その婚約者、いらないのでしたらわたしがもらいます! ずたぼろ令息が天下無双の旦那様になりました

氷山 三真/ビーズログ文庫

プロローグ


 最近は手っ取り早く、まぶたを開けるだけで異世界だったりするものだ。

(やったね、残念なリアリティーから、ハッピーファンタジーありがとうございます! これでゆうに暮らすんだ!)


 などと考えた痛々しい過去が、伯爵令嬢リリアンには一応ある。


「アラン様、本日は一体どんなご用件でしょうか?」


 カフェの貴族用の個室に通された、一組の男女とひとりの女性。つうに考えれば、こいびととその友人といったところだろう。しかも、男女は手をつなぐどころか、うでからめるほどの至近きょだ。こんやく者同士か、ふうか、そんな関係でなければあり得ない。


「君って、どうしてそんなにおかたいんだよ」

(そりゃあ異世界転生したけど、やはりごうに入れば郷に従えって言葉を知ってるところからやって来たからだと思います)

 前世のおくを思い出してもう十年もったからか、リリアンもこちらの人間としての行動が板についている。そもそも前世の小説で見かけたような、転生のお約束などなかった。

 朝、目覚めた時いきなり自覚したのだ。

 高熱も後頭部のも事故も、まるでなし。悪夢も見なかった。本当にとつぜん前世の自分の記憶を思い出したのだ。しかも、全然ちがう世界の人間だったという、信じがたい事実といっしょに。

 とはいえ、混乱した時は子どもだったので、助かったといえば助かった。当時のリリアンは、だれも知らない道具や名前、意味不明な単語をつぶやいていたのだが、子どもであったおかげで、空想や夢としてあつかわれてすんだ。


「ねーアランさまぁ、マリアこのベニエ可愛かわいいからもっと食べたいな」

「そうだね。可愛いマリアのために、好きなだけ注文しようか?」

「やだー、アランさまぁだーい好き!」


 それよりも、今はこのじょうきょうだ。何故なぜ、見知らぬ女性といちゃつく婚約者を見せられているのだろう。しかも真正面で。アラン様ことアラン・ホールはくしゃく令息は、リリアンの婚約者。昨年からお付き合いが始まり、そろそろ式のことを考えませんか? な空気が、両伯爵家にただよう関係だ。

 その相手から本日急に話があると呼びつけられて、この状況。ここ数ヶ月、なかなか会えないとは思っていたのだ。――と、疑問をたたみ、リリアンはまし顔でカスタード入りのベニエを見つめる。これに生クリームが入っていれば、前世のぼうドーナツそっくりになるのにと自分をす。そうでもしなければ、落ち着いていられない。


「マリアは前からここに来たいと言っていたじゃないか。えんりょせずに、何でも好きにたのんでいいんだよ」

「アランさまぁ、覚えててくれたんだ。マリアうれしいー」


 ひたすら甘い、婚約者のそんな顔は初めて見る。自分には覚えのないもの。食欲がかず、リリアンはを見つめるばかり。

 そうして、アランが決定的なことを口にした。


「……で、話すのもめんどうなんだけど、君とはこんやくすることにしたよ」


 今、何を言ったのだろう?


「こんやくはき……ですか?」


 子どものように、片言で返してしまう。自分の言葉なのに、どうも現実味がない。昨日までのリリアンならば、アランを見ててきだなと思っていただろう。

 その彼が、今どこかへ行ってしまった。見つからない。


「そう、婚約を破棄する。もちろん、僕と君の婚約だ。分かるだろう?」


 何を分かれというのだ。けれども、彼の言葉は続く。きっともう、リリアンなど眼中にないのだ。だから、立て続けに言えるのだろう。

 れいだと思った灰色がかった青いひとみが、やさしそうな垂れた目が、全部リリアンにだけ冷たく向けられる。安心できた声が、リリアンだけを非難するひびきを有していた。


「君が僕にれてて、がんってるのは分かるんだよ。別に君の容姿がおとってるとは言わないけど、もう少しはなやかで可愛い格好でもいいかなぁ……って思うんだ。かみだって、他の子みたいにすれば良いじゃないか。流行はやってる風に」

「アランさまぁ、かわいそう! マリアがいーっぱいなぐさめてあげちゃうね」


 そう言って、見知らぬ女性がアランの頭をでる。赤みの強い髪が、夕日みたいで綺麗だと思ったのはいつだったか。きっと初めてふたりで出かけた植物園の帰りだ。


「わあ、嬉しいな。マリアは可愛いのに、その上優しいなんてしら百合ゆりのようだ」

「もう、アランさまぁってば! そんなことばかり言って、もうもうマリア困っちゃう、もう!」


 分かりやすく甘える女性にきつかれ、やに下がった婚約者を見れば、百年のこいめる。さらに、白百合は最愛の相手へおくられる言葉だ。それがリリアンではなく、マリアという女性だという。


(はは……そうですか。そうですか)


 リリアンは慣例に従い十六でデビューし、すぐにアランと出会い婚約した。同じとしごろれいじょうとしては、順調なすべしだった。だから今年はこのまま、当たり前にけっこんできると考えていた。いや、それしか考えていなかった。

 うわ相手は昨年見なかった顔なので、今年デビューした子なのだろう。自分よりひとつ下の子に、してやられたのだ。

 しかも、なかなか派手なよそおいで、色もすごいが金額も凄そうなドレスが目にまぶしい。頭の大きなリボンには、もしかしたら宝石がけられているかもしれない。


「マリア、デビューしたばっかりなのに、アラン様に出会えるなんて……きっと運命だと思うの」

「僕もそう思うよ。マリアと僕は運命、きっと真実の愛だね」


 限りなくきんぱつに近い色に、ふわっとしたヘアスタイルは今流行のもの。それが似合う彼女は、確かにリリアンよりも可愛いだろう。まるで綿わたみたいだ。

 それに比べリリアンの髪はありふれた色で、何処どこへ行ってもまいぼつする。 しかもすとんとぐで、上手うまく巻くことが出来ない。瞳とて同じ。緑色はこの国ではよくある色だ。

 だから、マリアの方が可愛いと彼は思ってしまうのか。いや、そうではない。彼がそう思っても仕方がないと、いっしゅんでも感じたことがくやしかった。

 可愛くなれるように、自分はいつも気をつけていたつもりだった。好きな人にそう思って欲しいと、願っていた。実際可愛いと言ってくれて、その言葉を信じていたのだ。

 けれども、本当は上辺だけだったらしい。それだから、欲しい言葉ももらえなかったのか。


(……そうだよ。だってわたし、まだちゃんとプロポーズされてない)


 好きだと言われて、好きだと伝えて、それで全部だと思っていた。デートもしたし、かみかざりも贈ってもらった。他の子と同じように過ごしていたと思う。そうだと感じていた。


(だけど、わたしの思い込みだったのかな)


 デビューの会場で、きんちょうしてまどっていた時に、声を|掛《

か》けてくれたのがアランだった。

王都の公園にいるという可愛い動物の話をしてくれて、リリアンは見てみたいと言った。

 それがふたりの出会いだった。

 リリアンのために飲み物を選んでくれたり、つかれないようすすめてくれたりと気をつかってくれて、親切な人だなと思った。その日の夜、リリアンは初めて家族ではない異性とおどった。ダンスの相手は、もちろんアラン。

 けれども、それが今はこうなのだ。


「じゃ、じゃあ、マリアはアラン様のおよめさんになれるの? ……素敵!」

「ああ、マリアなら、絶対誰よりも可愛いお嫁さんになれるよ。今すぐ婚約して僕と結婚してくれないか、マリア・スコットだんしゃくれいじょう


 そう言って、アランが取り出したのは布張りの箱に入ったアクセサリーだった。この国では恋人や結婚相手に、お守りになるそうしょく品をわたすのがしきたりだ。だからこそ、リリ

アンはいつか自分も貰えるものだと思っていた。ずっと信じていたのだ。


「はい、喜んで」


 けれども、現実は異なる。

 目の前で瞳をうるませているのは、自分ではない女性。

 リリアンの両手は今も空っぽで、きゅうこんも特別なアクセサリーもなにもない。昨日まで思いをせた幸せは、このしゅんかんをもって失われたのだ。

 カタッと、椅子の音を立てる。だけど、何も変わらない。引き止める声どころか、いちべつだってない。

 彼らは立ち去るリリアンを見てはいなかった。気がつきもしない。婚約破棄するような相手だ。そもそもリリアンの名前すら呼ばなかった。

 つまり、そういうことだったのだ。

 リリアンはくたびれた会社員のように、背を丸め馬車にさっさと乗り込む。家に早く帰らなくては。両親にことのだいを報告し、全てなかったことになったのだと伝えなくてはならない。れる馬車の中で、リリアンはうなだれる。座席から滑り落ちそうな身体からだを、何とか直す。それだけで、もう疲れてしまう。


(……わたしの一年は、何だったんだろう)


 泣くのはいやだった。きっと止まらなくなってしまう。なによりも、あんな男のために泣くなんて嫌でたまらない。自分が泣くのは、自分を大切にしてくれる人のためがいい。そうしたい。


(……わたし、これが初めての恋だったのに。絶対上手くいくんだと思ってたのに……)


 家にとうちゃくしても、増すのはゆううつばかり。

 アランとのことを両親に話さなければ。そう考えただけで心が重くなる。馬車での体勢が悪かったせいで背中も痛い。まずは部屋でゆっくり休もうと、リリアンは思う。心を落ち着かせる時間が必要だった。

 リリアン付きのじょのジルにお願いして、お茶の準備をしてもらう。こんな時、貴族のおじょうさまに生まれたことに感謝する。どんなにくたびれていたとしても、ひとり暮らしならば自分で自分の面倒をみなくてはならない。

 誰かの手助けがしいともうそうするだけで終わる前世のなんとこくなことか。


(本当……これ、ありがたいわ。時間になれば食事は美味おいしいものが毎日用意してもらえるし、専門の人の淹れたお茶が飲めるとか、ごくらくでは?)


 自分の部屋にある、ひとりけのソファに座り込み、何も考えずに空を見る。このソファとて、転生して得た幸せだ。


(座椅子もいんだけど、やはりソファは最高。このまま……結婚しないで生きていけないかな……いけないよね。わたし、ひとりむすめだものね)


 リリアンの前世は、おひとり様な生活だった。彼氏? それは何処で売っていますか? 

 なんて、馬鹿なことを考えるぐらいにえんがなかった。それに前世には、いろんな恋物語が|溢

《あふ》れていた。まんに小説、ゲームにアニメ、ドラマや映画。恋を味わうばいたいはいくらでもあった。だから余計にあこがれてしまったのだろう。そして人より夢見がちだったのだ、多分。


(……デビューでアランに出会って……もう、彼以外全然考えなかったから……)


 そこで、リリアンの恋物語は完結してしまった。もうゴールしたも同然で、ハッピーエンドしか見えていなかった。


(何か特別なことができたら、わたしは捨てられなかったのかな……折角前世の記憶もあったのに)


 今から巻き返せるだろうかと思い、リリアンは自分なりに思案してみる。

 けれども、貴族令嬢として生まれて、その生活に満足してしまっていた。特別な何かを目指そうなどと考えたこともない。

 前世のリリアンの記憶をさらっても、特別なたしなみはなさそうだ。ごくへいぼんなサラリーマンの家に生まれ、料理は食べられるものを作れる程度。器用とはほど遠い。小説でよく見

かけたみたいにしょう品やこうすいを作るなんて、とても無理だ。

 そもそもリリアンの前世はただの社会人なだけで、専門知識が必要なスキルや資格持ちではない。勤め先であたえられた業務をたんたんとこなすだけ。読書は好きだったが、れんあいやコメディ系の漫画と小説ばかり。今必要となる知識など、ひとつもない。

 運動神経は人並みで、一芸にひいでているわけでもなく、文才だってない。


(……わたしの前世、かしどころがない。これじゃあ、思い出し損じゃない!)


 むしろ、令嬢としての嗜みであるしゅうに苦戦しているありさまだ。


(ドアマットヒロインのように虐げる両親はいないし、まい格差とはえんだし、欲しがり系従姉妹いとこなんて見たことない。血筋的にも、実は聖女でしたという展開も見込めない)


 特技だけでなく異世界転生のお約束も、ナイナイくし。

 そんな、ないものばかり寄せ集めのおのれが、しっかりきっちり、婚約破棄だけはあるのだから、今世もなかなかに厳しい。


(どうしよう……やっぱりお父様とお母様に言わないとダメなんだよね……う、胸が痛い)


 ジルが出してくれた焼き菓子をほおりながら、人生設計を再度考えてしまう。

 ひとり娘のリリアンは、お婿むこさんがいないとあとつぎに困る。本当に困る。とても困った。

 きゅうきょ婿むこ殿どのだいしゅうになるだろう。

 しかし、リリアンはつい先ほどまで婚約者がいるお嬢様だった。そこに、若い女性にえられたという、めいがつく。こちらは悪くないとどんなに説明しようとも、世間は何かあったのではとかんぐるだろう。

 もしくは、マリアとリリアンを比べてくるにちがいない。あることないこと言われてしまうだろう。うわさなんてものは、ただおもしろければいいのだから。


(……あっちの方が可愛かったよね)


 容姿や年齢でおとしめられたら、どうしようと不安になる。

 貴族の婚約は、家同士の繫がりが。けれども恋愛結婚がないわけではない。ただ、

そういった場合、別れたあとが面倒なのだ。特にられた側が。リリアンとて、そのリスクを考えなかったわけではない。考えたが、初めての彼氏にうわついて、振られるなんて結末を思いつかなかったのだ。

 前世で読んだ物語のヒロインは、いつだって苦労していたはず。ライバルが出てくるなんて定番中の定番で、誰もが想像するお約束だ。それなのに、両思いならば、そのまま結婚まで一直線でいけると楽観的だった。何故そう考えたのか。

 答えは簡単。前世でもよく聞く話だ。自分だけはそうならないという、こんきょのない自信が全ての失敗の元。

 しかもこちらの貴族の婚活は、前世の婚活より厳しい。毎年新たな令嬢が参戦する世界で、婚約に一度バツが付いた令嬢を誰が選んでくれるというのだ。本人が良しとしても、親がケチを付ける可能性が高い。


(だけど、ここでわたしが頑張らないと絶対にダメだ! お父様とお母様は、みょうちきりんなことをしてるわたしに優しい、素敵な両親だから。この家をわたしが頑張って守らないと!)


 前世を思い出したばかりのころ、リリアンは変な子どもだと思われていた。前世の記憶が今世の記憶と交ざってしまい、区別がつかないところがあった。当時の幼い自分では、いきなり湧いて出てきた記憶が何なのか、よく分かっていなかったのだ。何処で聞いたのか分からない言葉をいったり、ろうを急に走り出したり、あれこれ質問めにしたりもした。

 そんなリリアンに対して、𠮟しからず優しくしてくれた両親は本当にかんだいだったと思う。

 前世の両親とは大違いだ。


(まあ、婚約破棄は貴族令嬢の嗜みみたいなものだと、前世のネット小説にあったし仕方がないよね)


 そう、仕方がない。仕方がないこと。起きたことは、もうもどせない。

 リリアンは仕方ないと、じゅもんのように唱える。普通の令嬢として生きてきたのに、しゅくじょとしてちがったことをしていないのに、どうしてなんて考えても意味がない。分かっている、じんさに世界のかきなんてないと。

 今後、素敵と感じた相手はまずばいきゃく済みと思った方がいい。そこは前世と同じで、出来の良い殿とのがたから順番に売れていくもの。優良物件には、約束された将来のパートナーが必ずとなりにいるものだ。それをふまえて、リリアンと一緒に伯爵カンネール家をいでくれる良き婿殿を探さなくては。

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