第5話 さすがに怒りますわ

「ユイ、ちょっとあなたに話がありますの」


学園の授業を終え、いつものように三人でリズの屋敷を訪れたユイを待ち構えていたのは、わずかに顔を顰めて玄関で仁王立ちする師匠だった。


「わ、私?」


「ええ。とりあえずみんなリビングにおいでなさいな」


どうしたんだろう、と顔を見あわせた三人娘だが、言われた通りにおとなしくリズのあとについてリビングへと向かい、いつものソファへちょこんと腰をおろした。


向かいあうように座ったリズが、紅い瞳でまっすぐユイを見る。


「ど、どうしたの、リズ先生……?」


「どうしたの、じゃありませんの。シャイナから聞きましたわよ? あなた、先日学園で男子生徒と大立ちまわりを演じたそうじゃありませんか」


シャイナとはユイの母親である。


「あう……だ、だってあれはあっちが……」


一瞬口ごもったユイだが、すぐに頬をぷっくりと膨らませ唇を尖らせた。不満があるときにユイがよくする顔だ。


「……子どもがただケンカしただけなら私から何も言うことはありませんわ。でも、あなた魔法を使ったそうですわね?」


「う……」


「そばにたまたまいた教師が魔法盾マジックシールドを咄嗟に展開して庇ったので相手にケガはなかったようですが……。一歩間違うと相手は大ケガどころか、死んでいたかもしれないのですわよ?」


ユイがそっと目を伏せる。なぜか叱られていないモアとメルまで目を伏せてしまった。


「私があなた方に魔法を指導しているのは、自分の身を守れるようになるため、ひいては女性一人でも生きていけるようになってもらうためですわ。乱暴者になってほしいわけではありませんのよ」


「はい……」


少しは反省したのか、ユイの目に涙が浮かび始める。


「……反省したのならいいですわ。今後、人に対して軽はずみに魔法を使わないこと。いいですわね?」


「はい」


「よろしいですわ。お説教はこれでお終いにしますの。とりあえず、お茶とおやつにしましょう」


師匠からのお叱りを受け、少しのあいだ元気がなかったユイだが、リズが出した美味しい焼き菓子を口へ運ぶうちにいつもの調子を取り戻した。現金なものである。



――三日後。


授業を終えたユイにモア、メルの三人はいつものようにリズ邸へと向かうべく王都の中心街を歩いていた。


「モア、古代史のテストどうだったー?」


「まあまあ、ですかね。今回はテスト範囲が広かったので……」


「だよねー。メルは?」


「さっぱりダメ」


魔法に関しては天才的なメルだが、勉強に関してはさっぱりだった。それを知っているユイとモアが思わず苦笑いする。


「来週は魔法学のテストかー……頑張らな――」


言いかけたユイが口をつぐみ立ち止まる。モアとメルも歩くのをやめ、前方で起きている騒ぎに目を凝らした。


見ると、五人ほどの屈強な男たちが一人の老人を取り囲み、殴る蹴るの暴行を加えている。男たちの装いを見るに冒険者崩れのようだ。


「おらっ! 立てじじいっ! いったい誰に文句垂れたのかわかってんのか!? この冒険者、アキト様にそんな口きいて、ただで済むと思ってんのか、ああ!?」


金髪をモヒカンにした男が、地面に倒れた老人の腹を思いきり蹴飛ばした。


「ごぶぅっ! わ、わしはただ、これまでの溜まっている飲み代を払ってほしいと……」


「だーかーらー! 払わねぇなんて言ってねぇだろうが! もう少し待てって言ってんだろ!」


「そ、そうやってもう半年以上経ちますじゃ……これじゃ、うちの店は……」


暴行を受けている老人はバーか何かのマスターらしい。溜まったツケの支払いをお願いしたところ、逆上した冒険者崩れたちが逆ギレして暴行を加え始めた、といったところか。


「うるせぇ! んなこと知ったこと――」


「待ちなさい!!」


モヒカンの男が再度老人の腹を蹴ろうとした刹那、あたりに少女の甲高い声が響いた。声の主はユイである。ユイが倒れた老人のもとへ駆け寄り、「大丈夫ですか!?」と声をかける。


「な、なんだガキてめぇ……!」


背後に立って見下ろしてくるモヒカンの男を、ユイはキッと睨みつける。


「お年寄り一人に何人もで寄ってたかって、あんたたち恥ずかしくないの!?」


「ああん!? てめぇにゃ関係ねぇだろうが!」


すっくと立ちあがったユイは、モヒカン男を睨みつけながら拳をぎゅっと強く握った。


「あんたたちがやってること、最低なんだから! この卑怯者!!」


「てめぇ……言わせておけばっ!」


バチンッ、と乾いた音が響いたと同時に、ユイの小さな体が横に吹っ飛んだ。モヒカン男に頬をはたかれたユイがゴロゴロと地面を転がる。


「ユ、ユイちゃん!!」


「ユイ」


友人のピンチと見たモアとメルが慌てて倒れたユイのもとへ駆け寄った。


「う……うう……」


ユイのそばへしゃがみこんだモアが治癒魔法を発動しようとするが、背後から迫ったモヒカン男がモアをドンッと突き飛ばす。「キャッ」と短い悲鳴をあげたモアが、ズシャッと地面へ倒れ込んだ。


「邪魔してんじゃねぇ。そのガキはもっとお仕置きが必要だ」


モヒカン男がユイの胸倉を掴んで立たせようとした刹那――


「やめて」


少し離れたところから声をかけたのはメル。その眼前には、三つの魔法陣が展開されていた。


「な……! ま、魔法だと……? しかも魔法陣を三つも……!?」


驚愕し青ざめるモヒカン男を睨みつけながら、メルはさらに魔力を練ってゆく。が――


「や、やめろ! メル!!」


頬を右手で押さえながら、ユイが必死な様子で呼びかけた。


「メル! 魔法を使っちゃダメだ!」


「メルちゃん!!」


後ずさるモヒカン男とその仲間たちを睨みつけていたメルだが、ユイたちの必死の呼びかけに魔法陣を閉じる。と、そこへ――


「何をしている! 何の騒ぎだ!?」


野次馬をかきわけながら乱入してきたのは、おそろいの白い鎧を纏った数人の男。教会の聖騎士である。これ以上の騒ぎはマズいと見たのか、モヒカン男とその仲間たちは忌々しげな表情を浮かべたまま一目散にその場を立ち去った。


「君たち、大丈夫か!? ケガは?」


まだ地面にへたりこんだままのユイに近づいた聖騎士の青年が声をかける。


「あ……大丈夫です……ちょっと口のなか切っただけなので……」


ほっとした表情を浮かべた聖騎士は、「ああいう奴らには無駄に関わらず、衛兵か聖騎士に通報してほしい」と言い残し去っていった。



――リズ邸のダイニングに漂う甘い香り。今しがた焼き終え、荒熱をとったクッキーを深めの皿へ移しながら、リズは満足げな表情を浮かべた。


うん、我ながらなかなかの出来栄えですわ。あの子たちもきっと喜びますわね。それにしても……いつもならもう来る時間なのに、少し遅いような気がしますわ。と、そんなことを考えていると――


「リズ先生―!」


外からモアの声が聞こえた。ん? いつもはユイが呼びかけますのに、今日は珍しくモアなのですわね。


「はいはい。今日は遅かっ――!?」


玄関で弟子たちを出迎えたリズの顔から表情が消えた。ユイの頬は赤く腫れ、口の際が切れている。


「い、いったいどうしたんですの!? とりあえずおあがりなさい!」


リビングのソファへ腰をおろしたユイに、リズが治癒魔法をかける。


「どうですの? 痛みは?」


「はい……ほとんど、ないです」


ユイがニコッと笑みを浮かべる。いつもに比べてどことなく元気がないようにリズは感じた。


「いったい、何があったんですの?」


「……」


目を伏せて答えようとしないユイの様子を見て、リズは小首を傾げた。見ると、モアとメルも目を伏せている。


「……まさか、ユイ。またケンカをしたんじゃ――」


「違います!」


リズの言葉を遮って反論したユイの瞳から、大粒の涙がぽろぽろとこぼれ始める。ユイとモア、メルは先ほどの出来事をすべて正直に話した。


話を聞き終えたリズは愕然とした。ユイほどの力があれば、不良冒険者程度から一方的に暴力を振るわれるようなことはない。だが、ユイは応戦しなかったという。


「リズぜんぜい……あだじ……ぜんぜいどのやぐぞぐ、まもっだよ……魔法、づがわながっだよ……」


顔をぐしゃぐしゃにして泣きじゃくるユイの姿を目にし、リズの体から禍々しい魔力が漏れ始める。その気になれば、ユイは魔法盾で身を守ることも、魔法で反撃することもできた。でも、それをしなかった。それは、自分との約束を優先したからだ。


えぐえぐと泣きじゃくるユイを、リズは正面からぎゅっと抱きしめた。


「ユイ……偉いですわ。私との約束をきちんと守りましたのね……」


「うん……うん……」


「本当に、あなたは私の自慢の弟子ですわ……。それと、ごめんなさい。私が言葉足らずだったばかりに、あなたをこんな目に遭わせてしまって……。今度からは、あなたの安全が最優先ですの……危ないときは、迷わず魔法をお使いなさい」


泣きじゃくりながら頷くユイを抱きしめ続けるリズの、血のように紅い瞳がギラリと鈍い光を帯びた。



――その日の夜。


ほろ酔い気分で酒場から出てきた数人の男は、愉快そうな笑い声をあげながらふらふらと王都の裏路地を歩いていた。


「ひゃはは……いい気分だぜぇ……」


「だなー……よし、もう一軒行くか!」


「じゃあ、いつものただ酒飲ませてくれるあそこ行くか?」


「あのじじいんとこか。昼間あんだけ傷めつけてやったし、もう金払えなんて言わねぇだろうしな……」


ぎゃはは、と下品な笑い声を響かせながら裏路地を進んでいくモヒカン男とその仲間たち。と、そこへ――


「……ん?」


男たちの道を塞ぐように、小柄な少女が一人で立っていた。月明かりでよく見えないが、髪をツインテールにした紅い瞳の少女だ。


「何だぁ……? てめぇは~……」


紅い瞳の少女、リズがじゃりっと一歩踏み出し、先頭にいるモヒカン男へ刺すような視線を投げつけた。


「……私のかわいい弟子に手をあげたおバカさんはあなた方ですわね?」


「ああん? ああ……もしかして、昼間のあの小娘のことか……?」


「私の弟子に手をあげるなど万死に値しますわ。死んで詫びなさい」


底冷えするような声を浴びせられ、モヒカン男たちの酔いがいっぺんに覚めた。


「な、な……何を……」


「愚か者とこれ以上会話する気はありませんの。『煉獄ヘルファイア』」


男たち一人一人の足元に魔法陣が展開し、黒々とした爆炎があっという間にモヒカン男たちの体を呑み込んだ。断末魔の声を発することさえ許されず、モヒカン男たちは消し炭にされてしまった。


「……ふん」


弟子に暴力を振るった男たち全員を、一片のかけらすら残さず消し炭にしたリズは、小さく鼻を鳴らすと踵を返して悠々とその場をあとにした。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る