第2話 あれが始まりでしたわ
エルミア教を国教とする聖デュゼンバーグ王国は、宗教国家として長く栄えてきた国だ。自然資源が豊富な国でもであり、王都から三十分も郊外へ歩くと、広大な森が待ち構えている。
ゴブリンにオーク、獣人などが徘徊する森に近づく王国民はまずいない。だからこそ、吸血鬼である私が住居を構えるのにも適していた。
森への入り口そばに建つ三十坪程度の平家が私の住居。何百年か前に、知り合いのドワーフを呼んで建ててもらった家。
長らく一人でのんびりと暮らしていたが、あるとき窓から外を見やると、三人の女の子が森へ入ろうとしているのが目に映った。三人とも七、八歳くらいだろうか。私は小さく息を吐いた。
愚かなことですこと──
弱い人間のくせになぜ自ら危険を冒すのかしら? おそらくあの三人娘は生きて森を出ることはないでしょうね。
人間の女の子など魔物にとってかっこうの餌食ですわ。まだ幼い少女たちだけど、ゴブリンやオークに散々犯されてから骨も残さず食べられて終わり。
食べ残しはヘルハウンドやスライムたちがきれいに処分し、また森はいつもの風景を取り戻す。
少女たちは楽しげに笑い声をあげながら森へ入って行こうとしていた。これから惨劇が待っているとも知らずに。
どんどん少女たちの声が遠ざかってゆく。もうそろそろ深い森への入り口に足を踏み入れただろうか。
「…………ああ、もうっ」
気づいたら私は転移魔法で森の入り口へ移動していた。まさに今、森へと足を踏み入れようとしていた少女たちが、突然現れた私を見てにわかに顔をこわばらせた。
「……あなた方、この森がどういう場所なのかご存じないんですの? 大人でも生きて戻るのが難しいのに、子どもだけで入るなんて、無駄に命を散らすだけですわよ?」
三人娘は互いに顔を見あわせたあと、目を伏せ肩を落とした。大冒険へ出かける邪魔をされたと思っているのかもしれない。
関わってしまった以上、勝手に死なれるのは何となく気分がよくない。私は三人娘を連れて、少し離れた自宅の庭へと転移した。
これがすべての始まり。転移魔法のような超がつく高位魔法を目の当たりにした三人娘は、とにかく興奮していた。
どうやら、王立デュゼンバーグ魔法女学園で魔法を中心に学んでいる子どもたちらしい。私の魔法に興味津々だったので、退屈しのぎに庭で魔法の実演をしてあげてから家に帰した。
で、次の日。また三人娘が現れた。そして開口一番──
「弟子にしてください!」
「……は?」
「弟子にしてください!!」
「意味がわかりませんが、とりあえずお断りしますわ」
「えー! 何で!?」
一番勝ち気そうな女の子がぷりぷりと怒り始めた。メガネの子は上目遣いで私の顔を窺い、ぼーっとした金髪の子は何を考えているのかまったくわからない表情を浮かべていた。
「あなた方を弟子にして私に何の得があるんですの? 昨日はたまたまあなた方を見かけたので注意しただけですわ」
三人娘が一様に顔を伏せる。ユイと呼ばれていた勝ち気そうな子だけは不満そうに唇を尖らせていた。
「……諦めがつくようにはっきり言ってあげますわ。私は吸血鬼ですの。その気になれば、今すぐあなた方三人の血を吸って殺すこともできますのよ?」
そのときの三人娘の反応は今でもはっきり覚えている。弾けるように顔をあげた三人娘は、私を恐れるどころかキラキラとした目を向けてきた。
「凄い! 吸血鬼初めて見た!」
「吸血鬼だからあんな凄い魔法が使えるんですね!?」
「かわいい」
一人だけおかしなことを口走った子がいたが、正直私は面食らった。というか、こんなに警戒心がなくて大丈夫なのかと、かえって心配になったのを覚えている。
そんなこんなで、毎日のようにやってくるあの子たちに魔法の手ほどきをしているうちに、なし崩し的に弟子として認める羽目になってしまったのだ。
──吸血鬼は戦闘力だけでなく知性にも優れた種族だ。長く生きているのでいろいろな経験もしている。
そんなわけで、私のもとにはときどき知恵を借りようと相談に訪れる者もいる。今、目の前で紅茶のカップに口をつけているミーナもその一人だ。ちなみに、モアの母である。
「は〜……やっぱりリズさんが淹れてくれる紅茶は美味しいですね」
「それはどうも。で、今日はまた経営に関する相談ですの?」
モアの母、ミーナは王都で小さなパン屋を営んでいる。
「はい。オープンして二年ほど、何とかやってきましたが、なかなか客足が伸びなくて……」
「繰り返し来店してくれる人は?」
「常連さんは多いです……というか、常連さんでもっているようなものですね」
「なら、単純にあなたのお店の認知度が低いだけですわ」
「認知度……ですか?」
「ええ。あなたのお店、少しわかりにくい場所にありますでしょ? もっと多くの人に知ってもらわないと、いくら美味しいパンを提供していても客は増えませんわ」
ミーナの作るパンが美味しいのは間違いありませんわ。モアが頻繁にお土産として持ってきてくれますし、私も大好きなんですもの。
「なるほど……」
「常連が多いのなら、お客を紹介してもらいなさいな。紹介してくれたらパンを値引きする、特典をつけるなどお得感を演出するとうまくいきますわよ」
「おお……さすがリズさん!」
大袈裟に感動するミーナへ私はジト目を向けた。少し考えればわかりそうなものですのに、やっぱり人間っておバカさんですわね。
「はぁ……お店の経営について吸血鬼に相談するなんて……。娘が娘なら親も親ですわ」
「あはは。モアがいつもお世話になってます」
目の前でミーナがぺこりと頭を下げる。
「そもそも、私が親なら子どもが吸血鬼の弟子になるなんて絶対に反対しますわ」
「そうなんですか?」
「……吸血鬼は、あなたが考えている以上に残忍で恐ろしい種族ですのよ? 私がある日豹変してあの子たちを手にかけるかも、とはあなたは考えませんの?」
「うーん……考えたこともなかったです。モアがめちゃくちゃ尊敬してるし大好きって言ってますし。あの子、人を見る目あるんですよ」
人じゃなくて吸血鬼ですけどね。はぁ……ほんっと、どうしようもない母娘ですこと。
「あの子たちは……ちょっと純粋すぎますわ。世のなかには、小さな子どもを平気で手にかける輩は大勢いますの。もちろん、吸血鬼のなかにも」
「でも、リズさんは絶対に違います」
「なぜ?」
ミーナがクスッと笑ったので、私は不思議に思い首を傾げた。
「だって、手にかけるならとっくにやってるじゃないですか。それに、モアたちへ魔法を指導してくれるだけじゃなくて、勉強を教えてくれたりご飯をご馳走してくれたり……。このソファだって、わざわざあの子たちのために新しく買ったそうじゃないですか」
「う……」
「ふふ……みんなわかってるんですよ。リズさんがいい吸血鬼だって」
「いい吸血鬼なんていませんわ。まあ……弟子にした以上はきちんと責任もって指導はするつもりですが」
「……私はあの子の母親なので、必ず先に逝ってしまう。でも、リズさんがあの子のそばにいてくれるなら安心って思ってるんです」
胸のあたりにチクリとした痛みが走った。
「……あなたが逝き、そしていずれあの子たちも、私のもとを去っていきますの。そして私はまた一人になる……」
「……!」
「だから……だから本当は、あの子たちを弟子にしたくありませんでしたの。同じ時を長くすごせばすごすほど、別れが辛くなりますもの……」
ユイにモア、そしてメル。今はまだ幼い少女だが、彼女たちも成長する。あと何年かすれば身長も私を追い越すだろう。
私だけが何も変わらない。あの子たちが成長し、老いてゆき、そして死んでゆく、その様を見ていることしかできない。
「リズさん……」
向かいに腰かけていたミーナが私のほうへやってきて、隣に腰をおろした。小麦とバター、甘い砂糖の匂いがした。
「リズさん……いつまでも、あの子たちのことを忘れないであげてくださいね……」
私はミーナの肩あたりに顔を埋めた。最強の種族である吸血鬼の私が、こんな情けない顔をしているのを絶対に見られたくはなかった。
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