1-3
場所は王城の数ある応接室のひとつだろう。深刻そうな顔の役人にしばしお待ちくださいと言われたきり、ずっとこの状況が続く。
部屋には、先ほど婚約破棄されてしまったデミオンもいる。王女とジュリアン側は別室に呼ばれたようだ。同じ場所に放り込まれたら、さらなる騒ぎの種にしかならないことぐらい、リリアンにだって想像がつく。
(今回の婚約破棄、王家はどうするんだろう?)
孫可愛いは、異世界でも共通なのだ。その
それはともかく、先王の決めた婚約はいくら王女が我が儘とはいえ、存命中は好きに出来なかったのだろう。しかしその先王が春の宴前に
ならばチャンス
リリアンはジッとしているのに、いささか
そうなってくると、動かせるのは視線のみ。そして、リリアンが今最も気になるのは当事者のデミオンだ。
見誤らないようにと思ってはいたが、気持ちは完全に彼寄りだ。リリアンの
安易すぎると冷静な部分が
何よりも大きいのが、先ほどの婚約破棄だ。痩せ細った身体に、辻褄が合わない相手の言い分を
だから王女が要らないと宣言したならば、じゃあくださいと手を出したところで、文句はないはず。
しかも彼は侯爵家から除籍された身。この部屋に誰も来ないことから考えても、行く
デミオンのご実家ライニガー侯爵家は、東部に領地を持つ大貴族。所有する港は大陸との貿易港で、島国ソニードの
貴族の
そういうわけで、順当にいって長子のデミオンが次代当主で
リリアンはそっと
彼は一言で言うととても
しかもさらに
の病人である。醜悪とか、卑しさが見目に出ているなどと非難されていたが、正直、見当
(もうちょっと……近くで見たいけど、流石にそれは無理だよね)
青白い顔色は、婚約破棄がショックだったのか、それとも体調不良が過ぎてのどちらかだろう。それ以外の理由がない。確かに、今回の件は
(あと……衣装がとっても安っぽく見えるのが気になるよ)
衣装のセンスが本人のものかは知らないが、侯爵家の嫡男だった人が着る仕立てではない。そもそも身体のサイズに合っていないし、デザインも
(こういうの……わたし、知ってる!)
リリアンが内心、
待ち人来たりで、やっと応接室のドアが開く。護衛と側近を連れ立って入ってきたのは、王太子殿下その人だ。殿下の登場に、室内にいる全員が立ち上がり礼をとった。
「すまない、デミオン卿。其方にはなんの落ち度もない。全ては我が妹、アリーシャの我が儘だ」
それを首を振りつつ、彼は否定する。
「頭をお上げください、ジェメリオ殿下。王女殿下が俺に
「しかし、私にはどうしても信じられない。其方の素行が酷いと言われていたが、それは全て作り話ではないのか? それに昔と違い、随分と身体が細くなっている。私は其方を
デスヨネーと、リリアンも首を縦に振りたい。
それにライニガー侯爵は、確か後妻を迎えたと人づてに聞いた。ならばジュリアンとデミオンは母親違いの兄弟だろう。普通に考えれば、間違いなく
(やっぱり、これ知ってる。前世で読んだ
「……それでも。いいえ、だからこそ俺は王女殿下の心を捉えることができませんでした。家族にも捨てられる程度の、
力なく笑う姿は、己への失望なのか。
見ているだけで痛々しい。
彼を
リリアンは大きく息を吸うと、思いっきり
「話の
だが構うものか。女は度胸と前世の記憶が
「デミオン様!」
呼ばれた彼は目をパチクリさせた。少しあどけなくて可愛いと、リリアンは思ってしまう。
「わたしから言わせてもらえば、全くそのようには思えません。とりあえず王女殿下のお好みではなかっただけ、ただそれだけです。悪くなんてありません!」
「あ、あの……」
「君は……カンネール
ちらりとロナルドを見て、殿下は気がつかれたらしい。
リリアンは
「はい、わたしはリリアン・カンネールでございます。そして現在我が家では、
リリアンの
要求は的確に分かりやすくが一番だ。
熱意が
「デミオン様。失礼を承知で申し上げますが、我がカンネール伯爵家に婿入りなさいませんか? 美味しいご飯とふかふかのベッド、八時間の
それに何よりも、さっき見てしまった彼の顔がとても悲しそうなのだ。そういうのは良くないと、リリアンは思う。前世でも、笑う門には福来たると言うことわざがあった。笑顔は最強の武器で防具なのだ。背中を丸め、過去を嘆くよりはずっと正義だろう。
「突然の申し出、驚かれるのも無理ありません。ですので、こう言っては何ですが、わたしと
「……け、契約、結婚……ですか?」
「ええ、何しろわたしとデミオン様はたった今出会ったばかり、恋も愛もすぐに落ちたり生まれたりしません。それは舞台や本の中だけの出来事です。ですが、婚姻するだけならば両方いりません。必要なのは信頼で、協力できるか、約束を守れるか、そういったところが一番大切です!!」
そう言うと、マナー
「か、カンネール伯爵令嬢」
目をまん丸にして、デミオンが慌てているようだ。その気持ちは分かる。が、リリアンとて大真面目。ジョークで
物語ならばそれを運命だと認める人がいるかもしれないが、許して良いのはハッピーエンドの時だけだ。だから、この手を取って欲しい。自分は絶対に彼を幸せにする。幸せにして、忘れていい記憶に変えてしまいたい。
ここで一気にたたみかけるように、ズンズン彼へと
「さあ、さあ、デミオン様! どうか、我が家の婿殿に!」
だがしかし、そこでふたりを引き離すように誰かが割り込んだ。
「リリアンッ! は、は、はしたないから、その手を離しなさい!」
「お父様、何をするのです! わたしは今我が家の
「家宝って、リリアン! 人は物じゃない。それに、契約の話は初耳だ。どういうことか、まず説明しなさい!」
「それは言葉のアヤではないですか! 物だなんて、お父様でも失礼が過ぎますよ!」
「いや、何を言って」
「ほら見てください、デミオン様だって驚いているではないですか! 謝罪を要求します!」
「違う! こちらは、いい加減落ち着きなさいと言っているんだ!」
「き、君たち……カンネール伯爵も、落ち着きなさい。デミオン卿も、その……す、座ろうか」
一歩踏み出したジェメリオ殿下がふらついてしまう。
「……失礼をした、すまない」
笑いやんだジェメリオ殿下が謝ってくれる。でも目の
少々楽しい気持ちなのだろう。
リリアン自身はといえば、周囲の様子を見ることで、興奮が収まってきた。やってしまったなという気分だ。とんでもない行動をし、はしたない行為をしてしまった。
それでも、
「デミオン卿の婿入りを望むと聞いたが、カンネール伯爵。卿の御息女は婚約者がいなかったのかね?」
「それは……」
「ハイ! わたしはごくごく最近、婚約者に婚約破棄されました。若くてお金持ちの女性に
(あれ、室内が
城勤の護衛騎士も、王太子の側近も、それどころかメイドも完全なるフリーズだ。いや、王太子殿下とデミオンも同様か。
「……非常に、非常に辛い話をさせてしまったようだ」
「もう過ぎた話です」
「カンネール伯爵令嬢は精神が
お誕生日席のジェメリオ殿下を中心に、リリアンとロナルドが並んで座り、その向かいにデミオンが着席する。全員が座ってすぐ紅茶が配られた。室内に良い香りが
「では、カンネール伯爵家ではデミオン卿を
「はい、勿論です!」
食い気味に答えるが、これこそが情熱と分かって欲しい。
「デミオン卿はどうだろう? 私個人の意見を言わせてもらえれば、卿をこのまま失うのは
「……俺にはあまりにも過ぎた話で、驚くばかりです。また王太子殿下のお言葉、身に余るもので……買いかぶりすぎではと」
「其方は随分と自信がないんだな。……まあ、あの家族では仕方あるまい。だが、私は卿と過ごした幼い頃を覚えている。私がまだ理解していなかった乗算式や歴史、古語や外国語など、其方はすらすらと答えていたではないか」
「それはたまたま、
「果たしてそうであったかな。まあ、其方がそう思うならば、それでもよい。だが、カンネール伯爵令嬢との話は是非受けて欲しいものだ」
王太子の
「俺は廃嫡どころか、除籍される身。貴族
「……それは」
「お父様、何を
直接話をうかがってはいないが、きっとそうに違いない。王太子が買っている相手だ。
頭の中身が残念であるはずがない。
そもそも先方は王家主催の宴で堂々と婚約破棄などしてくる常識知らずだ。そんな
「……カンネール伯爵令嬢は、俺を、俺を信じてくれるのですか?」
顔を再び上げた彼と、真正面で瞳と瞳がぶつかりあった。疲れた目だが、その奥には真摯な光が宿っている。それはまだ
くたびれた顔の中に、求める心が確かにある。ならば応えてみせたい。リリアンはそう思うのだ。
「お任せください! わたしはこれぞと決めた
ロッククライミングは前世でも経験はないが、苦労をふたりで分ければ半分になるだろう。喜びはふたり分だから、二倍味わえる。と、前世で聞いたことがある。
(大丈夫、わたしは大切な人のためなら、チントンシャン。三つ指ついて、一歩後ろをしずしず歩くことだってできる女。うん、できる。きっと、できるとも!)
リリアンは前のめりでデミオンに迫る。
「ここはドーンと、
思わず、熱い
「待て、デミオン卿は平民とはならない」
リリアンの挙手を
「其方の身分に関してだが、
「ジェメリオ殿下。もしやそれは俺の母である、前
「そうだ。前ライニガー侯爵夫人の生家は子爵家で、彼女以外に継ぐべき親族がいなかったらしい。そのため爵位は王家預かりとなっている。本来は其方が侯爵家当主となった時にと思っていたが、こうなったならばすぐにでも
どうやら、デミオンの母親は子爵
「ハイ! では、手続きが
「はい?」
「こういうことは、できるだけ早く済ましておくと良いと思います」
驚くデミオンを
(いやだって、そうでしょ? この手の話、わたしは前世で読んだ小説や
とはいえ、アランを
ことを言い出すなど信じられないが、万が一ということがある。
「私も、それには賛成する。我が妹のことながら、どのような言動をするか分からない。また、場合によっては婚約破棄を
王太子殿下も
この話し合いで、
いのだが。そこは男親故の、複雑な親心なのだろうか。
「リリアン・カンネール伯爵令嬢。
立ち上がり、デミオンがリリアンに向かって最敬礼をする。本来ならば、王族へのみ行われるものだ。
片足を後ろに下げ右手を胸に、もう一方の手はしなやかに伸ばす。指先まで綺麗にそろえたものだ。そうして、頭を下げてくれる。
「顔を上げてください、デミオン様」
目の前にはやはりひょろっとした、不健康
前世で読んだ小説でも感じたものだ。不遇な主人公が諦めたり傷ついたりする
ずっと自分は特に何もなく、前世の記憶だってなんのためにあるのか分からなかった。ナイナイ尽くしで、役立たず。そうだと思っていた。
(でも、違う! もしかして……わたしは今この瞬間のために、思い出したんじゃないかな。だって、デミオン様はどう見たって、ドアマットヒロインと同じだよ!!)
これが精霊王のお導きか、前世の神様の
前世で見た悲しい主人公のように、願うことをやめないで欲しい。絶望の
やめるのはいつだって出来る。手を伸ばして摑めるものがあるのならば、摑んでしまえ。リリアンが
「貴方を迎えられ、わたしは誇らしく思います。貴方の
その手で積み上げたものに対し、胸を張って欲しいのだ。
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