第2話 不変のチョコレートを夢見て

 コーヒーキャラメル色のカウンター席のある珈琲店のはす向かいにはチョコレート専門店がありました。このチョコレート専門店は珈琲店と仕事上の付き合いがあります。珈琲店でコーヒーを出す時に手のひらより一回りくらい小さな皿にのせて出される一粒のチョコレート、お茶請け兼おまけ、それを珈琲店に卸しているのがこのチョコレート専門店でした。

 ちなみに角砂糖売りがおごってもらえるような、角砂糖を入れることを前提にして作られるコーヒーにはチョコレートは付きません。


 こちらのチョコレート専門店は一歩入ると小さな池に沈んでしまったような気分になるお店でした。何故かといえば気泡のせいです。お店の窓はもちろん、商品が陳列してあるガラスケース、持ち帰り用の紙袋や箱が入っている棚のガラス戸に至るまで、少し歪んで気泡があちこちに入ったうっすらと灰色がかった手作りの古い板ガラスが使われているのでした。

 おかげで普通に呼吸をしていても、まるで水の中で少しづつ息を吐いている気分になります。

 

 今、チョコレート店には一人の女の子が店番をしています。焦げ茶色のビロードのワンピースにクリーム地のグラフチェックの木綿のエプロン姿、いずれ婿をとってチョコレート専門店を継ぐ予定の跡取り娘です。

 その跡取り娘がガラスケースを置いたカウンターの並びのレジの向こうにきちんと両手を膝に乗せて店番をしています。


 跡取り娘は幼いころ、チョコレートは不変だと思い込んでいました。チョコレートは長持ちするから登山の非常食に持っていくことが多いという話を聞いたからです。小さな跡取り娘はチョコレートを誇りに思うあまり、長持ちという言葉を果てしない時間だと結論付けてしまったのでした。


 チョコレートはダイヤモンドや黄金のように永遠に変わらない。ある程度大きくなるまで跡取り娘はそう信じていました。

 

 今は違います。


 現在の彼女は知っています。チョコレートを長期間放置すると劣化して味が落ちるという事を。更には成分が分離してしまう事も。


 不変なのはチョコレートに使われる砂糖の方なのです。だから砂糖に賞味期限はありません。

 悪魔が出るようになってから彼女は角砂糖に思いを馳せるようになりました。


 悪魔が角砂糖によって消えるのはその永続性に悪魔が勝てないからでは?

 決して傷むことが無い食品。結晶化した食べ物。

 砂糖には聖性がある。

 角砂糖売りがはす向かいの珈琲店に来た日は、跡取り娘は決まってそんなことを考えるのでした。

 

 砂糖は不変なのになぜ砂糖を使うチョコレートは不変ではないのでしょう。跡取り娘はほんの少し、悲しみを憶えるのです。


 角砂糖が効かないらしい悪魔が出た、という話を両親がしているのを聞いたのは、角砂糖売りがやってきた翌々日でした。無口な跡取り娘が聞き耳を立てていると、内容はざっとこのようなものでした。


 パジャマ姿で髪に寝癖が付いた、目の赤い悪魔が不可解な苦情を言いに珈琲店にやってきた、角砂糖売りがちょうど居合わせたので角砂糖を投げた、しかし悪魔は消えなかった、顔を両手で覆って足早に去って行った、まるで人間のように。

 珈琲店のマスターから聴いた話を夫は妻にそう説明していました。妻は言いました。お店から立ち去ってくれたのならいいんじゃなくて?

 夫は答えました。マスターによると、その場から一度は離れるのだけれど、翌日にまた来たのだそうだ、と。


 角砂糖の効かない悪魔。試しにチョコレートを投げてみてはどうかしら?

 跡取り娘は角砂糖売りに対するライバル心も込めて、そう考えるといたずらっぽくペロリと舌を出したのでした。


 


 


 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る