第一章 捨てる婚約者あれば、拾う婚約者あり

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 落ち着いたところで、リリアンは両親に本日の出来事を報告した。うじうじしていても、どうにもならない。おこられることをかくの上で、夕食後、家族でお茶を飲んでいる時にばくしたのだ。

 ファミリールームは暖色の明かりに包まれ、ほっこりしたふんだ。先ほどから父が新たに見つけた古書の話をしていたが、会話がれたタイミングで、リリアンはアランのことを話す。


「……そ、そ、そ、それ……ほんとうなのかな?」

「本当ですわ、お父様。ですから、申し訳ありませんがもろもろの手続きやこうしょうをお任せしてもよろしいでしょうか?」


 不安げに、父であるロナルドを見る。

 でつけたちゃぱつに眼鏡の彼は、どこからどう見てもインドア派のしんだ。乗馬よりもボードゲームをたしなみ、古書が好きで高価な本を買いすぎて、母イーディスに𠮟しかられることもある。

 いつもやさしいロナルドは、めったなことでは怒らない。怒るとしても、リリアンに手を上げたことなどない。だが、世に例外はつきものだ。

 リリアンは𠮟しっせきされる可能性に、目をつぶる。ぎゅっと手をにぎりしめた。しかし、いつまでたってもこわい声は飛んでこない。


「……リリアン、つらかったね。もうだいじょうだよ」


 降ってきたのは、ロナルドの優しい声だけだ。


めんどうごとは構わないよ。こんな時こそ、僕に任せなさい」


 とはいえ、ふるえている小指にまだどうようが見て取れる。


「リリアン、その……アランきょうの新しいお相手は、どなたか知っているのかな?」

だんしゃく家のマリア・スコット様です。わたしの目の前で、アラン卿がプロポーズしていましたから」


 ピキピキと、何かにヒビが入った音がする。

 イーディスのカップだ。いつものがおであるのだが、ひとみが笑っていない。イーディスはちつじょを重んじるきっちりした性格なのだ。それを示すように、まとめがみもいつも乱れることはない。ゆえに、アランのこうが本当に許せないのだろう。

 大らかなロナルドとしっかり者のイーディスは、リリアンの理想であり、あこがれでもある。

たがいに互いを補って助け合える関係に、アランともなれたらいいなと思っていたのだ。


「スコットというのは、ちがいないのかい。リリアン?」

「ええ、あんまりなことをされたので、忘れられそうにありません」


 ロナルドが難しい顔をする。ただの男爵ではないのだろうか。


「スコット男爵は、五年ほど前から商売がうまくいってとても|振《ぶりが良くなった新興貴族だ。確か、スパイスの貿易で一気に一財産……いや、二財産ほど築いたと聞くよ。今はさらに手広くやっているらしいね」


「フォスル商会を知っているでしょう、リリアン? 輸入品をあつかって、流行はやっている店よ」


 イーディスが付け足して教えてくれる。その店はリリアンも知っている有名店だ。確かに出来たのはここ数年で、あっという間に支店が何けんも出来たはず。


「……アラン卿は我が家などより、お金の方を良しとしたのだろう。そんな男、こちらこそ願い下げだ」

「お父様のおっしゃる通りよ。本当に、ずいぶんな態度をとるものね」


 つまりアランは同格のはくしゃく家よりも、お金持ちの男爵家の方が良かったのだ。しかもあちらは流行に沿ったはなやかなよそおいをした可愛かわいい女性だった。きゃしゃがらな割にスタイルも良かった。

 しかも身につけるドレスもかみかざりもごうで、いろあざやかなもの。リリアンには出来ないし、似合わない格好だろう。だけど、それが彼には良かったのだ。

 それはつまり、リリアンのことは好みでもなく、本気でもなかったということだ。よりよいせんたくがあれば、すぐそちらへ行ってしまう程度の気持ちだったということ。


(……わたしだけががってたんだ)


 改めて、ふたりの気持ちの温度差をきつけられて、リリアンは心が冷える。


「でも、商会の方は大丈夫なのかしら?」


 意味深に、イーディスが目を細める。それにロナルドもならう。


「ああ……精石を扱うにしては、少々かつなような気がするな」

「でしょう? 考え方のちがいでしょうが、古くから言われてきたことには、意味がありますからね」

「お母様、それはどういうことですか?」

「フォスル商会は、こんやく用のアクセサリーも取り扱っているのよ。その家の|娘むすめ》が、他人の仲をいたとなれば……良いうわさとはならないでしょう? それにね、せいれいというものはいちおもいを好むの。だから、こんいんの時は精霊王にちかうでしょう」

「そうですね、大聖堂で誓い合うものですね」


 そう、この国には神様の代わりに精霊王がいる。そして、人々の暮らしには精霊が関わってくる。精霊の力はこの国のいろいろなものに活用されていて、精石というのは精霊の力がめられている石だ。お守りとして使われるものもあれば、道具を動かす前世の電池のような役割をもつものもある。

 その中でも、宝石のようにかがやくタイプの精石は誕生日のお祝いにはもちろん、婚約や婚姻のアクセサリーにもよく使われる。しかし、精霊が好まない人がもつとその輝きは失うとも言われている。


「だから、精霊術が関わる家は本来不誠実なことをしないものなのよ」


 メイドがカップをこうかんし、れ直したお茶をイーディスが味わう。リリアンの母は厳しいが、それらには理由があることを説明してくれる。頭ごなしに非難したりはしない。


「スコットだんしゃくじんは大陸の方らしいから、こちらの風習やしきたりにうといのでしょう」


「男爵自身も、大陸からの新しい価値観とやらをよく口にしてるよ。僕は新しいものを否定するつもりはないが、古くから言われていることを、全て否定するのもどうかと思うがね」


 それから、ロナルドがリリアンに向けて優しく笑った。


「リリアン、君は僕らのらしい娘だ。だれが何と言おうとも、君は君の素晴らしさをほこりなさい。それを疑ってはいけないよ。いつでも僕らが味方だと忘れないで欲しい」

「……はい!」


 転生して良かったと思うことはいくつかあるが、やはり両親に愛されていることだろう。

リリアンの前世の家庭は温かいものではなかった。

 利己的な父親がなじるのは、いつだって妻と娘だ。暴力こそなかったが、言葉は時にナイフよりも相手を傷つける。良いことは自分のおかげで、悪いことは自分以外のせい。そして彼の文句からのがれるために、母親は我が子を差し出す。かばわれない娘は、毎回暴言でみつけられた。

 それはけして、幸せとはいえない家族の姿。


(……だから、わたしは今のお父様とお母様が大好きだよ。すごく大好きなんだ)


 ここにはリリアンを気づかってくれる家族がいる。ここには、自分をいたわってくれる族がいる。病気になれば心配してくれて、悲しいことがあればどうしたのかと問いかけてくれる家族だ。

 ならば、おのれに何が出来るだろう。リリアンは優しい両親に親孝行をしたかった。父と母がいてくれたから、今もこれからも幸せなのだと伝えたい。安心して欲しいと願うのだ。


(今度こそ、見誤らずにちゃんとした相手を見つけなきゃ!)


 リリアンは心に誓う。


(次は、わたしとちゃんとけっこんしてくれる相手にする! 約束を守ってくれて……、好きかどうかではなくしんらいできる人を探そう)


 愛し合わなくても、手をつなぐことはできる。こいだって、世間に多くあるけに過ぎない。それがなくとも、人生をいっしょに歩んでくれる人がいるはずだ。何しろ貴族は政略でも結婚する生き物だ。リリアンと結婚してくれる人も、この国のどこかに絶対いるに違いない。

 そうして、今の両親に喜んでもらうのだ。


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