第19話 必ずやってきますの
誰もいなくなったダイニングで、一人夕食の後片づけをしていたミーナが深いため息をつく。視線の先には、半分以上残された娘、モアの食事。
はぁ……いったいどうしたのかしら、あの子ったら。普段なら、具合が悪くてもリズ先生のところには絶対行きたがるのに……。
それに、こんなに食事を残すのも珍しい。学園で何かあった? 気になって聞いてみたけど「何もない」の一点張りだった。何もないはずはない。だって、明らかに泣き腫らしたような目をしていたもの。
詳しく問い詰めてみたい気持ちはある。でも、娘も難しい年ごろだ。あまりにも詮索しすぎると気分を害してしまうだろう。
母親なのにあまりにも無力――
もう一度深くため息をついたミーナは、洗いものをするために重ねた食器を抱えてキッチンへと向かった。
――泣きすぎて目尻が痛い。
ベッドへ仰向けに寝転がったまま、モアはそっと目元へ指で触れた。できれば目は閉じたくない。目を閉じると、学園での出来事が鮮明に思い返される。
こんなに哀しいってことは、やっぱりこれが恋だったのだろうか。でも、あのとき学園の廊下で流した涙より、一人で帰宅するときに流した涙のほうが多かった。
『モア、大丈夫?』
保健室から教室へ戻ったとき、メルにかけられた言葉が脳内に響いた。あのとき、私はいったいどんな顔をしていたんだろうか。
結局、あのあとメルちゃんとは一度も会話をしなかった。どうしてもメルちゃんの顔を直視できなくて、逃げるように一人で帰宅してしまった。
考えてみれば、シュウ君がメルちゃんを好きなのも当然のことだ。実際、メルちゃんに好意を抱いている男子は多いと聞くし。
整った顔立ちにどこか不思議な雰囲気をまとう魔法の天才少女。かたや、これといって特技もない地味なメガネのまじめ女子。
「そりゃ……そうだよね……」
再度大きなため息をついたモアは、ゆっくりとベッドの上で半身を起こした。やる気は起きないが、とりあえず宿題には手をつけないと。ベッドから降りようとしたそのとき――
「モア―。ちょっといい?」
扉の向こうから母親の声が聞こえ、モアは思わず顔を顰めた。正直、今は母親ともあまり話したくはなかった。
「……少し、一人にしといて」
扉に近づいたモアが言う。
「そう……でも、リズ先生がいらっしゃってるんだけど……」
「え……!?」
モアが慌てた様子で扉を開く。そこには、敬愛する師匠が優しげな笑みを浮かべたまま立っていた。
「モア。具合はどうですの? あ、ミーナ。ここは私に任せて、あなたは用事を済ませなさいな」
「はい。リズ先生、よろしくお願いします」
ぺこりと頭を下げるミーナに軽く手を振ったリズは、モアの部屋へ入って扉を閉めた。二人してベッドへ腰をおろし並んで座る。
「気分はどうですの? まだ具合が悪いようなら、治癒魔法をかけましょうか?」
「いえ……。実は、体の具合はそれほど悪くなくて……」
モアがそっと目を伏せる。
「そうでしょうね。見たところ、心の病とでも言ったところでしょうか?」
モアの心臓がドクンと大きく波打つ。心を見透かされた気がして、モアは恐る恐るリズの顔を見やった。
「ど、どうして……」
「私はあなたの師匠ですわよ? 体調がすぐれないかどうかなど見ればすぐわかりますわ」
モアの腰へ手をまわしたリズは、その小さな体をグッと引き寄せた。
「いったい、何がありましたの? ユイやメルたちも心配していましたわよ?」
「あ……う……」
「根本的な解決にはいたらなくても、話すだけでスッキリすることもありますわ。私でよければ、いくらでもお聞きしますの」
敬愛する師匠の優しさとぬくもりを感じ、モアの瞳から熱いものがとめどなくこぼれ落ちる。学園での出来事をすべて話したモアは、母親を心配させないためか、必死に声を押し殺すようにして泣いていた。
「失恋……でしたのね」
肩を震わせる愛弟子の体をリズが優しく抱きしめる。
「違うんです……! や、違わないけど……それ以上に、私は最低なことしちゃったんです……!」
「最低なこと?」
「わだじ……メルぢゃんに……メルぢゃんに酷いごど……! メルぢゃん、何も悪ぐないのに……! わだじのごど、あんなに心配じでぐれでだのに……! わだじ……無視じで……! ううう……!」
えぐえぐと嗚咽し続けるモアを落ち着かせるように、背中をぽんぽんと一定のリズムで打つ。
「ぜんぜい……わだじ、わだじ、自分が選んでもらえなかっだがらっで、メルぢゃんに八づあだりみだいなごどじで……! わだじのごごろが醜いから、そのぜいでメルぢゃんを、ぎずづげぢゃっだ……!」
遂に声をあげて泣き始めてしまったモアを、リズはぎゅっと強く抱きしめた。
「ごめん……ごめんなざい、メルぢゃん……! ごめんなざい……!!」
「そう、でしたのね……。でもモア、常に清らかな心でいられる人間などいませんわ。誰しも、負の感情を抱くことはありますの」
「ううう……ひっぐ……うう……!」
「それにあなた、そうやって後悔しているじゃありませんか。メルのことを、本当に大切な友人と思っているからこそ、後悔しているのでしょう?」
しゃくりあげながらコクコクと頷くモアの背中をリズが優しくさする。
「心配ありませんわ。メルはそんな小さなことを引きずるような子ではありませんし。少しばかり冷たい態度をとられたくらいで、あなたのことを嫌いになるはずはありませんの」
「うう……ほ、本当ですか……?」
「ええ。だから、あなたももう前を向きなさいな。あなたがどれほど悩もうが考えこもうが、明日は必ずやってきますの。いいですこと? 時間は有限なのですわ。ぐじぐじと悩んで若いときの貴重な時間をムダに消費するのはもったいないですわよ?」
「は……はい……」
「明日になれば、今日のあなたとは決別しなさいな。そして、いつも通りのモアに戻るのですわ。その代わり、今だけは思う存分後悔して、哀しんで、泣けばいいのですわ」
再び顔をくしゃくしゃにしたモアを、リズは正面から抱きしめる。ささやかな胸元に顔を埋めたまま泣きじゃくるモアを、リズは目を閉じたまましばらく抱きしめ続けた。
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