1-3


 ちんもくが重苦しい部屋で、リリアンは身動きせずソファにこしけたままだ。隣には、呼びつけられたロナルドがいる。その表情はリリアン以上にかたい。これは仕方がない。

 場所は王城の数ある応接室のひとつだろう。深刻そうな顔の役人にしばしお待ちくださいと言われたきり、ずっとこの状況が続く。

 部屋には、先ほど婚約破棄されてしまったデミオンもいる。王女とジュリアン側は別室に呼ばれたようだ。同じ場所に放り込まれたら、さらなる騒ぎの種にしかならないことぐらい、リリアンにだって想像がつく。


(今回の婚約破棄、王家はどうするんだろう?)


 ちゅうの婚約は、先王がまごむすめであるアリーシャ王女のために用意したもの。幼い頃に決められた相手だ。どうも年老いた先王にとって、王女はとても可愛い存在だったらしい。

 孫可愛いは、異世界でも共通なのだ。そのあって、アリーシャ王女はままひめなんてめいな二つ名を持つ。

 それはともかく、先王の決めた婚約はいくら王女が我が儘とはいえ、存命中は好きに出来なかったのだろう。しかしその先王が春の宴前についに倒れ、ひとの魂がくぐるといわれるアルカジアの門を潜られた。いと高きてんきゅうへと魂が上り、安らかなゆりかごへとかえられたに違いない。

 ならばチャンスとうらい、悲願達成とばかりに、王女とその恋人は大盛り上がりで、此度のことをやってのけたのだろう。それもこうしゃくこうにんの上で。

 リリアンはジッとしているのに、いささかつかれてきた。とはいえ、自分だけ動き回るというのも気まずい。

 とびらの警護の騎士も、給仕をしているメイドも、直立不動でぐらつきもしない。お茶と焼きちょう一流で大変美味おいしいが、心から味わえない雰囲気がある。城勤教育は素晴らしいと感じるものの、心安らかとは遠いところ。

 そうなってくると、動かせるのは視線のみ。そして、リリアンが今最も気になるのは当事者のデミオンだ。

 見誤らないようにと思ってはいたが、気持ちは完全に彼寄りだ。リリアンの婿むこ候補として、彼が一番なのではと思ってしまう。

 安易すぎると冷静な部分がてきするが、先ほどの婚約破棄を思うとどうにかしたいと考えてしまう。それにポジティブにとらえれば、彼は王女の元婚約者だ。人材として悪いとは思えない。さらに元侯爵家ちゃくなんかたきもある。

 何よりも大きいのが、先ほどの婚約破棄だ。痩せ細った身体に、辻褄が合わない相手の言い分をふくめ、じんすぎてリリアンはどうしてもなっとくがいかない。酷いとさえ思ってしまう。同じ部屋にいる彼を見れば見るほど、そんな人だなんて信じられない。

 だから王女が要らないと宣言したならば、じゃあくださいと手を出したところで、文句はないはず。

 しかも彼は侯爵家から除籍された身。この部屋に誰も来ないことから考えても、行くてがあるとは思えない。

 デミオンのご実家ライニガー侯爵家は、東部に領地を持つ大貴族。所有する港は大陸との貿易港で、島国ソニードのげんかん口でもある。確かな領地経営と的確な商才によって、国内有数の経済都市を誇っていると聞く。

 貴族のこうけいは、普通長子の男児と国により定められている。なお、カンネール家は男児がいないので、リリアンの婿にいったん仮として預けられる。後、リリアン自身が産んだ男児が正式にぐこととなる。

 そういうわけで、順当にいって長子のデミオンが次代当主でくつがえらないはずなのだ。多分、侯爵家は何らかの理由をでっち上げたのだろう。よく耳にするパターンが、ぜいじゃくで当主の務めができませんというもの。さらに酷い例もあるが、おおよそその辺りだろう。

 リリアンはそっとちゃまむふりをして、テーブルしにデミオンをながめた。観察してみる。

 彼は一言で言うととてもひんそうだった。大広間でもそのように見えたが、近くで見ればますますそれがよく分かる。栄養が足りないかのように、身体全体が細い。つまようか何かのよう。身長が高いので、よりそう見えるのか。

 しかもさらにはくしゃけているのが、その顔だ。頰はこけクマはくっきり、くちびるもかさかさ。髪につやはなく、肌にも張りがない。前後左右、どう見回したとしても、これはただ

の病人である。醜悪とか、卑しさが見目に出ているなどと非難されていたが、正直、見当ちがいな文句にしか聞こえない。


(もうちょっと……近くで見たいけど、流石にそれは無理だよね)


 青白い顔色は、婚約破棄がショックだったのか、それとも体調不良が過ぎてのどちらかだろう。それ以外の理由がない。確かに、今回の件はこたえただろう。何度見ても細い身体はうすっぺらく、夜遊びする体力すらなさそうだ。むしろ日夜んでいると言われたほうが信じられる。


(あと……衣装がとっても安っぽく見えるのが気になるよ)


 衣装のセンスが本人のものかは知らないが、侯爵家の嫡男だった人が着る仕立てではない。そもそも身体のサイズに合っていないし、デザインもふるくさい。かい主義が過ぎて、アンティークに片足を突っ込んでいるレベルだ。思わずなみださそうのが、ていねいな繕いがされているところだろうか。王女と一緒にいた弟は、明らかにピカピカの新品の衣装だというのに、この落差。前世で見た、灰かぶりのおひめ様を思い出してしまう有様だ。


(こういうの……わたし、知ってる!)


 リリアンが内心、ひらめきを得たところで、誰かがとうちゃくしたらしい。

 待ち人来たりで、やっと応接室のドアが開く。護衛と側近を連れ立って入ってきたのは、王太子殿下その人だ。殿下の登場に、室内にいる全員が立ち上がり礼をとった。

 おう陛下に似た容姿は正統派の美しさ。ふわふわしているアリーシャ王女とは系統が違う。サラサラの金髪に、妹姫よりいめの瞳をした殿下は、まず最初デミオンへ謝罪した。


「すまない、デミオン卿。其方にはなんの落ち度もない。全ては我が妹、アリーシャの我が儘だ」


 それを首を振りつつ、彼は否定する。


「頭をお上げください、ジェメリオ殿下。王女殿下が俺にあいかしたのはまぎれもない事実です。俺自身の不徳のいたすところ。父上にも義母ははうえにも、異母弟にも見限られたのも、何もかも俺が悪かったのでしょう」


「しかし、私にはどうしても信じられない。其方の素行が酷いと言われていたが、それは全て作り話ではないのか? それに昔と違い、随分と身体が細くなっている。私は其方をはいちゃくじょせきまでする侯爵に、納得いかないのだ」

 デスヨネーと、リリアンも首を縦に振りたい。

 それにライニガー侯爵は、確か後妻を迎えたと人づてに聞いた。ならばジュリアンとデミオンは母親違いの兄弟だろう。普通に考えれば、間違いなくままいじめだ。かばうべき実の父親も一緒になって行ったに違いない。


(やっぱり、これ知ってる。前世で読んだぐうのドアマットヒロインと同じでは? 異母兄弟に継子虐め、それに婚約破棄までいったら三種の神器でしょ! さらに廃嫡除籍のツーコンボを決めてるんだから、もうそれしかないのでは?)

「……それでも。いいえ、だからこそ俺は王女殿下の心を捉えることができませんでした。家族にも捨てられる程度の、りょくのない人間なんです」


 力なく笑う姿は、己への失望なのか。

 見ているだけで痛々しい。けば飛ぶような体だからか、余計に辛い。我が儘王女の行動を自分の責任ととるなんて、貴族としては正しくても、人としてはどうだろう。そこまで己の責としては生きづらかろう。

 彼をおとしめた連中は、負うべき責任すら負わない頭頂部お花畑人間かもしれないのだ。真面目な人ほど馬鹿を見るなどというのは、我慢ならない。

 リリアンは大きく息を吸うと、思いっきりき出した。


「話のちゅうですが、よろしいでしょうか!! 」


 ほどの声だったのか、ぎょっとした顔で両者が振り向く。部屋の空気と化していたロナルドもあんぐりとした表情だ。

 だが構うものか。女は度胸と前世の記憶がおうえんする。相手がいなければチャペルのかねすら鳴らせない。行動すればそこに道ができるはず。

 おおまたでリリアンはズンズン進む。マナーもへったくれもないが、ちょとつもうしん、欲しいものは真っ先に手をばせ!


「デミオン様!」


 呼ばれた彼は目をパチクリさせた。少しあどけなくて可愛いと、リリアンは思ってしまう。


「わたしから言わせてもらえば、全くそのようには思えません。とりあえず王女殿下のお好みではなかっただけ、ただそれだけです。悪くなんてありません!」

「あ、あの……」

「君は……カンネールはくしゃくれいじょうかな?」


 ちらりとロナルドを見て、殿下は気がつかれたらしい。じゃっかん引き気味なのは見なかったことにする。

 リリアンはいまさらながら、王族へカーテシーをろうした。


「はい、わたしはリリアン・カンネールでございます。そして現在我が家では、婿むこ殿どのねつれつきょうれつだいしゅうしております!」


 リリアンのせきな言葉に、ロナルドがあわてふためいた。まさか、いきなり言うとは思ってなかったらしい。しかし、何でも最初がかんじん

 要求は的確に分かりやすくが一番だ。

 熱意がもうれつに、リリアンの体を押してくれる。


「デミオン様。失礼を承知で申し上げますが、我がカンネール伯爵家に婿入りなさいませんか? 美味しいご飯とふかふかのベッド、八時間のすいみんをお約束します! おやつもありますし、れいな庭もあります! うちのメイドは骨太のこん者が多いですし、庭師はきんこつりゅうりゅうで変な噂にもくっしません! 服も我が家で仕立てましょう! みの店にいいデザイナーがおりますし、我が家のかかりつけ医はゆうしゅうです! 日当たりの良いテラスでは、おひる日向ひなたぼっこだってできますよ。、わたしのお婿さんになって欲しいのですっ!」


 とどろくリリアンのお願いに、どうやら室内の誰も彼もがびっくりらしい。城勤たちも身体をらして驚いている。しかし、似通った内容は城の大広間でも発表済みだ。

 それに何よりも、さっき見てしまった彼の顔がとても悲しそうなのだ。そういうのは良くないと、リリアンは思う。前世でも、笑う門には福来たると言うことわざがあった。笑顔は最強の武器で防具なのだ。背中を丸め、過去を嘆くよりはずっと正義だろう。


「突然の申し出、驚かれるのも無理ありません。ですので、こう言っては何ですが、わたしとけいやくけっこんいたしましょう!! わたしとデミオン様はそれぞれ、互いに必要としているものを用意できます。わたしはデミオン様に我が家の婿の座を差し上げますので、デミオン様はわたしの婿までいかずとも、婚約者になって欲しいのです」

「……け、契約、結婚……ですか?」

「ええ、何しろわたしとデミオン様はたった今出会ったばかり、恋も愛もすぐに落ちたり生まれたりしません。それは舞台や本の中だけの出来事です。ですが、婚姻するだけならば両方いりません。必要なのは信頼で、協力できるか、約束を守れるか、そういったところが一番大切です!!」


 そう言うと、マナーはんれんだと思うが、リリアンはデミオンの手を勝手に思いっきりつかんだのだ。


「か、カンネール伯爵令嬢」


 目をまん丸にして、デミオンが慌てているようだ。その気持ちは分かる。が、リリアンとて大真面目。ジョークできゅうこんなど出来るわけがない。これが常識外れどころか、令嬢としてあり得ないのは自覚している。普段なら、絶対こんなことはしないだろう。けれども、降りかかる理不尽が許せなかった。

 物語ならばそれを運命だと認める人がいるかもしれないが、許して良いのはハッピーエンドの時だけだ。だから、この手を取って欲しい。自分は絶対に彼を幸せにする。幸せにして、忘れていい記憶に変えてしまいたい。

 ここで一気にたたみかけるように、ズンズン彼へとせまる。顔を近づけていく。


「さあ、さあ、デミオン様! どうか、我が家の婿殿に!」


 だがしかし、そこでふたりを引き離すように誰かが割り込んだ。


「リリアンッ! は、は、はしたないから、その手を離しなさい!」


「お父様、何をするのです! わたしは今我が家のいろの未来をけて、お婿さんになってくれないかとしんをしているのです。こんな優良候補、もうめぐえません! きっと我が家の家宝になります!」

「家宝って、リリアン! 人は物じゃない。それに、契約の話は初耳だ。どういうことか、まず説明しなさい!」

「それは言葉のアヤではないですか! 物だなんて、お父様でも失礼が過ぎますよ!」

「いや、何を言って」

「ほら見てください、デミオン様だって驚いているではないですか! 謝罪を要求します!」

「違う! こちらは、いい加減落ち着きなさいと言っているんだ!」


 父娘お やこで延々と言い合っていれば、そこでぶほぉっ! と、誰かがせいだいに吹き出す音がする。父娘で顔を向ければ、王太子殿下が崩れ落ちそうになっていた。


「き、君たち……カンネール伯爵も、落ち着きなさい。デミオン卿も、その……す、座ろうか」


 一歩踏み出したジェメリオ殿下がふらついてしまう。とっに側近が支えたが、遂に王太子殿下は笑いだされた。それはもうすこぶる楽しそうでなによりだ。


「……失礼をした、すまない」


 笑いやんだジェメリオ殿下が謝ってくれる。でも目のはしに涙が見えているので、まだ

少々楽しい気持ちなのだろう。

 リリアン自身はといえば、周囲の様子を見ることで、興奮が収まってきた。やってしまったなという気分だ。とんでもない行動をし、はしたない行為をしてしまった。

 それでも、こうかいはない。


「デミオン卿の婿入りを望むと聞いたが、カンネール伯爵。卿の御息女は婚約者がいなかったのかね?」

「それは……」


 よどむロナルドに代わり、リリアンが話す。挙手してしまったのは前世の名残なごりだ。


「ハイ! わたしはごくごく最近、婚約者に婚約破棄されました。若くてお金持ちの女性にえるということで、愛し合うふたりのプロポーズを見せつけられました」


 たん、室内の温度が変わる。否、体感温度が急激に下がってしまった。


(あれ、室内がこおりついている?)


 城勤の護衛騎士も、王太子の側近も、それどころかメイドも完全なるフリーズだ。いや、王太子殿下とデミオンも同様か。


「……非常に、非常に辛い話をさせてしまったようだ」

「もう過ぎた話です」

「カンネール伯爵令嬢は精神がけんろうなのだな」


 お誕生日席のジェメリオ殿下を中心に、リリアンとロナルドが並んで座り、その向かいにデミオンが着席する。全員が座ってすぐ紅茶が配られた。室内に良い香りがただよう。


「では、カンネール伯爵家ではデミオン卿をむすめ婿むことして迎え入れると」

「はい、勿論です!」


 食い気味に答えるが、これこそが情熱と分かって欲しい。


「デミオン卿はどうだろう? 私個人の意見を言わせてもらえれば、卿をこのまま失うのはしいと思っている。最初は何をと思っていたが、伯爵も令嬢の事情も判明した。私には悪い話とは思えない。このままカンネール伯爵家に婿入りしても良いのではないだろうか。このように、カンネール伯爵令嬢は大変前向きな考えの持ち主だ」

「……俺にはあまりにも過ぎた話で、驚くばかりです。また王太子殿下のお言葉、身に余るもので……買いかぶりすぎではと」

「其方は随分と自信がないんだな。……まあ、あの家族では仕方あるまい。だが、私は卿と過ごした幼い頃を覚えている。私がまだ理解していなかった乗算式や歴史、古語や外国語など、其方はすらすらと答えていたではないか」

「それはたまたま、ぐうぜんの産物です」

「果たしてそうであったかな。まあ、其方がそう思うならば、それでもよい。だが、カンネール伯爵令嬢との話は是非受けて欲しいものだ」


 王太子のあとしもいただいたからか、デミオンがこちらを向く。視線が合ったと思ったのだが、またうつむいてしまった。シャイな方なのだろう。


「俺は廃嫡どころか、除籍される身。貴族せきを失った俺は平民となりますが、それでも良いのでしょうか」

「……それは」

「お父様、何をしぶっているのです! わたしはデミオン様でしたら、平民であっても問題ありません! デミオン様は今まで、侯爵家嫡男としてご自身を立派に修めてきたと信じております」


 直接話をうかがってはいないが、きっとそうに違いない。王太子が買っている相手だ。

 頭の中身が残念であるはずがない。

 そもそも先方は王家主催の宴で堂々と婚約破棄などしてくる常識知らずだ。そんなやからの言い分なんて、右から左にスルーするに限る。信用など出来るものか。


「……カンネール伯爵令嬢は、俺を、俺を信じてくれるのですか?」


 顔を再び上げた彼と、真正面で瞳と瞳がぶつかりあった。疲れた目だが、その奥には真摯な光が宿っている。それはまだあきらめたくないという――わずかな望みだろうか。

 くたびれた顔の中に、求める心が確かにある。ならば応えてみせたい。リリアンはそう思うのだ。


「お任せください! わたしはこれぞと決めただん様には、誠心誠意尽くす気持ちでおります。困難にも逃げるのではなく、手を握って共にだんがいぜっぺきを登りきりましょう。そこでてきな朝日を拝んで、一緒に幸せになりませんか?」


 ロッククライミングは前世でも経験はないが、苦労をふたりで分ければ半分になるだろう。喜びはふたり分だから、二倍味わえる。と、前世で聞いたことがある。


(大丈夫、わたしは大切な人のためなら、チントンシャン。三つ指ついて、一歩後ろをしずしず歩くことだってできる女。うん、できる。きっと、できるとも!)


 リリアンは前のめりでデミオンに迫る。


「ここはドーンと、ちんせんぱくに乗ったつもりでわたしと運命を共にしてください!!」


 思わず、熱いおもいのたけこぶしに込めて胸をたたいてしまった。この、おとこんしんのボディランゲージを信じて欲しい。


「待て、デミオン卿は平民とはならない」


 リリアンの挙手をたのか、ジェメリオ殿下も軽く手を上げ発言する。


「其方の身分に関してだが、かくにんしたところ今日付けで確かにライニガー侯爵家から籍を外されているようだ。けれども、デミオン卿がそれで貴族でなくなることはない。……少し私に時間をくれないだろうか?」

「ジェメリオ殿下。もしやそれは俺の母である、前こうしゃくじんに関する話でしょうか?」

「そうだ。前ライニガー侯爵夫人の生家は子爵家で、彼女以外に継ぐべき親族がいなかったらしい。そのため爵位は王家預かりとなっている。本来は其方が侯爵家当主となった時にと思っていたが、こうなったならばすぐにでもへんかんおよしゅうしゃく手続きを行う」


 どうやら、デミオンの母親は子爵れいじょうだったらしい。そこから侯爵家へよめりなんて、なかなかのたま輿こしだ。どういうけいなのだろう。しかも、あとぎ娘が嫁入りだなんて、珍しい。


「ハイ! では、手続きがしゅうりょうしましたらすぐにでも婚約し、早々に婚姻しましょう」

「はい?」

「こういうことは、できるだけ早く済ましておくと良いと思います」


 驚くデミオンをに、リリアンはまた挙手して発言した。


(いやだって、そうでしょ? この手の話、わたしは前世で読んだ小説やまんでちょっとはくわしいんですよ)


 とはいえ、アランをけなかったリリアンだ。前世の小説を読んでいても、上手うまくはいかないのだと分かっている。それでも何かが起きるかもしれない可能性ぐらいは考える。後からやり直したいとふくえんを迫る展開は、前世の婚約破棄ものでもあった。相手がそんな

ことを言い出すなど信じられないが、万が一ということがある。

 められるそとぼりや何かは、さっきゅうに埋めておきたい。危険をけるためにもだ。手っ取り早く婚姻を済まして悪いことなどない。


「私も、それには賛成する。我が妹のことながら、どのような言動をするか分からない。また、場合によっては婚約破棄をひるがえすこととてあるだろう。考えられないことだが、今夜その考えられないことが起きたのだ。もう何が起きても、妹に関しては驚かないつもりだ」


 王太子殿下もえんしゃげきしてくれる。

 この話し合いで、うなれてしまったのはロナルドだけだ。もうおよめに行くなんて……と、ボソボソ言っている。いやしかし、リリアンは婿を貰うので、けして家を出るわけではな

いのだが。そこは男親故の、複雑な親心なのだろうか。


「リリアン・カンネール伯爵令嬢。不束ふつつか者ですが、どうぞいくひさしくよろしくお願い申し上げます」


 立ち上がり、デミオンがリリアンに向かって最敬礼をする。本来ならば、王族へのみ行われるものだ。

 片足を後ろに下げ右手を胸に、もう一方の手はしなやかに伸ばす。指先まで綺麗にそろえたものだ。そうして、頭を下げてくれる。


「顔を上げてください、デミオン様」


 目の前にはやはりひょろっとした、不健康ばんざいの殿方がひとり。でもその両目にともる希望を、リリアンは素晴らしく思う。そうだ、人生全て諦めるにはまだ早い。

 前世で読んだ小説でも感じたものだ。不遇な主人公が諦めたり傷ついたりするたびに、そんなことはないと思い続けていた。時には興奮して、諦めちゃダメだ! と、漫画を読みながら口にしてしまったこともある。だからだろう、デミオンの姿はその主人公に重なって見える。幾つものドアマットヒロインが、リリアンの頭をけ巡る。

 ずっと自分は特に何もなく、前世の記憶だってなんのためにあるのか分からなかった。ナイナイ尽くしで、役立たず。そうだと思っていた。


(でも、違う! もしかして……わたしは今この瞬間のために、思い出したんじゃないかな。だって、デミオン様はどう見たって、ドアマットヒロインと同じだよ!!)


 これが精霊王のお導きか、前世の神様のえんによるものか知らないが、きっとそうに違いない。絶対、そうなのだ。

 前世で見た悲しい主人公のように、願うことをやめないで欲しい。絶望のぬまに落ちたままにならないでと、リリアンは思う。

 やめるのはいつだって出来る。手を伸ばして摑めるものがあるのならば、摑んでしまえ。リリアンがじょういのちづな代わりになってもいい。


「貴方を迎えられ、わたしは誇らしく思います。貴方のつちかってきたものを、その尊い価値を、わたしにも守らせてください」


 その手で積み上げたものに対し、胸を張って欲しいのだ。

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