第7話 それが一番大事なことですわ

「リズ先生、今日もありがとうございました」


年は三十代前半、スラリとした素朴な顔立ちの婦人がぺこりと頭を下げる。その隣では弟子のユイも腰を折っている。


「ユイはご迷惑をおかけしていませんか? この子ったら、先日も学園で男子と大げんかして……」


頰に手をあてて小さくため息をつく婦人。ユイの母親、シャイナである。ここはユイの自宅玄関前。三人の弟子たちは毎日練習が終わったあとリズに転移で自宅まで送ってもらっていた。


「ふふ。その件については私からもしっかりお説教しましたの。本人も反省していますわ。そうですわね、ユイ?」


「は、はい!」


「今日も頑張って練習したので疲れましたでしょ? 早くお風呂に入って寝なさいな」


「そうしよっかな……。じゃあ、リズ先生また明日! おやすみなさい!」


「ええ。いい夢を」


再度ぺこりと頭を下げたユイは、パタパタと足音を立てながら家のなかへと入っていった。離れてゆく小さな背中を見送ったリズは、おもむろにシャイナを見上げた。


「で、シャイナ。何か私に話したいことがあるのではなくて?」


「あ……やっぱりおわかりでした?」


「これでもあなたより遥かに長く生きていますから。で、どうしましたの?」


シャイナは家のなかを振り返り、ユイがいないことを確認すると、そっとリズの耳元へ顔を寄せた。


「実は……最近あの子、何か悩んでるみたいでして……」


ひそひそと小声でシャイナが言う。


「ユイが? うちではそんな感じありませんでしたが……」


怪訝な表情を浮かべたリズが、顎に手をやりユイの様子を思い返す。


「そうですか……。まあ、多感な時期なのでいろいろあるのかもしれません」


「もしかして、恋煩こいわずらいとか?」


「そんな相手いると思います? かわいらしい顔はしてますが、男子と取っ組みあい殴りあいのケンカするような女の子ですよ?」


はぁ、とため息をつくシャイナにリズが苦笑する。たしかに、ユイが恋愛している姿は想像がつきませんの。それに、あの子の性格ならウジウジと悩まず白黒はっきりさせようとするはずですわ。


「何かしら、言いにくい悩みがあるのかもしれませんわね。私も気にかけておきますわ」


「よろしくお願いします、リズ先生」


ほっとした表情を見せたシャイナに軽く手を振り、リズは転移でその場をあとにした。



──翌日。


いつものようにリズ邸の庭で魔法の練習に励む三人娘。その一人、メルが十メートルほど離れたところへ立つリズへ魔法を放った。


「『魔導砲キャノン』」


メルの眼前に展開した三つの魔法陣から閃光が放たれ、一斉にリズの小さな体へ襲いかかる。が──


リズが顔色一つ変えることなく右手をサッと横へ振ると、直撃寸前だったすべての閃光はあっさりとかき消されてしまった。


いつもほとんど表情が変わらないメルの顔に、やや悔しそうな色が滲んだ。


「大したものですわ、メル。魔法陣の展開から魔導砲の発動までの時間、威力、どれも申し分ないですの」


「うー……でもリズ先生には全然敵わない。魔法盾マジックシールドすら使わず防がれてる」


「師匠である私がそんな簡単に弟子に負けるわけにはいきませんわ。でも、今の時点でもあなたはBランク冒険者程度の実力はあると思いますの」


「ほんと?」


「ええ。さらに精進しなさいな。次、ユイ」


名前を呼ばれたユイが「はい!」と元気に返事してメルと入れ替わる。昨夜、シャイナから聞かされたことが気になり、リズはユイの顔をじっと見つめた。


特に……普段と変わった様子はありませんわね。ここへ来たときもいつも通りでしたし。さてさて。


「さ、ユイ。いつでも攻撃してきなさいな」


「は、はい。あの、リズ先生。あたしも、メルみたいに魔導砲、試してみたいんですけど」


「魔導砲を? 構いませんが、あなた魔法陣の複数展開できませんでしょ?」


「さ、最近は二つまでなら何とか……安定はしないんだけど……」


「……わかりました。とりあえずやってごらんなさいな」


「は、はい!」


パッと顔を明るくしたユイが前方へ手をかざし魔力を練り始める。


「『……展開デプロイ』!」


ユイの眼前へ二つの魔法陣が展開した。わずかに目を見開き驚くリズ。


以前は一つの魔法陣も安定させられていませんでしたのに……。相当努力したんですわね。でも……。


展開した直径三十センチ前後の魔法陣、その一つは文字列と形が歪んでおり、今にも消失しそうだった。


「んんん……『魔導砲』!」


二つの魔法陣から同時に閃光が放たれる。が、その一つはリズまで届く前に消失した。残る一つの閃光がリズへと迫るものの、メルのときと同様に右手を軽く振るだけでかき消されてしまう。


「はぁ、はぁ……やっぱり、ダメか……」


うなだれるユイの姿を見て、リズは「なるほど」と思った。


「ユイ。前までは一つの魔法陣を展開、維持するのに精いっぱいでしたのに、凄い成長ですわよ」


「はい……」


「とりあえず、まずは複数の魔法陣を展開して、安定性を高める練習が必要ですわね。それから魔導砲を練習しても遅くはありませんわ」


下唇をキュッと噛んで頷いたユイがトボトボとモア、メルたちのもとへ戻ってゆく。一度お茶休憩を挟み、その後は実技ではなく座学を中心に指導しこの日の指導は幕を閉じた。



――夜になり、リズは弟子たちをいつも通り転移魔法で自宅まで送り届けた。まずはメルを、次にモアを送り届ける。


モアの母親、ミーナと一言二言かわしたあと、ユイの手をとり彼女の自宅へと転移した。が――


「あ、あれ……?」


いつものように自宅前に転移したと思っていたユイが、きょとんとした表情を浮かべる。転移した先は、先ほどまで三人で修行に励んでいた師匠、リズの屋敷。


「ユイ、あと一杯だけお茶につきあってくださいな」


「あ、はい」


ユイが不思議そうに首を傾げる。何せ、このようなことは初めてなのだ。いつものソファへ腰をおろしたユイの前へ、リズがティーカップをコトンと置く。ジャスミンの華やかな香りがリビングに広がり、ユイは思わず目を閉じてうっとりとした表情を浮かべた。


「普段とは違うハーブティーですの。心を落ち着かせる効果があると言われていますわ」


その言葉に、ユイの肩がかすかに跳ねた。


「ユイ。あなた、何を焦っていますの?」


「え……」


「……今日のあなたを見ていると、何かに焦っているように見えましたわ」


そっと目を伏せるユイをリズは紅い瞳でじっと見つめる。下唇を軽く噛んだあと、ユイがぼそりと口を開いた。


「だって……メルは魔法陣を三つも展開できて、それに安定もしてて……魔導砲まで使えて……」


ぼそぼそと言葉を紡ぐユイの様子は、いつもの元気はつらつな彼女とはまったく異なっていた。


「あたし……メルと同い年なのに……メルにはできるのに、あたしにはできなくて……」


クリクリとした大きな瞳に涙が浮かび始める。リズはそっとソファから腰をあげると、ユイのそばへ歩み寄り隣へ腰をおろした。


「ユイ……自分とほかの人を比べることほど、無意味なことはありませんわ」


「……」


「生まれもった才能は一人ひとり違うんですの。メルには魔法の才能があった。だからユイやモアより少し先を行っているのですわ。でも、あなただって確実に成長しているじゃありませんか」


ユイの頬を伝う涙を、リズがハンカチでそっと拭う。


「私の話をしましょうか。以前、魔導砲は私が開発した魔法ではないと話したことを覚えていますか?」


「……はい。たしか、真祖アンジェリカ様が開発したと」


「ええ。あの魔法はお姉様の独自魔法。真祖一族のなかでもお姉様だけが魔導砲の使い手でしたの」


遠くを見るような目で、リズがとつとつと言葉を紡ぐ。


「でも、私は幼いころからお姉様に心酔していましたから。何としても魔導砲を使えるようになりたかった。だから、お姉様が一族と距離を置いて姿をくらませたあとも、私は必死で努力して練習を重ねました。それこそ、何百年もたった一人で」


「な、何百年!?」


「ええ。魔法陣の解析もしなくてはなりませんでしたし。当のお姉様がいなくなったので、一からすべて自分でやらなければならなかったんですの」


「……」


「ユイ。成長の度合いや速度は個々で大きく異なりますのよ。他人と比べるのではなく、昨日までの自分と比べなさいな。あなたは間違いなく、着実に成長していますわ。それは師匠である私が保証しますの」


「リズ先生……」


再びぽろぽろと大粒の涙をこぼし始めたユイの頭を、リズが優しく撫でる。


「とにかく、諦めずに継続すること。諦めたらそこで成長は止まりますわ。でも、諦めずに継続さえすれば、きっとあなたは成長し続ける。諦めないこと、継続すること。それが一番大事なことですわ」


コクコクと何度も頷きながら涙をこぼし続けるユイ。震える小さな肩を抱き寄せたリズは、彼女が泣き止むまでずっとそばに寄り添い続けた。

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