第3話 私がそうしたいだけですわ

「魔物退治……ですの?」


リビングのソファに腰をおろしたまま、リズが少し首を傾げた。向かいに座る初老の男が申し訳なさそうに顔を伏せる。


「はい……ここしばらくは大丈夫だったんですが、また最近オークどもがやってくるようになってしまって……」


白髪が目立つ初老の男は、少し離れた場所にある小さな集落の長、ブッカ。


以前、リズは何度か足を運んで新鮮な野菜や獣の肉をわけてもらったことがあり、その代わりに何かしら困りごとを解決してあげていた。もちろん、リズが吸血鬼ということも知っている。


「王都の冒険者ギルドには?」


「依頼は出したんですが、遠方なうえに報酬もあまり出せないとあって、なかなか受けてくれる人がいないんです」


まあそうでしょうね。ブッカの目をじっと見やりながらリズは紅茶の入ったカップに口をつけた。


「高額な報酬が出せないなら、教会へ訴えてみては? あそこの聖騎士はそこそこ手練れぞろいですわよ?」


「それが……運悪くいくつかの村や集落で食糧難などの問題が発生していて、聖騎士団はその支援活動に忙しいらしいんです」


なるほど、八方塞がりというやつですわね。さて、どうしましょうか。オーク退治くらいあっという間に終わりますが……。あ。


やや考えるような素振りを見せたリズが静かに口を開く。


「わかりましたわ。私の弟子たちを向かわせましょう」


「リズ様のお弟子さんというと、ユイちゃんたちですか?」


何度かユイたちを連れて集落へ出かけたこともあるため、ブッカは三人の弟子とも顔見知りである。


「ええ。たまには実戦訓練もさせませんとね。あの子たち、あれでなかなかの魔法の使い手ですから、問題はないでしょう」


「たしかに……。ですが、子どもたちだけで大丈夫でしょうか……?」


「私がかわいいあの子たちを危険に晒すわけがないでしょう?」


紅い瞳でジロリと睨まれたブッカが冷や汗をかく。


「もちろん、私もそばで見守りますわ。こっそりですけどね」


「なるほど。それなら安心ですね」


「報酬は、またお野菜と肉でも少々いただきますわね。あの子たちには少しでも美味しくて栄養があるものを食べてほしいので」


ユイたちはリズの家で食事をとることも多い。そのときは、なるべく美味しく、なおかつ栄養面に配慮した食事を出すようにしている。


「リズ様は本当に、ユイちゃんたちを大切に思ってるんですね。ときどき、甘やかしすぎじゃないかと思うこともありましたが……」


リズがユイたちを甘やかしている現場をブッカは幾度となく目にしている。


「……一緒にすごせる時間は限られていますから。できることは何でもしてあげたいんですの」


その言葉にハッとしたブッカがそっと目を伏せた。吸血鬼と人間とでは明らかに寿命が違う。永遠のようなときを生きる吸血鬼にとって、人間の一生など刹那に等しい。


「まあ……ただ単に、私がそうしたいだけのことですわ」


ふふ、とかすかに口元を綻ばせたリズに、ブッカは深々と頭をさげた。



──翌日。


リズ邸の庭に集まり整列するユイとモア、そしてメル。今日は休日なので学園も休みである。


「さて昨日伝えた通り、今日はあなた方にオーク退治へ出かけてもらいますわ。実戦訓練はこれで三度目ですが、あなた方ならきっと問題ありませんの」


「はい!」


「は、はい!」


「はーい」


三者三様の返事を聞き、リズがにっこりと笑みを浮かべる。


「現れるのは一体だけと聞いてるので、おそらく同一の個体でしょう。集落の人たちも協力してくれますから、困ったときは決して自分たちだけで何とかしようとしないこと。わかりましたわね?」


再び大きな声で返事をした三人娘の頭をリズが順番に撫でてゆく。


「それぞれ、自分の役割はわかっていますわね?」


「はい! メルがメインで攻撃して私は支援、モアは支援と治療です!」


元気印のユイが「えっへん」と胸を張る。


「よろしいですの。メルの魔力と魔法技術は頭一つ抜きん出ていますからね。メルを軸にした戦術ならまず問題はありませんわ」


「ううー、でも私たちだって頑張るもん! ね、モア!?」


「そ、そうです! メルちゃんばかりに頼ってられませんもん!」


やいのやいの言い始めた弟子たちの様子に、リズが目を細める。ほんと、この二人は負けず嫌いですわね。それに比べてメルは……。


当のメルはというと、相変わらずのぼーっとした表情のまま庭をふわふわと飛ぶ蝶に意識をもっていかれていた。緊張も気負う様子もいっさいない。


リズがクスッと笑みを漏らす。ほんと、この子だけは謎ですわ。こんなにぼーっとしているのに魔法の才能だけはずば抜けていますもの。それ以外は心配ですが……まあ、ユイにしっかり者のモアもついているし問題ないでしょう。


「行ってきまーす!」と元気に出発した弟子たちを見送ったリズは、転移魔法でくだんの集落へ移動した。



「ごめんくださいな」


木を組みあわせて建てられた質素な住居の前でリズが声をかける。


「はい……あっ! リズ様!?」


「十分もしないうちに弟子たちが来ますわ。で、予定というか、作戦は?」


「あ、はい。ええと、オークが現れるのは集落の南、森側です。一日に数回現れることもあるので、最近は若い者を常に配置しています」


「現れない可能性もあるのではなくて?」


「猪の肉を焼いて、煙と匂いでおびきだそうかと……」


「なるほど。私が隠れてこっそり覗けるようなところはありますの?」


「はい。監視小屋がありますので、そこなら大丈夫かと」


ユイたちに見られてしまっては元も子もないため、リズはブッカ案内のもと一足早めに小屋へ向かうことにした。


そして監視小屋に籠って五分も経たないうちに、弟子たちの聞き慣れた姦しい話し声が風に乗って耳に届いた。


うん、寄り道せずまっすぐ来たようですわね。さて、あなた方の成長ぶりを見せていただきますわよ。


監視小屋に設けられた格子の内側からそっと外を見やる。すでに、集落の若い衆たちがオークをおびきだすために猪を焼く準備を始めていた。


と、そこへ。案内役らしき青年のあとへ続くようにしてユイ、モア、メルの三人娘が姿を現した。元気いっぱいに出発したユイだが、顔にはかすかな緊張の色が見てとれる。


リズの喉がゴクリと鳴った。なぜか、こっちが緊張してきましたわ……。ユイ、落ち着いて行動するんですわよ? 


いよいよ猪の肉が焼き始められ、煙が立ち昇り始める。しっかりと火がついたのを確認し、集落の者たちは後方へ下がってゆく。


ユイとモアは相変わらずやや緊張気味だ。一方のメルはというと、ジュウジュウと音を立てて焼かれている猪の肉を凝視している。


まさか、あの子お腹すいたとか言い出すんじゃ……。それだけならまだしも、いきなり肉を食べ始めたらどうしよう、とリズはそっちが心配になった。と、そのとき──


薄暗い森の奥から大きな影がこちらへ迫ってくるのが見えた。間違いない、長の言っていたオークだ。


背はニメートルほど、でっぷりとした豚づらの巨体が、のしのしとユイたちのもとへ歩みを寄せてゆく。手には棍棒のようなものを携えていた。


ユイが戦闘態勢をとりながら「くるよ!」と叫ぶ。すでにモアは魔力を練り始めている。


だらしない脂肪をたぷたぷと揺らしながら迫る醜悪なオークの姿をリズがじっと見やる。うん、ごく一般的なオークですわね。あれなら何の問題もないでしょう。


……ん?


リズの目がオークの下半身に向いた。ユイたちの姿を認めたオークの顔にはニヤリとした笑みが浮かび、股間がもっこりと膨らんでいた。


リズのこめかみに蜘蛛の巣のような血管が浮かびあがる。オークは明確にユイたちを「メス」として見ていた。


……不快ですわ。あんな小さな女の子を、いや、うちの弟子たちを性欲のはけ口として見るなんて……! 今すぐ出て行って焼き豚にしてやりたいですの。


実際のところ、リズが魔法を放てば焼き豚どころか影も形もなく消し炭になってしまうのだが。


のしのしと迫ってきたオークを、ユイたち三人娘が囲むように配置へつく。リズはほっと胸をなでおろした。


そう、それでいいですわ。一定の距離を保ったまま囲み、攻撃を続ければオークなどそれほど手強い魔物ではありませんの。まずはメルが強力な一撃を叩き込めば、それだけで脅威もかなり低くなる。


さあ、早く攻撃なさい……って、メル?


リズが視線を向ける先では、メルが空をぼーっと眺めていた。そして、「大きい雲だー」と口にしたのをリズはその地獄耳ではっきりと聞いた。


ち、ち、ちょっと! な、何をしていますの、メル!? 今から戦闘が始まりますのよ!?


リズの顔がサーッと青くなる。と、そのとき。オークが猛々しい咆哮をあげながら、棍棒をふりかぶってメルへと突進した。

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