第29話 やめておあげなさいな

「な、な、な……!」


口をぱくぱくとさせるテイラーの様子に、リズが苦笑いを浮かべる。


「まあ、思った通りの反応ですわ」


「あ、あ、当たり前ですよ、リズ様っ! 何を言い出すかと思えば、そんな……!」


わかりやすく戸惑うテイラーを視界に捉えたまま、リズはティーカップに口をつけた。


テイラーが戸惑うのもムリはありませんわ。自分を殺しにきたと思っていた吸血鬼ヴァンパイアハンターから、恋心を抱かれているなどと聞かされても、信じられるはずはありませんもの。


「ロイズと話してみた感じ、ウソは言っていないようでしたわ。そもそも、あなたロイズから実際に攻撃されたわけではないのでしょう?」


「こ、攻撃はされていませんけど……で、でも! 逃げる私をおっかない顔して追いかけてきたんですよ!?」


「話をしに訪れたのにいきなりあなたが逃げたからじゃありませんの?」


「う……!」


「まあ、あなたが勘違いするのもムリはないと思いますが。聖水の匂いをまき散らす吸血鬼ハンターらしき者が自宅の前に立っていたら、恐ろしくなって逃げだす気持ちは理解できますの」


もちろん、私のような純血の高位吸血鬼にとって、人間の吸血鬼ハンターなど何の脅威にもなりませんが。半吸血鬼ハーフヴァンパイアで戦闘経験も乏しいテイラーが恐怖を感じるのは当然かもしれませんわね。


「そ、それで……あの男は今、エステルにいるんですか……?」


「ええ。でも安心なさい。少しでもおかしなマネをすれば、一瞬でこの地上から消し去ると脅してますから。それに、今はユイやメルたちがそばで監視していますの」


眉間にシワを寄せたまま唇をキュッと噛むテイラー。頭のなかで話と思考を整理しているように見えた。


「とりあえず、話だけでもしてみたらどうですの? そうしないと、このままずっとつきまとわれるかもしれませんわよ?」


「うう……でも……」


落ち着きなく視線を宙へさまよわせるテイラーを見て、リズが首を傾げる。


私がそばにいるのですから、ロイズがこの子の脅威になることはあり得ませんの。それなのに、いったい何をためらっているのでしょう? ほかに何か理由が……あ。


「もしかしてあなた。男性経験がまったくない、とか言いませんわよね?」


「……!!」


テイラーが顔をこわばらせる。実にわかりやすい反応だ。


「もしかして、処女ですの?」


「あうっ……!」


頬を真っ赤に染めてうつむき、モジモジとする様子にリズが呆れたような顔をする。


「おぼこいとは思っていましたが、まさか本当におぼことは思いませんでしたわ。じゃあ、男性と交際した経験も?」


「は、はい……」


胸の前で指を絡めて恥ずかしそうにする姿は小さな子どものように見えた。


「なるほど……。そういうことでしたのね」


「うう……半吸血鬼だとバレないように、人間との接触もなるべく控えてきましたし……男性からそんなふうに想われたこともないので……」


「何を話せばいいのかわからない、と?」


「はいぃ……」


トホホ、と情けない声を漏らすテイラーを見て、リズはクスリと笑みをこぼした。


「何も難しく考える必要はありませんわ。あなた、ここでもいろいろな男性と会話はしているのでしょう?」


「それは、まあ……」


「別に、会話したからといって必ず交際しなければいけないわけではありませんし。あまりにもしつこくて、あなたがどうしてもイヤならそのときは私が何とかしますわ」


「あう……はい……」


「それに、うまく扱えれば、あなたやエステルの役に立つ可能性もありますわよ?」


「え?」


「そこそこ戦闘はできるようですし、あなたの護衛とか、あなたがいないときにエステルの守りを任せるとか、いろいろ役立ちそうじゃありませんこと?」


「あ、なるほど……」


「どうせなら、惚れた弱みにつけこんでいろいろと利用してやればいいんですの。女はそれくらいしたたかでないといけませんわよ?」


「は、はい……! さすがリズ様……!」


テイラーがリズにキラキラとした目を向ける。


まあ、偉そうなことを言っていますが、私自身そこまで男性経験はありませんの。先ほどの話はすべてお姉様からの受け売りですわ。


お姉様とは、吸血鬼の頂点に立つ真祖、アンジェリカ・ブラド・クインシーのことである。吸血鬼でも人間でもエルフでも、男性でも女性でも見境なしに手を出す性欲モンスターの姉貴分から、リズは恋のイロハを学んでいた。


「吸血鬼を狩ることを生業としてきたのですから、そこそこ強いはずですの。頼りになる男が一人いれば、あなたもずいぶんと楽に――」


突然、「ワッ!!」という歓声のような声が外から聞こえ、リズとテイラーは顔を見あわせた。


「な、何ですの、今の声?」


「さ、さあ……? 広場のほうから聞こえましたけど……」


「何か騒ぎがあったようですわね。ちょっと行ってみましょう」


リズはテイラーの手をとると、急ぎ広場へと転移した。



――歓声が聞こえてきたのは、以前ユイたちがエステルの住人に魔法を指導していた広場だ。転移魔法で広場のそばへやってきたリズとテイラーの目に、二十人ほどの住人が興奮している様子が映りこんだ。


「ごめんあそばせ。ちょっと通してくださいな」


「あ、リズ様! テイラー閣下!」


広場の外側に群がっていた住人たちが次々と頭を下げながら道をあける。開けた視界の先に見えた光景に、思わずリズはギョッとした。


まるで、馬車にかれたカエルのように仰向けになり転がっている一人の男。吸血鬼ハンターのロイズだ。そして、その周りではユイとモア、メルの三人娘が戸惑ったような表情を浮かべてオロオロしていた。


「あ、リズ先生!」


リズに気づいたユイが振り返り声をあげる。


「あなた方、何をしていましたの?」


「や、その。暇だったから、ちょっと手合わせを……」


地面で仰向けになったままピクリとも動かないロイズを、リズがちらりと見やる。どうやら完全に気絶しているようだ。


「ええと、いったい誰が手合わせしましたの?」


「あ、あたし……」


「ユイが一人で?」


「はい……」


リズが「ふうん」と感心したような顔をする。


ユイの魔法戦術はかなり上達していますからね。日々の修行で内包する魔力量も増えていますの。その辺の人間なら相手にならないのは理解できますわね。でも……。


「う……うう……!」


轢かれたカエルのようになっていたロイズが息を吹き返した。おそらく、魔法によるダメージはモアが治癒魔法で回復していたのだろう。


目を覚ましたロイズがゆっくりと体を起こす。しばしぼーっとしていたが、状況を理解したのか途端に悔しそうに顔を歪めた。


「ロイズ、大丈夫ですの?」


「く……!」


顔を伏せたまま口をつぐむロイズ。リズの背中に隠れるようにして覗いているテイラーのことも見えていないようだ。と、そこへ――


「あ、あの、リズ先生」


「ん、どうしましたの?」


戸惑いの表情を浮かべたままユイがリズの顔を見あげる。


「この人、本当に吸血鬼ハンターなの?」


「と、本人は言っていましたが? 何か疑問でも?」


「や、その……あたしの魔法に全然対処できないし、何て言うか……めちゃくちゃ弱いんだけど」


その言葉にショックを受けたのか、ロイズがさらにがっくりと肩を落とす。


「やめておあげなさいな。ロイズのライフはもうゼロよ」


「は、はい……」


リズはクスっと笑うと、ユイの頭を優しくなでた。


ユイの成長は著しいですわね。それにしても、相手がユイでよかったですわ。もしメルと手合わせなどした日には、確実にロイズは死んでいましたわね。うーん、それにしてもタイミングが悪いですわ。私さっき、テイラーに「そこそこ強いはずですの」とか言っちゃいましたわよね?


先ほどまでのテイラーとのやり取りを思い返し、リズが小さくため息をついた。護衛やエステルの守りに、と提案したものの、こんなに弱いんじゃ話にならない、とテイラーは思っているかもしれない。と、そのとき。リズの背中に隠れていたテイラーが、スッと一歩踏み出した。


「あ……! 君は……!」


まだ地面に座りこんだままのロイズが、テイラーに気づきハッとした顔をする。一方、テイラーは険しい顔つきのままロイズを真っすぐに見つめていた。

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