第14話 意外といい感じですわね

「ちょっと! あんたどこ座ってんのよ!!」


鼓膜に突き刺さるような少女の甲高い声がリズ邸に響きわたる。キッチンで紅茶を淹れていたリズの肩がビクッと跳ね、危うくティーポットを落としそうになった。


急ぎトレーにティーカップをのせ、リビングへ向かったリズの目に飛び込んできのは、ソファに腰かける少年のそばで仁王立ちするユイの姿。


「い、いったい何怒ってるんだよ……?」


ユイに睨みつけられている少年が困惑した表情を浮かべる。少年の名はエングル。以前、冒険者ギルドでユイたちと模擬戦を繰り広げた相手である。


リズへの弟子入りを断られたエングルだったが、たまになら遊びに来ていいと言われたため、今日はユイやモアたちと一緒に指導を受けていたのだ。


「そこはあたしらの座るとこ! そのソファは先生があたしら三人のためにわざわざ買ってくれたソファなんだから! さっさとどきなさいよ!!」


「わ、わかったよ……でもそんなに怒ることないじゃないか……」


「うるさいわね。いいからさっさとどきなさいよ、このグズ」


「ぐ……! お、お前少しは年上を敬えよ……!」


「はぁ? あんたはここじゃ一番の下っぱってこと忘れないでくれる? あたしらはリズ先生の直弟子で、あんたは先生のお情けで指導を受けさせてもらってるだけの冒険者。立場をわきまえなさいよ」


二人のやり取りをオロオロしながら見守るモアと、相変わらず感情がまったく読めない表情を浮かべるメル。一連のやり取りを見たリズも思わずため息をついた。


「ユイ、落ち着きなさいな。エングルに悪気はなかったんですから」


すごすごとソファを離れたエングルを一瞥したユイは「ふんっ」と鼻を鳴らしてソファへ腰をおろした。


「まったくもう……。あなただけは心が落ち着くハーブティーのほうがよかったかもしれませんの」


紅茶が入ったティーカップをユイへ差しだしながらリズが言う。まだ不機嫌なのか、ユイの頬はぷっくりと膨らんだままだ。


「ええと……リズ先生。僕はどこに座ればいいですか?」


おずおずと口を開いたエングルをユイがジロリと睨む。


「あんたは地べたに決まってるでしょ」


「ぐ……!」


なぜかめちゃくちゃエングルへのあたりがキツいユイ。ギルドでの模擬戦で侮辱的な発言をされたのをまだ根にもっているのかもしれない。


「はぁ……おやめなさいなユイ。エングル、私の隣が空いてますの」


リズに隣を勧められ、エングルの胸がかすかに跳ねる。何せ、リズは文句なしの美少女なうえ、見た目は十四、五歳くらいにしか見えないのだ。


「はぁ!? ダメだよリズ先生! それならあたしが先生の隣に座る!」


「ズ、ズルいですユイちゃん! 私だって先生の隣に座りたいです!」


「先生の隣も膝の上も私のだからダメ」


たちまちかしましくなるリビング。思わずリズもこめかみを揉む。


まったくもう……ユイのこういうところだけは頭が痛いですわ。変なところで排他的というか独占欲が強いというか……。さて、どうしましょう。


と、リズが頭を悩ませていたところ──


「あ」


突然、メルが窓の外へ目を向けて声をあげた。


「? どうしましたの、メル?」


「ん。先生、私ちょっと庭に行ってくる」


すっくと立ちあがったメルは、紅茶を半分程度残したままスタスタとリビングを出て行ってしまった。やや困惑気味のエングルとは異なり、ユイやモア、リズの表情に大きな変化はない。


メルのこうした唐突な行動に、リズもユイたちも慣れっこなのだ。リズが小さく息を吐く。


「ユイ、モア。こっちいらっしゃいな。エングルはそっちのソファへお座りなさい」


一瞬顔を顰めたユイだったが、大好きな師匠の隣に座れるのは嬉しいためおとなしくしたがった。エングルもほっとしたようにもといたソファへ腰をおろす。


「あ、あの。メルはどこへ……? はっ! まさか、一人で秘密の練習をしてるんじゃ……!?」


エングルの言葉に、リズとモアが苦笑する。ユイはエングルへジトッとした目を向けながらティーカップに口をつけた。


「それは……ないですわ。窓の外を見ていましたから、おそらく珍しい蝶でも見つけたのでしょう」


「ち、蝶……?」


「ふふ……大天才の行動は私たちには理解できませんわ」


窓のほうへ顔を向けたエングルの視界に、何かを追いかけるようにトテトテと走るメルの姿が映り込む。


「大天才……ですか」


「ええ。百年……もしかすると千年に一人の天才かもしれませんわ」


ふふ、と嬉しそうに口元を綻ばせるリズとは反対に、エングルはそっと目を伏せた。


「凄い、ですね……この前の模擬戦でも、ほとんど何もできずやられましたし……」


「そうね。あんた、みっともなく逃げまわってたしね」


辛辣すぎるユイの言葉に「ぐ……」と口をつぐむエングル。あまりにもエングルへのあたりがきついユイを、リズが「おやめなさい」と諌める。


「あ、それと今さらなんですが……リズ先生はいったい、何者なんですか?」


「私? 吸血鬼ですわ」


「や、やっぱりそうだったんですね」


「あら、ご存じでしたの?」


「ギルマスが、何となくそんな感じのことを口にしてたんで……」


「まあ、別に隠すつもりもないのでかまいませんけどね」


クスッと笑みをこぼしたリズの顔を見やり、エングルの頰がかすかに紅潮する。そんなエングルへユイは相変わらずジトッとした目を向け続けた。



──お茶休憩のあとも、エングルはユイたちに混じってリズの指導を受け続けた。リズは剣術も多少使えるため、ときには彼女自身が剣を手に指導を行った。


「あ……ありがとう、ございました……」


リズとの軽い手あわせを終えたエングルが、呼吸を荒くしながら地面へ座り込む。


「まだ若いのになかなかの剣筋ですわ。鍛錬を続ければきっといい剣士になれますの。精進しなさいな」


「は、はい!」


ぺこりと頭を下げたエングルが立ちあがり、少し離れたところへ移動し腰をおろす。


彼が視線を向ける先では、メルが三つの魔法陣を展開し魔力を練っていた。魔法をまったく使えないエングルでも、目の前の光景が異常なことは理解できる。


凄まじいな……。魔法の使い手はたくさん見てきたけど、メルほどの者は一人もいなかった。


僕も剣術の天才だの、未来のSランカーだの言われてきたけど、メルの才能の前では完全に霞んでしまう。もって生まれたが違いすぎる。


胸の奥にジクッとした鈍い痛みを感じた。とんでもない才能への嫉妬、素晴らしい才能への憧れ、辿りつけない才能への諦め。


さまざまな感情が胸の奥でうごめくような気持ち悪さを感じ、かすかに顔が歪んだ。と、そこへ──


「何を泣きそうな顔してんのよ」


急に声をかけられハッとしたエングルが顔をあげる。いつのまにか隣に立っていたユイが、かすかに眉を顰めたまま見下ろしていた。


「あ……そんな顔、してたか?」


「してたから言ってんのよ」


ユイの肩はわずかに上下していた。稽古で魔力と体力を消耗したので少しのあいだ見学するようだ。


「あー……メルを見てるとちょっとな。ほんと、凄い才能だよな」


「何、あんた羨ましいの?」


「そりゃ……羨ましいよ。それに、何ていうか……これまで自分が頑張ってきたことを、全部否定されたような気になるというか……」


「……」


「僕には……あんな才能はない。悔しいし、哀しいよ……」


自嘲気味に笑ったエングルが天を仰ぐ。その顔にうっすらと浮かぶ悲壮感。


「はぁ……あんた、バカなの?」


これみよがしにため息をついたユイが、エングルの隣へ腰をおろす。


「羨ましがったって仕方ないじゃない。あたしらにはあんな才能ないんだから」


「まあ……そうだけどな」


「あたしらはあたしらなりに頑張るしかないのよ。他人と自分を比べたって無意味なんだし。比べるなら昨日までの自分と比べなさいよ」


ユイから意外な言葉をかけられ、エングルがぽかんとした顔になる。


「ま、さっきのはリズ先生から言われたことだけどさ。あたしも今は、先生の言う通りだと思ってる。メルはメル、あたしはあたしなんだし」


「そう……だな」


わずかに口元を綻ばせたエングルは、再びふんわりとした金髪の少女へ目を向ける。


「ありがとうな、ユイ。お前、いいやつだったんだな」


「はぁ!? か、勘違いすんじゃないわよ! 辛気臭しんきくさい顔でいられちゃ鬱陶うっとうしくてたまんなかっただけよ!」


慌てた様子で立ちあがったユイが「ふんっ」と鼻を鳴らして稽古へと戻ってゆく。ポニーテールを揺らしながら離れていく小さな背中を、エングルは苦笑いを浮かべたまま眺めた。


一方、モアのそばで指導にあたっていたリズの顔には、にんまりとした笑みが浮かんでいた。地獄耳であるリズには、ユイとエングルのやり取りがすべて聞こえている。


ふふ、ユイったら。あの二人、意外といいコンビなのかもしれませんわね。


口が悪く素直じゃない弟子なりの優しさを垣間見ることができて、しばらくのあいだリズの口元は緩みっぱなしだった。

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