第37話 OLさんと「あの人」#22

真奈津は悩み出していた。知らない男の顔に見覚えがあったからだ。それがいつどこで「あの人」と出会ったのか、それともただすれ違ったことがあるのかは定かではない。それでも確かに「あの人」と会った覚えはあった。そう思っている最中、ある場面が徐々に記憶の中から蘇る気がした。それで思った「ヤバい、一度会ったことがある」と思い、叫びそうになった。正確には会ってはない、ただ結構前に「あの人」に一回親切されたことがあった。あれは確かに真奈津が今の会社に入社してまもない頃だった。夢見ていた会社で勤めて卒業した大学での学食を楽しんでいるある日のことだった。あの時は学期がはじまったばかりで学食に来ている人の数が多かった覚えがあった。そのとき、列に並んで自分の順番を待っていた真奈津は列が長すぎて中々減らないことに苛立ちを思って少しムキになってしまった。イライラしていた真奈津はは手に持っていた番号札兼食券を持っていた手を団扇を使うみたいにパタパタしていた。季節は秋になのにまだ完全に涼しくなってないせいかそれとも、学生食堂に人が多すぎなせいか結構暑いかった。


それらの原因が混ぜて苛立ちを感じた真奈津は、自分の食券をパラパラ振っていた。そのとき、食券をうっかり落してしまった。その食券がフラフラ落ちている様子をみてまた苛立ちを感じた真奈津はは、思わず舌打を打ってしまった。自分でもびっくりするほどだった。しかし、そう思ってもイライラは収まりようがなかった。そう思いながら仕方なく、自分の食券を拾うとして少し前に屈みかけた瞬間、真奈津の前に立っていた男が真奈津の食券が落ちているのを気づいたのか、地面に落ちている食券を自分の横に落ちている真奈津の食券をゆっくり座り込む感じになって拾いあげようとするのが真奈津の目に入った。その男の行動は苛立ちのあまり少しムキとなった真奈津にはとても新鮮に見えたし一目置くべきもののような気がした。男なのにあんな自然で滑らかな動きで座り込み、拾い上げたのだ。


それで真奈津の食券を拾いあげた男はゆっくり真奈津の方にぐるっと身を回して食券を持っている自分の左手を真奈津の方に差し伸べてきた。その手の中にある自分の食券を取って前の人の顔を確認するために頭をあげてみた真奈津ははっとした。目の前で自分のことをみていた男はうっすら笑みを見せて「どうぞ」とでも言っているかのような口の動きで真奈津を優しい目で見ていたからだ。この親切さで真奈津のイライラは少しが収まった。食券は真奈津の手の中に戻り、目の前の男はもとのまま前を向いて順番が来るのを待っていた。目の前の男の背中を見ていた真奈津はふと、自分に親切をしてくれた人のことが気になりはじめた。それで「あの人」が自分の食べるものを持って席に座ってご飯を食べるのをみるために、真奈津もさっきの男から少し離れた場所に席を取り、ご飯をたべ始めた。ご飯を食べながら「あの人」のことをこっそり見ているのと同様に「あの人」のことを見はじめた。もちろんこれはあくまで始めてみる動物を遠くから見るかのようなことと変わらないことだった。顔見知りの男の人に親切された。しかも男としてはあまりにも滑らかで優しい物腰だったので不思議に思いもう一度見なくてはならない、そういないではいられなくなったから見てしまうだけのことだった。


それから何回か真奈津は学食に行くとき無意識的に「あの人」のことを気にしはじめた。週に2、3回程度で学食を訪れている「あの人」。それ以外にはなんにも分かったこともなく、特別になにか挨拶を交したり、真奈津からわざわざ「この前のこと、ありがとうございました」と声をかけることもしなかった。それで少し時間が経って真奈津と「あの人」の関係はそのまま終わった。いや終わったというより真奈津から「あの人」への興味がなくなったと言うべきだ。人にあまり興味がなかった真奈津であったからそうなるのも当然だった。それでそう終わってしまった「あの人」との出逢いの後、いつのまに真奈津には通りすがりの人々をみる癖ができてしまった。自分では気づいてはいないけれど、真奈津には覚えがないけれど、真奈津がこの癖を持ち始めた最初のきっかけは与えてくれたのは「あの人」に間違いなかったのだ。


このように今いきなり「あの人」とのはじめての出逢いを思い出した真奈津は「今回だけは何かしてみよ」と決心した。真奈津は自分から「好き」という気持になったのがいったいなんなのかその気持が本当ならどうすればいいのかなどを考えながら今日はなにか行動に出たくなった。真奈津がそう考えているのを知りようもない「あの人」は自分の食事を終わらせたか席から起き上がり、食器を返却し学生食堂から出ようとした。その姿をみた真奈津は慌てて適当に食べ残したまま、ご飯を捨てて食器を返却して「あの人」の後をついていく。

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