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「もうえられません。しゅうあく貴方あなたのことを愛するなど、これ以上関係を続けるなど、できなくってよ――デミオン、今夜をもっこんやくよ! もう近寄らないで!」


 若い女性の声が、城の大広間中にひびわたった。せいじゃくがさざなみのごとく人々をみ込み、すみずみまで行き渡らせる。きゅう役の城おかかえの使用人すら、動きを止めた。

 今夜は王家しゅさいうたげ。国中の貴族が集まる夜だ。

 ここソニード王国は海に囲まれた島国。精霊王を頂点に、精霊を敬う人々が住む国だ。

 その首都にそびえる王城のめつの灯火と呼ばれる大広間は、さわぎなど関係なく人々をこうこうと照らす。この昼と変わらぬ光も、精霊の力による精霊術というものだ。光のりゅうを集めた光球が大広間中を明るくしてくれる。そのため、精霊に感謝をささげるしきやお祭りなどが行われ、春夏秋冬それぞれ楽しみがある。

 しかも、本日は夏をむかえる祝いの宴。毎年行う大切な年中行事なので、どの貴族も当主は必ず出席する。勿論、リリアンの父である伯爵もだ。当主だけではなく、独身の若い貴族には出会いの場としても有名な宴である。何しろ、だん出会えない地方の人間も参加する大規模なもの。王都の貴族にこだわらないのであれば、大事なこんかつじょうたりえるのだ。

 陛下による季節へのことぎも終わり、ほどほどに盛り上がったところでの出来事だった。誰も彼もが声のする方向、ひときわ明るく輝くシャンデリアの下に注目してしまう。


「わたくし、以前から思っておりましたのよ。貴方、血の繫がった弟をいじめていたんですって? しかも、自分の無能さを無視して、さかうらみしてあくぎゃくに走るなど……なんておろかでみにくいこと」

「……アリーシャ王女殿でん


 そこには予想通り、一組の男女と、ひとりの男性がいた。

 輝くぼうくのはおんとし十六歳の王女様。太陽のようにまぶしい黄金の髪がふわふわで、今流行りのかみがたの先駆けだ。湖水のようなとうめいな瞳に、はだは白くはかなげで精霊のごとき美しさともっぱらの評判だ。どんなおしょうかは分からないが、プルプルでツヤツヤの肌が遠目にも分かるぐらい。ひと言もしゃべらなければ、まさに絶世の美少女そのものだ。

 その彼女の側にはきんぱつの青年がっていた。こちらもお肌プルツヤ系で、なんともうらやましい顔面か。美少女に負けずおとらずせんさいで女性的なおもちだ。身にまとうしょうも凝っている。明らかに身分の高い殿とのがただ。

 そうしてふたりで、もうひとりの殿方を非難しているよう。

 なんだかかんのある光景すぎて、リリアンはなつかしさまで感じてしまう。えらい人だろうと、婚約破棄を告げる場面はみな似た感じらしい。

 時と場所を選ばない断罪劇は、まだまだ続く。おうぎを手にふんがいですわなポーズで、王女は婚約者らしい相手を責め立てた。


「大体、わたくしにおくものひとつ、手紙一通送らないなんてどういうことかしら? 会いにだって来ないなんて許しがたいわ! 代わりに貴方のていであるジュリアンよりわたくしはいつも謝罪を受け、おびの品を受けております。こうやって弟君がしんに支えているというのに、当人がぼうじゃくじんに振る舞うなんて本当にあり得ないことよ!」


「アリーシャ王女殿下、申し訳ありません。私のけいがこんなに人として、いえ男としても最低の存在であるなんて」

「ちが、違うのです。王女殿下、どうか話を……」


 ぼっちで立たされている婚約者が、何かを告げようとする。けれども、王女の側に立つ青年――ジュリアンが完全にじゃをする。王女に負けぬ声量で、兄を𠮟責し始めた。


「兄上、言い訳は見苦しいです。しきの者に聞けば、父上や母上に暴言を投げつけ、毎夜次期当主としての仕事を放り、遊びに明け暮れていると聞いています。それどころか、我が家の使用人に対してもひどい態度だとか。食事が気に入らず食器をかたぱしから落とし、メ

イドにはわいせつをし、老いた庭師の背中を動けなくなるまでったこともあるというではないですか」

「そのようなこと、するわけがない」

「では、私にうったえた屋敷の者全てがうそつきであると言うのですか? 残念ながら兄上……それは流石さすがに無理があるのでは」

「……これは何かの誤解です、アリーシャ王女殿下」


 しかし、どれだけ彼が訴えてもジュリアンの厳しい口調は変わらない。しかも王女の耳には決して届かないのだろう。多分聞く気がないに違いない。それを示すよう、悲劇のヒロイン顔負けで王女はくずれる。それを側のジュリアンが支えていた。

 これでは本当に、誰が婚約者か分かったものではない。


「わたくし、このような相手に耐えられません! ああ、今もあまりのおそろしさとれつさにこの身が震えて止まらないわ。しょういやしさが見目にまで現れて、おじが立つ。わたくし無理です――無理ですわ!」


 そして、王女こんしんたましいなげきが大広間中に広がった。これがたいなら、まさしく最高潮なのだろう。

 王女の婚約者がぼうぜんとする。その立ち姿がたよりなく、王女よりも華奢に見えてしまうのは目のさっかくか。使用人に暴力うんぬんといわれていたが、この細さで本当にできるのだろうか。

 リリアンの家の庭師の方が、ずっとたくましい。それどころか、よくよく目を凝らしてみれば、顔色も悪そうだ。気分が悪いというのではなく、病気か何かでほおがこけているようだ。


わいなことをする前に、ひんけつたおれそうに見えるんだけど……大丈夫かなこの人)


 かくして、王女殿下主演の愛の劇場は非道の婚約者をわきへ、その婚約者の弟君をメインに大盛り上がり。スポットライトがあればかんぺきだったのではないだろうか。


「アリーシャ王女殿下! なんとおいたわしい。我が愚兄の不始末に言葉もございません。代わりに、尊くも美しきおんを私がしょうがいをかけてお守りしましょう。おなぐさめいたします」

「まあ、ジュリアン! そのような言葉をわたくしに捧げてくれるなんて、その清らかさに精霊王も感激なさいますわ」


 果たして、そうなのだろうか。リリアンには疑問しかない。


(……無理なんじゃない? だって、精霊っていちが好きなんだよ?)


 とはいえ、当人同士は大真面目なので、これも彼ら流の一途さなのだろう。


「アリーシャ王女殿下、お許しいただけるのですか。我が不滅の愛を?」

「ええ、ジュリアンの優しくもせいれんな気持ちに、わたくしは何度も助けられました。そう、貴方はわたくしのだいなるだわ! わたくしたちは美しき真実の愛を分かち合う、運命のこいびとなのよ!」


 こんわくと白けた空気が、会場内を満たし始める。本来ならば、昨年婚姻したばかりの王太子夫妻がファーストダンスをするのだが、このじょうきょうでそれは難しい。楽団の演奏も、先ほどの断罪劇のしゅんかんから途切れたままだ。


「あ、あの……俺は?」


 ぽつりと、ぼっちの彼が問う。けれども、王女はゴミを見るような目を向ける。


らないわ」


 さらにい打ちをかける。


「兄上、たびしょう


 父上も母上ももうまんの限界だそうです。残念ながら、我がライニガーこうしゃく家に兄上の居場所などありません。侯爵家からじょせきする手続きを行いました」

「……そうか。俺はもう要りませんか」


 リリアンは思わず、ぽかんと口を開けてしまう。すぐに扇でかくことなきを得たが、それでもやはりおかしな話だ。つじつまが合わない。


(今の話、変でしょう? だって今、除籍する手続きを行いましたって、言ったよね。これから行うではなく、もう行った、ですか?)


 つまり、この話は全て仕込みだとばらしているようなもの。とはいえ、噂はあった。王家のことだから大きな声で言われないだけで、アリーシャ王女殿下は婚約者のデミオン侯爵令息よりも、その異母弟のジュリアンをお気にしているらしいと。

 城内でふたりのおうを見たとか、デミオン侯爵令息が行うべきところで堂々とジュリアンが王女殿下をエスコートしたこともあったらしい。


「アリーシャ! 何をしている。ジュリアン卿もだ」


 ここに来て、ジェメリオ王太子殿下の声がかかる。王女と同じ金髪と長いまつげに彩られた顔が、非常に険しい表情を作っていた。すでにある種大事となっているが、これ以上騒ぎを大くするのは得策ではないのだろう。


「話ならば、別室でしなさい。デミオン卿も」


 王太子がデミオン侯爵令息へ声を掛ける。いや、元侯爵令息か。

 けれども、当人はぼんやりしており、危なっかしい。それにやはり彼だけやたらとせている。それこそ病人並みに見えるおどろきの細さだ。

 この大注目の場をよく見ようと移動してきただろう見知らぬご婦人方に押され、リリアンはよろめきそうになる。どうやら、野次馬のごとく後ろから、幾人もの貴族たちが集まってきたようだ。

 丁度リリアンのいる場所が、一番見やすいのか。気がつけば見知らぬ人が遠巻きに、事の成り行きを観察しているよう。人々のこう心という熱気が取り囲んでいく。

 しかし、当事者は気がつかぬものなのか。


「あら、お兄様。その男なら、もうこの場にいる資格などございませんことよ。だって、貴族ではないでしょう」

「アリーシャ!」


 兄である王太子にとがめられても、ツンとそっぽを向く王女。自分は全く悪くないと思ているのが、丸わかりである。そこはもっと取りつくろうべきだ。

 今、多くの貴族の目が彼女を見ていることだろう。これが十歳にも満たぬ幼子ならば、まだ許される。しかし王女はもう十六だ。誰もが、社交界への一歩を踏み出すころ合い。れはすなわち、子ども扱いではないということだ。

 リリアンのとなりでも、その後ろでも、ためいきがひっそりと落とされる。あのような少女が、我らの王女であるのかというらくたん。もしくは悲嘆かもしれない。

 ただ、この中にどれだけ王女の元婚約者を心配している人がいるのかまでは、分からなかった。王女のことならば誰もが注目する。けれども、その婚約者であった男性のことは誰が心を配ってくれるのだろうと、リリアンは思う。

 リリアンには父と母がいた。しかし除籍された彼には誰かいるのだろうかと、不安になる。自分も婚約破棄された故の同情だろうか。それとも、あの細い身体からだでは倒れてしまうのではと気がかりだからなのか。

 ぎゅっと、知らぬ間に扇を持つ手へ力がこもる。


「デミオン卿、我が妹が失礼をしたようだ」

「いいえ、殿下」


 首を振るデミオンへ、王太子が痛ましげな顔をする。


(あっ……)


 それを見て、リリアンの胸が痛む。じくじくと傷がさいなむのは自分の婚約破棄のことを思い出したからだ。あの時の自分もデミオンと似通った顔をしていたのではないか。あんまりな出来事が起きてしまって、自分はどうしていいのか分からなくなってしまったのだ。


(……だって、それじゃあ……そんな風に言われてしまったら、わたしが変だって、全然ダメだって言われたみたいだったから)


 周囲をわたせば、自分以外のとしごろれいじょうはみんな片手を婚約者に預け、それがごく当たり前のように振る舞っている。いや、それがつうなのだ。しかし、リリアンはその道から外れてしまった。前世のおくの中でも愛される話はたくさんある。けっこんしきにだって何度か招

待された。愛し合うふたりが結ばれることはめずらしくもない。

 それなのに、自分は要らないとらくいんを押されてしまった。あの絶望を、彼はたった今味わっている。

 それでもなお、感情のままに振る舞うことは許されず、何でもないふりをするしかない。

 必死に平気ですというていでいなければ、貴族として相応ふさわしくない。平然としていなければ、自分で自分を不良品だと認めてしまうことに繫がるからだ。

 同時にある考えがかぶ。

 王女や家族である侯爵家が要らないと言うならば、この方をわたしがもらってしまっても良いのでは……と。リリアンには婚約者が必要で、彼には居場所が必要だ。

 周囲に目をやるが、立候補するしゅくじょはいないよう。ならば、やはり先手必勝、お手つきしたもん勝ちではないだろうか。


「――あの、その……大変恐れ多くて申し訳ございませんが、こちらの殿方をわたしがいただいてもよろしいでしょうか?」


 正直言ってリリアンは、自分の声がそんなに良く通るとは思わなかった。

 けれどもどうやら、思い切り響いてしまったらしい。ざっと周囲の人々が波のように、身を引く。同時に高貴なる関係者一同が、リリアンを見た。四人分の目がようしゃなく自分へ向かう。とつぜんの注目に驚くのはこちらである。

 リリアン以上にぎょっとした顔で、王太子殿下がこちらをまじまじと見る。そして次の瞬間、頭痛の種が増えたというような表情をするのだ。失礼ではないかと、少し感じたことは秘密である。


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