閑話 いつかの未来

いい天気ですわ――


リビングの窓を開けたリズは、青く澄みわたる空を見あげると大きく息を吸いこんだ。森から風に運ばれてやってきた新芽の香りがどこか懐かしい。


室内へ向き直ったリズは、窓際にもたれたまま部屋のなかへ視線を這わせる。掃除を終え、空気も入れ替えた部屋が、何だかいつもと違う空間のように思えた。


リズの視線がある一点で止まる。十年以上、部屋の一部としてそこにあり続ける一つの家具。窓際から離れたリズは、年季が入った革張りの三人がけソファへ近づいた。


革の表面についた細かい傷やひび割れを、懐かしそうにそっと撫でる。突然押しかけてきて、強引に弟子入りした三人のかわいい弟子たち。毎日のようにやってくる、あの子たちのために買ったソファ。


「……メンテナンスはしていても、やはり朽ちていくものですわね」


懐かしそうに、そして少し寂しそうにリズが呟く。ユイとモア、メルの三人娘が独り立ちし、もう十年以上が経った。三人とも忙しい日々を送るようになり、ここへやってくる頻度も少なくなったが、それでもこのソファだけは絶対に捨てないでほしいとお願いされた。


「もう、あの子たちには狭いでしょうに……」


ふふ、と口もとを緩ませたリズは、弟子たち専用のソファへそっと腰をおろした。目を閉じると、今でも幼い弟子たちがきゃいきゃいと姦しくしながらお菓子をつまんでいた光景がありありと蘇る。


「……天気もいいですし、久しぶりにあの子たちの顔でも見にいきましょうかね」


すっくと立ちあがったリズは、リビングの窓を閉めると、外出する準備を始めた。



――聖デュゼンバーグ王国の王都。かつては大賑わいだった中心街も、今は少し様子が異なる。第二の都市となったエステルがまたたく間に繁栄し、多くの住民が転居したのだ。現在では、エステルがデュゼンバーグにおける経済の中心地となっている。


変わりばえしない街並みを眺めつつ、リズは大通りを真っすぐ進んでいく。通りに面した白い外観の建物前で立ち止まり、重い木製の扉を開くと、男女入り交じった怒号のような声が壁になって押し寄せてきた。


ここはデュゼンバーグ王都にある冒険者ギルド。屋内へ足を踏み入れたリズは、周りの喧騒を無視してまっすぐカウンターへと進んでいく。


どう見ても十代前半の少女にしか見えないリズに、冒険者たちが怪訝そうに視線を向けるが、彼女は気にすることなく受付カウンターから少し離れたところで立ち止まった。


「ダメダメ! あんたらのランクでこんな依頼なんか受けたら、あっという間に死んじゃうよ!? もっと別の案件にしな!」


「え~……! そ、そこを何とか!」


「あんた、バカなの? 簡単に死んじゃうよって言ってんの! あんたらのためを思って言って――」


カウンターの内側で険しい顔をしている女が口をつぐむ。ホールにリズの姿を見た女の顔が、ぱぁっと明るくなった。


「リ、リズ先生! どうしたんですか!?」


「ユイ。元気そうですわね」


カウンターで対応していた冒険者を放置し、ユイがリズのもとへ駆け寄る。トレードマークのポニーテールは幼いころと同じだが、彼女の身長はすっかりリズを追いこしていた。


「はい、元気です! 先生、もしかして、私に会いに来てくれたんですかっ!?」


「ええ。みんな忙しそうにしていますし、こちらから顔を出そうと思いまして。副ギルドマスターの仕事にもすっかり慣れたようですわね」


「あはは。冒険者と兼業もしてるんで、なかなか忙しいです。でも、楽しいですよ!」


にぱっと弾けるような笑顔を見せるユイに、リズも思わず頬を緩めた。一方、Aランク冒険者であり、副ギルドマスターでもあるユイが、十代前半の少女にしか見えないリズを先生と呼んでいることに、冒険者たちはただただ困惑した。


「充実した日々を送っているようですわね。元気そうで安心しましたの」


「リズ先生も元気そうで何よりです!」


「そういうことを言えるようになったのも、成長とときの流れを感じますわ」


「えへへ……あ、もしかしてこれからモアたちのところへ?」


「ええ。あなたたちも、また暇になったらいつでも遊びにおいでなさいな」


少しのあいだ雑談したあと、ギルドの外までユイに見送ってもらい、リズは次の目的地へと足を向けた。彼女が次にやってきたのは、デュゼンバーグ魔法学園。


かつて、ユイたち三人娘が通っていた学び舎である。もともとは女学園だったが、現在では共学化しているとのこと。


正面玄関から校内へ入ったリズは、授業中で静かな廊下を目的地目指して歩いていく。ここへは所用で何度か訪れているため慣れたものだ。


目的の部屋の前に着き、扉を二回ノックする。「は~い」とのんびりとした声が聞こえてきたので、扉を開けてなかに入った。


「久しぶりですわね、モア」


「え……あっ! リズ先生!?」


執務机に向かって書類を眺めていたモアが、弾けるように立ちあがる。彼女もユイと同様、今ではすっかりリズの身長を追いこしていた。


「ちょっと顔を見にやってきましたわ。元気そうで何よりですの」


「はいっ! でも、仕事が忙しくてなかなか先生のところに行けないのが寂しいです」


「嬉しいことを言ってくれますわね。仕事が充実しているのはよいことですわ。今は教頭ですが、いずれは学園長になるのでしょうから、今からしっかり励まなくてはなりませんわよ」


「うう~……これ以上忙しくなるのはツラいです」


「あなたならきっとできますの」


「はい……あ、先生。また魔法の指導に来てもらってもいいですか? リズ先生の授業、生徒たちから人気なんで!」


「そう、ですわね。また、時間を見つけて足を運びますの」


「お願いします! あ、もうユイちゃんたちには会いました?」


「ええ、先ほどユイには」


「じゃあ、今からメルちゃんのところへ……?」


「……ええ。まあ、会えるかどうかはわかりませんが」


少し顔を曇らせたリズを見て、モアもそっと目を伏せる。


「もし会えたら、私もメルちゃんに会いたいって、伝えてくれますか?」


「もちろんですわ」


そこから少しのあいだ、モアの相談ごとにのったあと、リズは学園をあとにした。学園を出たリズが向かったのは、王城の近くにある教会。


聖デュゼンバーグ王国の国教であるエルミア教。その総本山である教会本部だ。教皇であるソフィア・ラインハルトとは旧知の仲であるため、リズは遠慮なく教皇の執務室へ転移した。


「ごきげんよう」


「きゃあっ! あ、リズさん!? んもう~……びっくりさせないでくださいよっ」


ソファに体を埋めて読書をしていた教皇、ソフィアが恨めしそうな目を向ける。


「申しわけありませんの。それにしても、世界中に信徒を抱える宗教のトップというのに、ずいぶんと暇そうですわね」


「暇じゃないですよ! たまたま今は休憩してただけです! 枢機卿が書類仕事をほとんどやってくれないから、大忙しなんですからねっ」


若年の身ながら、実力だけでエルミア教の教皇にのぼりつめたソフィアがプンプンと怒り始める。その様子を見てリズは思わず苦笑いした。


「で、その枢機卿に会いにきたんですが。もしかして、今日も……?」


「ええ。メル枢機卿ならいませんよ。また聖騎士を引っ張りだして、魔物退治だか盗賊退治だかに出かけてますから」


ソフィアが「はぁ」と大きなため息をつく。


「そう……ですの」


「ほんっと、前代未聞ですよ。枢機卿が自ら聖騎士を率いて魔物退治なんかに出かけるって。まあ、私はメルのそういうところを気に入ってるんですけど。ただ、もう少し書類仕事もまじめにやってほしい!」


「まあ……あの子を枠にはめようとするのは難しいですわね」


「そうなんですよね~。しかも、何だかんだで実績もあるし。それに、何と言っても圧倒的な力がある」


ソフィアの瞳がギラリと鈍い光を帯びた。


「本当に……よかったんですの? 師匠である私が言うのもあれですが、メルに信心などほとんどないように思えますが。長年そばにいた私でさえ、あの子が何を考えているのかはよくわかりませんでしたの」


「いいんですよ。もともと、聖騎士団長のレベッカだって信心などまったくなかったんですから。聖職者に必要なのは、信心より力だと私は考えているんです」


「とんでもない問題発言ではないですの? 仮にもエルミア教の頂点に立つ聖職者が」


「だって、力がないと正しいことはできませんから。いくら信心が強くても、腕力や魔法でねじ伏せられるようでは話になりません。正しいことをするには力が必要なんです」


「あなたの思想も相当にぶっ飛んでますわね」


「人々が平和に暮らせる理想的な世界を作るには、メルみたいな力のある聖職者が必要なんですよ。ちょっとわけわからないところもありますが、あの子ほどの逸材はいません」


「なら、やはりいずれはあの子を……?」


「ええ。次の代の教皇に推薦しようと思ってます」


はっきりと口にしたソフィアを見て、リズが小さく息を吐く。この国において、教皇は国王に匹敵する権力をもつ。つまり、教皇になるということは、国のトップに立つのと同じことなのだ。


「まあ、あなたにも考えがあってのことだと思いますが。で、メルはいつ戻ってくる予定ですの?」


「全然わかりません。相変わらず自由気ままなので。ときには野宿しながら連泊することもありますし」


リズがため息をつく。教皇によって見出されたメルが枢機卿に就任して以来、リズは彼女に一度も会えていない。会いに行っても、何だかんだ理由をつけて会ってもらえないこともあった。


「……やはり、私はあの子に避けられているようですわね」


「……というより、今の自分を見られたくないって思っているのかもしれませんね。ほら、例の」


「気持ちはわからなくもない、ですが。それでも、弟子に避けられるのは寂しいですわ」


「そう、ですね。まあ、例ので、彼女が神格化されているのもまた事実なんですが」


そこからしばらく、会話しながら待ってみたものの、やはりメルは戻ってこなかった。諦めたリズは教皇の執務室をあとにし、教会の外へ出た。


通りを少し歩いたところで教会を振り返る。何とも言えないモヤモヤしたものが胸の奥底から湧きあがる。それと同時に、言いようのない寂しさも。


……メル。今、どこで何をしていますの? 日々を元気に過ごせていますの? 周りの人たちとはうまくやれているんですの? 


私が手塩にかけて育てた自慢の弟子。つかみどころのないあなたでしたが、いつも私やユイたちのことを気にかけてくれていましたわね。


あなたは今、幸せですの? 後悔はしていませんの? 


ただただ、今はメル、あなたに会いたいですわ。

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