第18話 何があったんですの
聖デュゼンバーグ王国の王都にある王立魔法女学園は、長きにわたり優れた魔法の使い手を育成してきた学園である。
もともと、女子のみを育成対象としてきた学園であるが、より幅広い人材を育成し国力の強化に貢献すべく、数年後には共学化することが決まっていた。
ただ、いきなり共学化すると混乱を招く恐れがあるため、昨年から試験的に男子生徒を受け入れている。
「モア―、トイレ行こー」
次の授業へ向けて準備をしていたモアが顔をあげる。授業終わりにそばへやってきたのは、クラスメイトであり友人のユイとメル。
「すみません、ちょっと予習しておきたいので」
「そっか。じゃあメル、行こ」
教室から出て行くユイとメルの背中を見送ったモアが、窓際の席に座る少年へちらりと目を向ける。昨年から初等部のクラスメイトになったシュウ。
整った甘い顔立ちと優しい性格、しかも剣術が強いとあって女子からも人気の生徒だ。モアも密かに気になっている男子である。
……シュウ君の横顔、素敵だなぁ。それにとっても優しいし、剣術も強いし、何ていうかギャップがいい。この前も、私が廊下で転んだときすぐに駆け寄って助けてくれたし……。
最近はシュウ君のことを考えると、胸のあたりがドキドキする。これってもしかして恋、なのかな? 経験ないからわかんないけど。
と、そのようなことを考えつつ、シュウの横顔を眺めていると、突然彼がモアのほうへ顔を向けた。思わず目があってしまい、モアが反射的に目をそらす。
ああ! 何で目をそらしちゃうの私! めちゃくちゃ不自然だったじゃん! ああもう~……きっと変な子だと思われちゃうよ~……。
もう一度ゆっくりとシュウのほうへ目を向ける。
「あ……」
彼はまだモアのほうを見ており、目があうとにっこりと微笑んだ。たちまち心臓の鼓動が激しくなり、モアの頬も紅潮した。
え、え、え! シュウ君、こっち見て微笑んでくれたよね? もしかして、これって両想いとか?
バクバクと激しく鳴り続ける心臓に「落ち着け!」とモアが念じる。心臓の音が聞こえちゃうかも、とバカなことを考えているあいだに、授業開始を知らせる鐘の音が鳴り、モアはまたたく間に現実へと引き戻された。
――やっぱりトイレに行っておけばよかった。
スカートの内側でモゾモゾと太ももをこすりあわせながら、モアは休憩時間にトイレへ行かなかったことを後悔した。
どうしよう、手を挙げてトイレへ行かせてもらおうかな。でも……。
モアがちらりとシュウを見やる。
ダメ……恥ずかしい! 好きな人の前でトイレに行きたいなんて言えないよっ! う~……!
そうだ! 体調が悪いフリして保健室へ行こう! 保健室のなかにはトイレもあるし。
思い立ったモアがおずおずと手を挙げる。
「せ、先生」
「はい、どうしました?」
「あの……少し体調がよくないので、保健室へ行ってもいいですか?」
「あら、それは大変。じゃあ……シュウ君、つき添ってあげてくれる?」
「!!?」
教師からのまさかまさかの言葉にモアが固まる。
「い、いえ、先生。一人で大丈夫なので……」
「ダメよ。もしあなたが倒れたら女子じゃ抱えられないでしょ? シュウ君なら安心だから、ついていってもらいなさい」
ここまで言われたら断りきれず、結局モアはシュウにつき添ってもらい保健室へ向かった。本来ならドキドキのシチュエーションだが、今のモアにとってはそれどころではない。
「あ、あの、シュウ君……保健室の前まででいいですから」
「そうなの? ムリしちゃダメだよ?」
「だだ、大丈夫です。迷惑かけてごめんなさい……」
「全然迷惑なんかじゃないよ。あ、保健室見えてきた」
保健室の前までついてきてくれたシュウへていねいに頭を下げたモアは、一目散に室内のトイレへと駆けこんだ。
間にあった……よかった……! ああ……それにしても、せっかくシュウ君と二人っきりになれたのに……!
保健の先生へ軽く事情を説明したモアは、深いため息をつきながら保健室を出た。すると――
「あ、モアちゃん。大丈夫だった?」
「え……! シュウ君、どうして……!?」
モアの視界に映りこんだのは、廊下の壁にもたれて立つシュウの姿。
「いや、心配だったし。帰りもつき添ったほうがいいかなって」
「あ……ありがとうございます……」
どうしよう、嬉しい……! あ、待って……、またドキドキしてきた……! お願い、シュウ君に心臓の音聞こえませんように!
教室へと続く廊下を二人でゆっくりと進んでゆく。教室と保健室がもっと離れていればよかったのに、とモアは心のなかで叫んだ。と、そのとき――
モアの歩く速度にあわせて歩いていたシュウが突然立ち止まった。
「ど、どうしたの、シュウ君……?」
下唇を噛んで目を伏せるシュウの様子に、モアがおろおろし始める。
「あ、あのさ……モアちゃん」
「う、うん……?」
何だろう……何か、言おうとしてる? もしかして……私への告白……? え、でもこんなところで……? まあ、場所なんてどこでもいいけど。
「こんなところで口にすることじゃないんだけど……」
「うん……」
心臓の鼓動がピークを迎え、モアは少しばかりの息苦しさを覚えた。
「好きなんだ……!」
「え……!」
モアの頬がどんどん紅潮してゆく。この場に一人きりなら、思わず小躍りして喜びたいくらいの感情の高まりをモアは覚えた。
「この学園へ通い始めてからずっと……ずっと……!」
「シュウ君……実はわた――」
「ずっと、メルちゃんのことが大好きだったんだ」
一瞬、モアはシュウが何を言っているのか理解できなかった。屋外の運動場では、上級生が魔法の実戦訓練をしていたが、世界から音が消えうせたかのように何も耳に入ってこなかった。
「モアちゃん、メルちゃんと仲がいいからさ。何とか、僕の気持ちをメルちゃんにそれとなく伝えてくれないかな……?」
「あ……う……」
「この通り! こっそり何度も声はかけてるんだけど、まったく相手にしてもらえないんだ」
足が地についていないような感覚を覚え、モアは立ちくらみを起こしそうになった。膝と肩が小さく震えていたが、シュウに悟られまいと全身に力を込める。
「う、ん……あ、ごめんなさい。私、またちょっと具合悪くなってきたから……もう一度保健室行ってくる……」
フラフラと保健室へ戻っていくモアに、心配げな目を向けるシュウ。再びついていこうとするが――
「大丈夫なので……少し、保健室で寝かせてもらうので……シュウ君は先に戻っていてください」
「で、でも……」
「いいから戻って!」
大きな声をあげられて一瞬驚いたシュウだが、具合が悪いためだろうと深く考えず、「わ、わかった。気をつけて」と一言残し教室へと戻っていった。
スタスタと保健室へ歩を進めるモアの頬を熱い雫が伝う。バカな妄想に心を弾ませていたさっきまでの自分を思い返し、ますます涙がこぼれ落ちた。
「うう……えぐっ……ぐうぅぅ……!!」
足早に廊下の角を曲がったモアは、堪らずその場へ崩れ落ちるようにうずくまった。授業をしているほかの教室に情けない声が届かないよう、必死に声を押し殺しながらモアは嗚咽し続けた。
――読んでいた本にしおりを挟んだリズは、おもむろに立ち上がるとぬるくなった紅茶を淹れなおすためキッチンへと向かった。別の紅茶にしようと茶葉を探しつつ、リズは少し前に出会った
あれから数日経ちましたが、テイラーはうまくやれているのでしょうか? まあ、何かあればブッカが伝えにくるはずですし、きっとうまくやっていますわね。工事の進捗も気になることですし、近々足を運んでみようかしら。
と、そこへ。
「リズせんせー!」
ユイの甲高い声がキッチンまで届き、思わずリズは苦笑した。はいはい、今行きますわよ。
いつものように玄関の扉を開き、弟子たちを迎え入れようとしたのだが――
「あら? モアはどうしましたの?」
そこに立っていたのは、元気印のユイと天然天才魔法少女のメルのみ。リズが首を捻る前で、二人はちらりと視線を交わした。
「その……モア、体の具合がよくないみたいで……」
「そうなんですの?」
「今日のモア、ちょっと変だった」
メルがそっと目を伏せる。
「変、とは?」
「ん。保健室から戻ってきたあと「大丈夫?」って聞いても目をあわせてくれなかった。帰るときも、ユイにだけ具合が悪いからって言って、私には言ってくれなかった」
リズがそっとメルの頭を撫でる。ちらりとユイを見やるが、彼女も首を傾げており、なぜモアの様子がおかしかったのかはわからないようだ。
「もしかすると、本当に具合が悪くて一刻も早く帰りたかったのかもしれませんわね。私もあとでお見舞いに行ってみますわ」
コクン、と小さく頷いた二人の頭を軽くぽんぽんとしたリズは、珍しく修行を休んだ愛弟子を心配しつつ二人を邸内へ招き入れた。
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