第10話 やっておしまいなさい

日が落ちかけ赤く染まりゆく空のもと、リズ邸の庭ではリズとユイが距離をあけて向きあっていた。


だらりと下げたリズの手には、レイピアと呼ばれる細身の剣が握られている。森から抜けてきた風が芝生の上を這いまわり、リズとユイのスカートがふわりともちあがった刹那──


地面を蹴ったリズがまたたく間にユイとの距離を詰め、手にした剣を横へ一閃した。


「『ま、魔法盾マジックシールド』!」


ユイの眼前に展開した光の壁がリズの剣撃を弾き返し、甲高い金属音が庭に響いた。が、リズはまったく慌てる素振りも見せず、片側の手でユイの腕をとるとそのまま地面へふわりと投げ倒した。


「きゃっ!」


仰向けに転がされぽかんとしていたユイだが、次第にその顔が悔しそうに歪み始める。


「うう〜……! 何もできなかったぁ〜……!」


悔しそうに口を曲げるユイの手を引いてゆっくりと立ち上がらせたリズは、宙に展開したアイテムボックスへレイピアを仕舞うと、クスッと笑みをこぼした。


「対人、それも剣相手の訓練はほとんどしたことがないのですから、仕方ありませんわ」


「でも悔しい!」


ぷう、と頬を膨らませるユイのもとへ、離れた場所から見学していたモアとメルが駆け寄る。ちなみに二人も同じようにやられたあとである。


「魔法は万能じゃありませんの。剣術や徒手格闘に秀でた者が相手の場合、接近されるとああなりますわ。これからはそのような相手との戦闘も想定した練習が必要ですわね」


「それはつまり……人間との戦いを想定した訓練、ということですか? リズ先生」


モアが率直な疑問を口にした。


「そうとも言えますわね。魔物だけが脅威ではありませんわ。むしろ、人間の世界で生きているあなた方にとって、もっとも敵となりうる存在は同じ人間ですのよ」


「なるほど……」


「魔法戦ならあなた方が簡単に負けることはそうそうありませんの。まあ、一般的な人間が相手という前提ですが。ただ、近接戦闘に秀でた者が相手となると、接近された途端何もできずに倒されるおそれがありますわ」


腰に手をあてたまま言葉を紡ぐリズを、真剣な眼差しで見つめる三人娘。


「というわけで、明日は王都の冒険者ギルドへ出稽古に出かけますわ。ギルマスには話をつけていますから。あなた方、明日は学園もお休みでしょう? 私から王都へ出向きますから、どこかで落ちあって一緒に向かいましょう」


元気に「はい!」と返事した三人娘の顔には、興奮と緊張が入り混じった色が滲んでいた。


以前、一度冒険者ギルドへは出稽古へ出かけたことがある。が、そのときは魔法戦こそいい勝負を見せたものの、剣士との戦いでは相当に手こずった。相手は高位ランクの冒険者だったため当たり前ではあるのだが。


「あ、あの! リズ先生なら、さっきみたいに相手から近寄られたときどうしますか?」


「私ですの? 私に近寄れる者などまずいませんが……。まあ、もしそうなっても何とでもなりますわね」


興味津々な顔で見上げてくるモアの頭をリズがそっと撫でる。


「そうですわね……たとえば」


少し離れた場所に立てられた魔法練習用の的へとリズが足を向けた。弟子たちもそのあとをヒヨコのようについていく。


直径三十センチ、厚さ五センチほどの的へリズがそっと手で触れる。


「やりようはいろいろありますが、こんな感じでしょうか」


ユイ、モア、メルがゴクリと唾を飲み込む。


「『零距離魔導砲ゼロレンジキャノン』」


リズが魔法を詠唱した途端、くぐもったような爆発音とともに木製の的が粉々に砕け散った。初めて見る師匠の零距離攻撃とその凄まじさにユイは腰を抜かし、モアとメルは全身をビクッと震わせた。


「まあ実際のところ、私は相手との距離に関係なくどんな魔法でも自由に使えますし、近接戦闘もそれなりに得意なのでどうとでもなりますの」


地面へ尻もちをついたユイへリズが手を差し出す。


「とりあえず、さっきのは接近戦での一例ですわ。瞬時に魔法陣を展開し魔導砲を発動しなければならないので、まだあなたたちには難しいかもしれませんね。それでも、実際に目の前で見ておくとイメージも掴みやすくなりますでしょ?」


改めて師匠の凄さを認識させられた三人娘は、目をキラキラとさせながら「はい!!」と大きな声で返事をした。


「ふふ。じゃあ今日の練習はここまでにします」


「「「ありがとうございました!!」」」


並んでぺこりと頭を下げる愛弟子たちへ、リズは優しい目を向けた。



──翌日。


ユイの自宅前で落ちあったリズと三人娘は、王都の中心街にある冒険者ギルドへと向かった。


「あ、リズさん!」


レンガ造りの建物へ入り、受付嬢へ要件を伝えていると壮年の男がリズのもとへ近寄ってきた。ギルドマスターのリッケンバッカーだ。


「ごきげんよう、ギルマス。今日はよろしくお願いしますわ」


「いやー、こちらこそよろしくお願いします。腕のいいヤツ用意してるんで」


ニヒルに口の片端を吊りあげるリッケンバッカーは、リズが吸血鬼であることを知る数少ない人間である。


「それは頼もしいですわね。どんなお相手ですの?」


「将来有望な子ですよ。嬢ちゃんたちとそこまで年も離れてませんしね。ええと……」


リッケンバッカーはホールへ視線を巡らせると、立ったまま談笑している一人の少年へ声をかけた。


「あ、いたいた。おーい、エングル!」


エングルと呼ばれた少年が振り返り、受付カウンターのほうへ近寄ってきた。


「何ですか、リッケンバッカーさん」


「ギルマスと呼べ。ほら、昨日言っただろ。こちらリズさんと、そのお弟子の嬢ちゃんたちだ」


「ああ……どうも」


幼い顔立ちが印象的な少年が軽く会釈する。年は十〜十二歳くらいだろうか。


「リズさん、こいつはなかなかやりますよ。ここの冒険者ギルド始まって以来、初のSランカーになれるかもって逸材です」


「何ですか、なれるかもって。なるに決まってるじゃないですか」


エングルがふん、と鼻を鳴らす。なかなかの自信家のようだ。


「わかったわかった。とりあえず訓練場へ移動しようか。リズさん、こちらへ」


「ええ、よろしくですの」


リズがちらりとエングルの顔を見やる。小さくため息をつく様子から、彼があまり乗り気でないことが窺えた。まあ、小さな女の子との訓練なんて退屈だと思われても仕方はない。


訓練場に着き、まずはユイが相手をしてもらうことに。お互い距離をとって向かいあう。


「よ、よろしくお願いします!」


「あー、はいはい」


気のなさそうな返事をしたエングルは、木剣を肩へ担ぐようにもつとあくびをした。にわかにリズが眉を顰める。


ずいぶん余裕というか、尊大な態度ですこと。さて、その態度に見合う実力を備えているのかしら。


そんなことを考えていたリズだが、模擬戦が始まった途端、驚かされることになった。ユイが放つ魔法を軽やかに避けながら素早く接近したエングルは、あっという間にその背後をとり首筋へ木剣をつきつけた。


続くモアは慎重に戦っていたものの、最後はあっさりと接近を許し訓練場の床へ投げ倒される。硬い石造りの床に背中から倒され、モアが苦悶の表情を浮かべた。


「エングル! 相手はお前よりずっと年下の嬢ちゃんだぞ! もう少しやり方を考えろ!」


リッケンバッカーに怒鳴られたエングルは、あからさまに不満げな顔を見せた。


「ええ〜……そんなこと言ってたら訓練にならないじゃないですか」


やれやれ、といった様子でため息をつくエングル。


「それにこの子たち魔法しか使えないじゃないですか。近寄られたら何もできないし、この程度の腕で僕と訓練したところで意味なんてないでしょ」


近接戦闘が苦手なのは図星だが、辛辣な言葉にユイとモアが悔しそうに俯き唇を噛む。


「黙れ、エングル。リズさん、すみません。やっぱり別の相手を──」


「次、私やる」


リッケンバッカーの言葉を遮ったのはメル。


「い、いや、だが……」


「ギルマス、問題ないですわ。あの少年の言葉もあながち間違いではありませんし。訓練なのですから、多少のケガはこの子たちも覚悟してますわ」


「は、はぁ……」


不安な表情を浮かべるリッケンバッカーだが、リズからそう言われるともう何も言えない。


「リズ先生」


「どうしましたの?」


いつもと変わらぬ表情で見上げてくるメルに、リズがかすかに首を傾げる。


「本気でやっていい?」


リズが目をぱちくりとさせる。感情が読めない子だが、どうやらメルは怒っているようだ。そう言えば、この子は一番友達思いでしたわね。ユイとモアを侮辱されたと感じたのかもしれない。


リズはクスッと小さく笑みをこぼした。


「ええ。殺さない程度にやっておしまいなさい」


コクンと頷いたメルは、訓練場に立つエングルへ無感情な目を向けた。

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