イーディスがロナルドを呼ぶ。その目は隠し事や
ロナルドは事のあらましを、
「分かりました。デミオン様は、侯爵家嫡男の座を追われ、廃嫡除籍とされたのですね。それで、前侯爵夫人の子爵位を襲爵なされると……」
食後の団らんに使用するファミリールームで、リリアンたちは話し合っていた。主な説明はロナルドがとりおこない、リリアンはイーディスの説得にあたる。
「お母様、わたしはデミオン様が良いのです! こう申しては何ですが、一方的に婚約破棄してきたホール伯爵令息よりも、ずっと誠実なお
「……リリアン、
そうでしたっけ? と、リリアンは首を
「わたしは前侯爵夫人は存知上げないのだけれど、現ライニガー侯爵夫人は少し知っているのよ」
「どのような方なのですか?」
「そうねえ……一言で言うならば、面倒そうな方かしら? 彼女はきっと、前侯爵夫人を快く思っていないわ。まあ、だからデミオン様もご苦労されたと思うのだけど」
「ああ、現侯爵夫人はお綺麗だけど、雰囲気がどうも苦手かな……僕も。うちは伯爵家だし、あちらと領地が近いわけでもないから、ご
「そうね、綺麗な大輪の花よ。その根まで美しいかは分からないですけど」
「お母様はわたしが面倒な方に目をつけられると思っているから、反対するのですか?」
「できたら、問題が
「カンネール伯爵
デミオンがイーディスの方を向く。
「今の俺では、何と
「これは随分と大きなことを言う婿殿だね。君とリリアンは
「貴方……今からそんなことを言っては、この先もちませんよ」
ロナルドとイーディスが顔を見合わせる。
「リリアン、わたしは貴女の判断に委ねるわ。ホール伯爵令息の時も同じようなことを言っていたけど、彼と今回の彼は違うようね。まず間違いなく、ホール伯爵令息はこんなこと言わないでしょうから」
「じゃあ……お母様良いのですね!」
「ええ。契約結婚と言い出したのは、貴女なのでしょう? ならば、責任がありますしね。リリアン、そのことをよく考えるように。……母としては、今度こそ上手くいくことを
「ありがとうございます!」
(大丈夫、わたし今回は考えているから。それに今回は契約結婚だもの、きっと前みたいな失敗はもうしないわ!)
そう改めて、リリアンは決意した。
宴の後なので、話が終わる頃にはもう
側にはボディガードのように、逞しい執事のハリーが直立している。リリアンたちは婚約を認められたとはいえ年頃の男女なので、ふたりきりにはなかなかなれない。アランにカフェで婚約破棄された時も、個室には店付きのメイドが
(あら、そうすると……わたしの婚約破棄って、ちょっとした公開
よって、笑われたらどうしよう)
リリアンはしばらくベニエの店には行かないと誓う。食べたい時は使用人にお願いして、買ってきてもらうのだ。
執事の
「デミオン様、ありがとうございます! 母を説得してくれて」
「いえ……説得などと言うほどのものではありません。あれは今の俺の本心です。貴女は信じてくれると言った。ならば俺はその気持ちに応えたいですし、報いたいです」
その言葉に、リリアンは
(ほら、やっぱり彼は
デミオンの
こうして側でゆっくり見れば、彼の容姿は全然問題ない。
「デミオン様、ここを安心できる家だと思ってくださいね。わたしは二言のない淑女ですから、大事な相手は必ず守りきります」
「俺も、カンネール伯爵令嬢に相応しい人間となりましょう」
「わたしにとっては、とても
相応しくなろうという気持ちは嬉しいが、それで彼が気負いすぎてしまっては意味がない。
「そういうのには慣れ……いえ、この台詞は貴女に失礼でした」
反射的に出てきた言葉は、彼のこれまでを
その彼が改めて、リリアンを真正面から見る。
「出会って一日も
「は……はい、喜んでー!!」
つい、どこかで聞いたフレーズが飛び出していた。自分としたことが雰囲気ぶち
「……そう言っていただけて、安心します。今の俺は家名も爵位もありません。だから仕方なく俺の名を呼んでいるのだろうと分かっていますが……普通に呼ばれることが懐かしくて」
「そうではありません。わたしはデミオン様と良い関係でいたいと思っているんです。家名も爵位もないことは関係ありません。名も呼ばない仲では、仲良くなれないですから」
「その気持ちが嬉しいんですよ」
「では、わたし……いっぱい名を呼びますね」
そういうことなら、任せて欲しい。名前を呼ぶことならばリリアンにもできる。
「ええ……だから、俺にも呼ばせてください」
少し、ほんの少しだ。咎められない程度に、デミオンがリリアンへ顔を寄せる。
「ありがとうございます――リリアン
父とも母とも、それこそ屋敷の誰とも違う声。かつての婚約者よりもずっと甘い調べだと思ってしまうのは、おかしいだろうか。
(あ……あれ?)
瞬間、胸が高鳴ったような気がする。そんな馬鹿なと思ってしまう。
「……で、デミオン様」
「何でしょう、リリアン嬢?」
目の前の相手を、リリアンは
たった今ドキドキしたのは、気のせいなのだろう。
「すみません、呼んでみただけです」
「いいですよ、いっぱい呼ぶと言ってくれたので、どうかもっと呼んでみてください」
そう言われると、リリアンも
「……デミオン様」
「はい、リリアン嬢」
「……デミオン様」
「……ええ、リリアン嬢」
名を呼ぶ度じわじわ彼の顔に
デミオンが目を細め、小さな声でそっと
「――リリアン嬢」
「デミオン様」
たった一言、名前を呼ばれるだけなのに、リリアンは安らぎを感じた。互いの名前を呼び合う、ただそれだけなのに、不思議と温かい。とても大切にしてもらっている気分になるのだ。
ふたりは契約結婚で、愛は愛でも親愛の情から
「本日は色々あってお疲れだと思いますから、ゆっくりたっぷりお休みください。
「ありがとうございます。リリアン嬢も、どうかゆっくりお休みください」
けれども、正直まだリリアンは分かっていなかった。デミオンの今までの
その結果、翌朝いきなりだ。リリアン付きとなっている
「お嬢様! リリアンお嬢様! 起きてください、お願いいたします!」
「……ふぇ?」
「起きて、起きてください!
彼女
(え、何それ?)
訳が分からないまま、朝の
「お
「……デミオン様は、一体何を?」
「俺は、いつものように朝の仕事をしたまでです。でもリリアン嬢のお言葉に甘えて少し
ぽやんと、頰がほんのり染まる。
(おおう、
何でハタキに
まさか、今から大掃除でも始めるのだろうか? いやいや、まさか。そんなわけがない。
何度
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます