第9話 それはできませんの

風が気持ちいいですわ──


リズはのんびりと空を飛びながら全身で風を感じていた。転移魔法で王都へ移動し紅茶の茶葉を入手した帰りのこと。たまには気分転換でもしようと考え、ゆらゆらと空の散歩を楽しんでいる。


最近王都で流行っているというお菓子と、いい茶葉が手に入った。かわいい弟子たちが「美味しいー!」と顔を綻ばせる様子を思い描き、リズは思わずにんまりとした。


ああ……それにしても気持ちいいですわ。天気もいいし気温もちょうどいい。たまにはこういう時間も必要ですわね。


そんなことを考えつつゆらゆら宙を漂っていたところ──


「……?」


風にのってどこかから流されてきた嗅ぎ慣れた匂いに、リズの鼻腔が反応した。これは……血の匂い。どこから?


地上に目を凝らしつつ飛行を続けると、金属同士が激しくぶつかる音と怒鳴り声、さらに悲鳴が聞こえてきた。


「あれは……」


リズが視線を向けた先に見たのは、たまに足を運ぶ集落が襲撃されているところだった。目を凝らすと、野盗らしき男たちと集落の青年たちが剣で斬り結んでいる。


刹那、凄まじい速さで集落の上空へ移動したリズは、そのまま戦闘真っ只なかの集落へふわりと降り立った。


突然空から現れた少女に、野盗たちが驚愕する。


「と、頭領!! 空から女の子が!!」


野盗の数は六人程度。屈強な体つきではあるが、もちろんリズの敵ではない。


「おお、リズ様!」


「リズ様だ!」


集落の長であるブッカをはじめ、戦闘中だった青年たちが興奮したように叫ぶ。


「ブッカ、下がってなさい。『煉獄ヘルファイア』」


リズが魔法を唱えた刹那、野盗たち全員の足元に魔法陣が展開した。驚愕の表情を浮かべた野盗たちを無情な黒い爆炎が呑み込んでゆく。


一瞬にして六人の屈強な野盗は消し炭となり、影も形も残さずこの世から消滅した。


「リズ様、ご助力ありがとうございます……!」


「たまたまですわ。それよりケガ人は?」


ていねいに腰を折るブッカにリズが言う。


「戦闘に参加した者が何名か……」


「一箇所へ集めなさいな」


頷いたブッカがすぐさまケガ人をリズのもとへ集める。それほど大きなケガをした者はいないようだ。


「『指定範囲治癒エリアヒール』」


集められたケガ人たちを囲むように地面へ巨大な魔法陣が展開し、ケガ人の体が光で包まれた。


「おお……傷が消えた!」


「痛みもない!」


「さすがリズ様だ!」


口々に感謝の言葉を述べる青年たちを無視し、リズはブッカに近寄る。


「報酬は野菜と肉でお願いしますわ」


「本当に、いつもありがとうございますリズ様。戦闘が長引けばきっと被害は大きくなっていたでしょう」


「そうですわね。もう少し集落の守りを固めなさいな。そのうち知恵を貸しますから」


「おお! それは助かります。それにしても、偶然リズ様が通りかかって本当によかった。戦闘に参加していたマッシュは結婚したばかりでしたので……」


マッシュ……。ああ、あの泣き虫の小僧ですわね。あの子どもがもう結婚? 


先ほど治療した青年たちへ目を向ける。そのなかに、かつて泣き虫だった小僧の面影がある青年を見つけ、リズは思わず頰を緩めた。


「あの子どもが、もうあんなに大きくなりましたのね」


「ワシもこんな頭になりましたし。時が流れるのは早いものです」


「ああ。あなたも昔はよくおねしょして母親に叱られ泣いてましたわね。そう考えると、たしかに時が流れるのは早いものですわ」


「や、やめてくださいリズ様! 長の威厳が……」


途端に慌て始めるブッカへ、リズがイタズラっぽい笑みを向ける。


「ふふ。あなたももういい年なのだから、少しは体を労わりなさいな」


そう言い残すと、リズは再び空高くへ舞いあがり、自宅のある方角へと飛び去った。



──集落の青年が報酬の野菜と肉を運んできてくれたので、魔法の練習を終えた弟子たちはリズの家で夕食をとることになった。


食後はもちろん、王都で手に入れた新しい紅茶と流行りのお菓子。すでにリビングでくつろいでいる三人娘のもとへリズが紅茶とお菓子を持っていくと、何やら女子らしい会話で盛りあがっていた。


「え〜、モアってシュウみたいな男がいいの? 何か頼りなくない?」


「そんなこと……ないと思いますけど。剣の腕前もなかなかですし」


「まあ、顔はまあまあいいけどさ」


「モアは面食い」


「なっ……メルちゃん! 私は別に……!」


「そーゆーメルは気になる男子いるの?」


「いない」


「えー」


恋バナっぽい会話に華を咲かせる弟子たちに、リズの口元がわずかに綻ぶ。


「ふふ。あなた方でもそういう話題で盛りあがることありますのね」


ローテーブルにトレーを置くと、三人娘がそれぞれティーカップへと手を伸ばした。


「そりゃ、あたしらだって女子だもん」


ふふん、とドヤ顔をするユイにリズがジト目を向ける。


「そう言うあなたが一番意外なんですが? 異性にまったく興味なさそうですのに」


「ユイはムッツリ」


メルの言葉にユイが「はぁ!?」と憤慨する。


「せ、先生にはそういうお相手、いないんですか?」


「私ですの?」


モアからの唐突な質問に、リズがキョトンとした顔になる。三人娘が興味津々な顔で身を乗り出した。


「私は……そうですわね。そう言えば、今も昔もそういうお相手はいませんでしたわね。昔の記憶はだいぶ薄れてはいますが」


「えー、どうして? もしかして、先生って男嫌い?」


「そういうわけではありませんが……機会がなかったというか縁に恵まれなかったというか……」


ユイにモア、メルがじーっとリズを見つめる。まるで憐れむような目で。え、もしかして不憫に思われていますの私?


「そ、そんな目で見るのやめてくださいな。別にいいじゃありませんか」


「じゃあ、リズ先生はこれからも結婚とかしないの?」


「け、結婚!?」


子どもの口から意外な言葉が飛び出たことに、リズがにわかに慌て始める。


今どきの子どもっておませさんですわね……。


「正直……結婚に何の興味も湧きませんわ。だからきっとしないでしょうね」


自分で言っておきながらとてつもなく虚しくなりますわ。まあ、実際にまったく興味ありませんが。


「リズ先生かわいいのにもったいなーい」


「もったいないです」


「ほんそれ」


弟子たちから心配げな目を向けられ、リズは何となく落ち着かなくなった。


「じゃあさ……あたし、大人になったらリズ先生と結婚する!」


「っ!?」


ユイのとんでも発言に、リズは思わず紅茶を噴き出しそうになってしまった。


「あ、ズルいです! 私もリズ先生と結婚したいです!」


「ダメ。リズ先生は私の嫁」


モアとメルまで参戦しリビングはカオスな状態になった。


「あ、あのね、あなたたち。結婚は男性と女性がするものなのですわよ? だから、残念ですがそれはできませんの」


途端に始まる「え〜」の大合唱。


「じゃあいいもん。あたしも結婚せずにずっとリズ先生と一緒にいるもん」


「もちろん私もそうします」


「私がリズ先生を養う」


またまたとんでもないことを言い出す弟子たちに、リズは苦笑いせずにいられなかった。


「そんなこと言ってると、あなた方の親が泣きますわよ? あなた方はちゃんと大人になって結婚して、子どもを産んで幸せになりなさいな」


それでも「やだー」と駄々をこね始める三人娘。子どもの言うことだし、成長すればまた考えは変わるはずだ。それでも、弟子たちの本心からくる優しさに触れ、胸のなかにぽかぽかとした温もりが広がった。

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