cp23 [file4”E区画住宅街”]③
耳障りな音が弾けるように火花を散らす。
暗闇が疎らにちらつく光に侵食されて。
次第に音の正体を理解した彼は目を開き、無意識に口にした。
「ここは…」
見慣れぬ景色。朧気な記憶。自身の置かれた状況を把握したのは、男の声を耳にした瞬間だ。
「大人しくしろ!」
頬に当てられた包丁は冷たく、身体中を冷やしていく。
ああ、また失敗してしまったのか…
恐怖よりも先に後悔に苛まれた圓は、項垂れる事も出来ずに唇を噛み締めた。
男は圓が抵抗しないことを確認すると、包丁を下ろして横を向く。ノートパソコンのキーが控え目な音を奏でていた。
圓は画面を流れていく沢山の文字列を認識し、思わず声を漏らす。
「これは…」
「爆弾だ」
「爆弾…!?」
「安心しな。仲間も一緒にぶっ飛ばしてやるからよ」
最後の一文字を強く発音すると同時に、男はエンターキーを叩いた。画面に表示されたのはデジタル式の時計だ。
薄暗い室内に浮かび上がる赤い光。示された残り時間が正確に時を刻む。
間取りは恐らく2K。現在2人がいる部屋と、もう1部屋、玄関を入ってすぐのところにある筈だ。
煙の中に見たものが脳内に再生される。意味を成すかは分からないが、圓はそのまま思考を回転させた。
見える位置にある窓は腰より上。外側に足場や手摺のようなものはなく、ロープや梯子も用意されていない。隣の建物に飛び移れそうな場所はないし、飛び降りて大丈夫かどうかは…現状下方を確認しようがないので分からない。
爆弾の残り時間が20分を切っている以外に見えるものはなく。片腕に絞められた首を動かしてしまえば、逆の手に握られた刃物がこちらに向きそうで、それ以上確認するのは難しそうだ。
圓がそう思った時、男が立ち上がり窓を開く。サッシの大きな音の後、下に向けて叫んだ。
「こら!車はまだ来んのか!残り1分切っ……」
男が不自然に言葉を切る。外に向けて振り出した筈の包丁が、男の手から消えていた。
呆気に取られた男が圓を締め付けるや否や、前方に黒い影が現れる。
「なっ…どこか…ら…」
言葉尻は薄れ行く意識の中から。なにが起きたのか、間近にいた圓の目にはしっかりと見えていた。
窓の上方から降ってきてすぐに男の首筋に剣の柄を叩き付け、あっと言う間に気絶させた影の正体は本隊長…倫祐だ。彼はそのまま室内に滑り込むと、圓に怪我がないことを確認して近場に座らせる。
「…!あの…」
男に手錠をかける倫祐に、圓は爆弾の存在を知らせようとしたが、既に気付いていたのだろう。パソコンを向いていた倫祐の目は、しかし男を縛り上げると同時にそっぽを向いてしまう。
爆弾を解除するには男に方法を聞くのが手っ取り早いが、強化剤を使った男を気絶させずに説得する手立てはなく。寧ろああでもしなければ止めることすら出来なかった。圓はそう考えて、倒れる男から視線を逸らす。すると目を離して1秒程度しか経っていない筈なのに、室内から倫祐の姿が消えていた。
慌てて立ち上がる彼の耳に、玄関が開く音が飛び込んでくる。続けて明るい義希の声が、倫祐の行動を伝えるように呟いた。
「え?なんかあったん?」
驚いたようなその声に、圓は前のめりで補足する。
「隊長、ば…爆弾です…!」
「ばくだん!?」
慌てつつも慎重な義希が時計の数字を前に固まると、短い沈黙が訪れた。固唾を飲む音が連なる。
義希は硬直を解いて唸り、頭をかきながら問い掛ける。
「まじかー。うー…圓…これ、なんとか止められん?」
「え…僕…ですか?」
「オレも倫祐も機械駄目だからさぁ。無理なら沢也に連絡するけど…」
義希は記憶の中から、隊長として就任した時に見たプロフィールを呼び起こし、横目に圓の様子を窺った。
彼は短い思案の後、深く頷き表情を変える。
「やってみます…いえ、やらせてください」
真剣な眼差しに頷いて、義希は圓の隣に座り端末で階下に指示を出す。
「もし、いっさん?ちょっときんきゅーじたい。いちおー周り避難よろー」
気の抜けるような説明に振り向いた圓が、室内に留まる二人を不思議そうに見上げた。
「隊長達は…」
「ここにいるよ」
朗らかな答えに、圓は思わず目を丸くする。義希は穏やかな笑顔で、当たり前のように言った。
「大丈夫、なんも心配しないでいいから。落ち着いてやれな?」
ポンと叩かれた背中。伝わる体温は妙に温かく、適度に緊張をほぐしてくれる。実感しながら、圓はまた頷いてパソコンと向き合った。
静まる部屋に規則的な電子音が響く。外から僅かに聞こえてくる喧騒が、避難が開始されたことを知らせていた。
圓のかける眼鏡のレンズを、ディスプレイ上に流れる大量の文字列が滑っていく。その内容も意味も理解できない義希と倫祐は、室内を観察しながら時を待った。
圓は元々エンジニアの助手として、センターサークルを拠点に働いていたらしく、爆弾にこそ精通していないものの、起動プログラムに関してはかなり詳しいようだ。それを証拠に、キーボードを弾く指先は迷いなく動いている。
「…これを押せば、完了です」
「お」
エンターキーを指差す圓の言葉に義希の顔が上がった。
「でも…」
しかし圓は躊躇って言葉を詰まらせる。義希が無言で先を促すと、彼は控え目に呟いた。
「失敗していたら…」
指先の震えが全身に伝わって、彼の心情を忠実に表している。義希は圓の指先を掴んで明るく問い掛けた。
「これ押せばいいんだな?」
指先に力を籠める。慌てた圓が止める間もなく、エンターキーは溝に沈んだ。
圓は思わず目を閉じる。
しかしなにも起こらない。…いや、実際には起きているのだが。
ポンと肩を叩かれて、圓は恐る恐る目を開けた。
「お疲れ、圓」
義希の声の後、彼は事実を認識する。
歪むレンズの向こう側。画面の中に浮かぶ赤い光が、それ以上動くことはなかった。
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