第16話 受け入れるしかありませんの
「お飲みなさいな。心が落ち着くハーブティーですの」
甘く華やかなカモミールの香りがリズ邸のリビングに広がる。終始おどおどしていた幼い顔立ちの女も、多少落ち着きを取り戻したのか、素直に「いただきます」とティーカップへ手を伸ばした。
「ああ……美味しいです。それに……とてもいい香り……」
女がうっとりしたように呟く。宝石のようなオレンジ色の瞳に、肩まである赤みがかった黒髪。年は十代半ばに見えるが、おそらく実年齢はもっと上なのだろう。
「クッキーもどうぞ。お茶にあいますわよ」
「ありがとうございます……うう……」
また瞳を潤ませ始めた女を見てリズがギョッとする。
「ど、どうしましたの?」
「だって……こんなに、こんなに優しくしてもらったこと、なくて……ううう……」
女が小さく肩を震わせる。
「そう言えば、あなたお名前は?」
「……あ、失礼しました。私、テイラーといいます」
「よい名前ですわね。改めまして、私はリズ・ライア・コアブレイド。リズとお呼びくださいな」
「は、はい……」
上目遣いで顔色を窺うようなテイラーの様子が、叱られたあとに弟子たちが見せる様子に似ていたため、リズは思わずクスッと笑みをこぼした。
「? あ、あの……何か……?」
「あ、何でもありませんの。それで、テイラー。最近王都で女性を襲っている暴漢とはあなたのことで間違いありませんの?」
テイラーが申し訳なさそうに肩をすくめて縮こまる。
「はい……」
「なぜそんな真似を?」
顔を伏せ、膝の上でぎゅっと拳を握るテイラーをリズがじっと見つめた。
「血を……飲みたくて……。本当に、申し訳ないとは思っていたんです……でも……」
「ああ……じゃあまさか、気絶させたあと刃物で傷をつけてたというのは……」
「はい……傷口から血を、少しだけ飲ませてもらっていました……」
「なぜ噛みつきませんでしたの? そっちのほうが遥かに楽でしょうに」
「それは……首筋に噛みついたら、痕が残って吸血鬼の仕業ってバレるかと思って……」
リズが首を傾げる。そのような心配をする吸血鬼などこれまで見たことも聞いたこともない。
ちなみに、吸血鬼にとって血は必要不可欠なものではない。リズ自身、これまで吸血行為に及んだことはほとんどないのだ。
人間、特に若い女性の血はたしかに美味しいが、正直それと同じくらい美味な飲み物はたくさんある。リズとしては、わざわざ人間の血を飲むくらいなら紅茶やハーブティーのほうがいいと考えている。
では、なぜ吸血鬼が人間の血を飲むのか。それは、一時的な能力の向上や高揚感を得られるなどの効果があるためだ。ゆえに、それほど強くない吸血鬼ほど吸血行為に及びたくなるのである。
「街に吸血鬼がいると人間にバレたくないから、暴漢を装って血を飲んでいた、と?」
「……人間だけじゃないです。その……吸血鬼にも、バレちゃいけないって……」
再びうつむくテイラーの声が小さくなる。
「吸血鬼にも?」
「私……昔からずっと居場所がなかったんです。吸血鬼からは半端者扱いされて、人間からは魔物のように見られて……」
テイラーの声は震えていた。
「だから……両親が亡くなったあとは、ずっとセイビアン帝国の森に一人で住んでました。でも、少し前に吸血鬼ハンターが突然現れて……」
吸血鬼ハンター。文字通り、吸血鬼退治を生業とする者である。対吸血鬼に特化した専門の狩人。
「棲家を追われて、仕方なくこの国へ……。でも、知ってる人も誰もいなくて……どうしようもなく哀しくて寂しくて……不安定になって……気がついたら夜な夜な女の人から血をいただくように……」
ぼろぼろと大粒の涙をこぼし始めるテイラーに、リズがそっとハンカチを差し出す。
なるほど。この子が私を見たときあれほど謝罪の言葉を述べていたのはそういうことだったのですね。私が吸血鬼であることに気づき、咎められると思ったのでしょう。
吸血鬼のなかには混血の半吸血鬼を毛嫌いする輩も多いと聞きますから。
「どうして……どうして私だけこんな目に遭うんでしょう……人間にも吸血鬼にもなれなくて、どっちからも嫌われて……こんなの……不公平じゃないですか……!」
絞り出すように言葉を紡ぐテイラーの肩が小さく震え続けていた。
「……たしかに、あなたの境遇には同情の余地がありますの。でも……それを言ったところで仕方のないことですわ」
「え……?」
「誰もが公平なら世のなかは成り立ちませんの。弱者がいるからこそ強者は食事にありつけますのよ。弱者と強者、貧しい者と富める者、賢い者と愚か者。世界は不公平というバランスの上で成り立っているのですわ」
呆然とするテイラーの顔を、リズは紅い瞳でじっと見つめる。
「そんな……それじゃ、それじゃ……私はずっと誰からも認められず……虐げられて生きていかなくちゃいけないんですか……!」
「……世界が不公平であることは、受け入れるしかありませんの。でも、あなたの今の境遇や未来は、あなた自身の行動で変えられるはずですわよ」
「え……?」
「少なくとも、私はあなたが半吸血鬼だからといって下に見ることも虐げるつもりもありませんわ。私には人間の少女の弟子もいますが、その子たちも差別をするような人間ではありませんの」
テイラーのそばへ移動したリズが、隣へ静かに腰をおろす。
「あなたが見てきた人間や吸血鬼ばかりではない、ということですわ。それがわかっただけでも気持ちが軽くなったのではなくて? これからは、あなたを見下したり虐げたりする者たちではなく、あなたを受け入れてくれる者とだけ関わって生きなさいな」
リズの言葉を聞いたテイラーの顔がくしゃくしゃに歪み、堪りかねたかのようにワッと声をあげて嗚咽し始めた。震える小さな肩をリズが抱き寄せる。
「あと……今後、王都で女性を襲うのは禁止ですわ。品行方正になれとは言いませんが、私のかわいい弟子たちが怖がっていますから」
小さくコクコクと頷くテイラーの頭をそっと撫でる。しばらくのあいだ彼女は泣き続けた。きっと、溜まり溜まったものがあったのだろう。
泣き腫らした顔で「ご迷惑をおかけしました」と丁寧に頭を下げ、彼女はリズ邸をあとにした。離れていく背中を見送ったリズは、彼女の未来に幸あらんことを祈りつつベッドへ潜り込んだ。
そして翌日。なぜかまたテイラーが現れた。しかも、昨夜とは打って変わって満面の笑みを浮かべて。
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