cp23 [file4”E区画住宅街”]②



 時は遡って10分前。



「また一人かい?君は」

 とある洋食屋の軒先、瞬きも忘れて見下ろす定一に。

「すみません…僕では抑制できなくて…」

 申し訳なさそうに俯く圓が力なく答える。

 朝のパトロールはいつも通り、決められたペアで出発した筈だ。勿論彼には前科のある隊員ではなく、別の隊員をあてがった筈なのだが。

「いっさんのサボりぐせがまんえいしたんじゃないすか?」

 定着してしまった一回り以上歳の離れた相方に、悪態を付く帯斗の言葉に圓の身が縮む。

「それは僕のせいにして責任逃れする姿勢と受け取って構わないかな?」

「冗談ですって!あー怖い怖い…面倒ごと押し付けられそうになった時のいっさんはなによりも怖いです…!」

 背後に黒い渦を漂わせて微笑む定一に言い分けて、帯斗は首と両手を左右に振った。定一は黒さを収め、欠伸に任せて圓の背を叩く。

「まぁ、とりあえずは僕らと来なよ。また事件に巻き込まれでもしたら…」

 その言葉が終わらぬうちに、隣の路地から悲鳴が上がった。

「ちょ…!」

「え…」

「あーらら…」

 甲高いそれに驚いた三人が足を向けると、ゴミを抱える女性の背景に近衛隊のジャケットと腕章が見える。

「諸澄くん…!」

 圓が呼び掛けるも、諸澄はうめき声を上げるだけで返事をしない。地に伏した彼の頬は腫れ上がり、口元には血が滲んでいた。

「喧嘩です!あの人が…彼を殴って…!」

 洋食屋の店員であろう女性が諸澄の奥を示す。人影が路地の向こう側に抜けていった。

「こら!お前…待て!」

 慌てて帯斗が追い掛ける。他の班も現場に集まりつつあるようだ。

「よりによってこんなに早くから喧嘩することないだろうに」

「隊員は後回し!こっち優先!」

「で…でも…!」

「サボって難癖つけられたんだろ?自業自得!少しは痛い思いして反省しろって話すよ!」

 定一は帯斗の指示通り、諸澄に駆け寄った圓を引っ張って走る。

「あの…早く手当てしないと…」

「ただ殴っただけにしては酷い怪我だったからねぇ」

「はい、ですから…」

「諸澄は大丈夫。他の班が回収するさね。それよりも、これ以上被害を広げない方が大事」

 諭されて、押し黙った圓は曲がり角を折れると共に俯いた。その横顔に、定一は困ったように問い掛ける。

「まだ気にしてるのかぃ?」

「…いえ…」

 圓は大きく首を振って否定すると、真っ直ぐに前を見据えて短く思案した。

「…また、強化剤でしょうか?」

「だろうねぇ」

「いっさん!」

 受け答えの間にも、前から帯斗の声が飛んでくる。数メートル前を走る彼の更に前、アパートの外階段を上る男の姿が二人の目に映った。

 定一は圓の背を押して前に出し、自分は建物の窓の位置を確認に向かう。帯斗は速度を緩めて圓と並び、揃って男の追跡を続けた。

 この辺りは幸い、商店で働く人々が集う住宅街で、この時間帯になれば在宅人数も人通りも少ない。二人が階段を上る間にも、下の定一がてきぱきと予防線を引き始めていた。

 帯斗は圓の前に立ち、男の背中を追い掛ける。その背中は二階の最奥の部屋にするりと吸い込まれていった。

「させるかっ!」

 扉が閉まる手前、L字型のドアノブに帯斗の手が届く。遅れて到達した圓がドアを支えたことで、二人は顔を見合わせた。お互いの首が頷くのを待って、武器を手に侵入する。廊下は暗く、部屋に続く入り口も闇に包まれていた。

 と。

 ゴトリと鈍い音が落ちた。それは廊下をあっと言う間に鈍色の煙で満たしていく。

 帯斗は咄嗟に飛び退いて、口と鼻を塞ぎながら外に転げ出た。呼吸を乱しながら煙から逃げる彼を、下を他の班に託した定一が支える。

「帯斗くん、圓くんは?」

 普段はのんびり口調の定一が、珍しく早口に聞いた。帯斗は目を開け振り向き、圓の姿が見えない事を認識する。

「…まさか…」

 未だ、室内から溢れる煙は収まっていない。ただでさえ走った後だ。呼吸が辛い状態で、これだけの時間息を止めていられる筈もない。ましてや圓は運動が苦手なのに…帯斗が考えを巡らせ、顔を青くしたのも束の間。

 煙の中から黒い影が姿を現す。

 ガスマスクを身に付けた男の腕には。

「こいつぶっ殺されたくなけりゃあ、今すぐ車持ってこい!」

 気絶した圓と、立派な出刃包丁。

「…分かった!上に掛け合ってみる。だから落ち着け!」

「早くしろ!お前らはそこから下がれ!交渉は窓から聞く!五分以内に答えを出せ!」

 犯人は帯斗の呼び掛けに怒号で答える。たじろいだ二人が考える間もなく、男は圓の首筋に刃物を当てた。

「早くしろ!殺っちまうぞ!」

 脅された二人はそろそろと後退する。男は二人の姿が階下に消えるのを確認し、室内に入って施錠した。

「…どうします?」

 階段の中腹に座り込み、帯斗は定一に問い掛ける。すると彼も同じように隣に座り、懐から携帯を取り出した。

「困った時は参謀に頼るが勝ちってね」

 呟き、電話帳を検索する定一の横から帯斗が慌てた声を出す。

「ぅえ!?で、でも…この間の今日すよ?」

「人命優先は基本中の基本だよ」

「いやー、でもその前に隊長に…」

「この手の事件に彼等は不向きだと思うなぁ」

 帯斗の制止を全て切り捨てて、定一は有無を言わさず電話をかけた。

 通話はすぐに繋がったようで、定一はさらさらと状況を説明してゆく。話を一分で終わらせて、通話が切れると同時に腰を上げた。

「強力な助っ人を寄越してくれるそうだ」

「強力?」

「なにが飛び出すか、楽しみにしとこうじゃあないか」

 欠伸混じりに言いながら、どこか楽しげに階段を降りる定一は、沢也の出した指示を片付け犯人に返答を出す。

 沢也の指示はこうだ。

 探知機を使用して不正な電波が飛んでいないことを確認すること。

 部屋の周囲に監視カメラの類い、及びその配線が無いか確認すること。

 その他出来る限りの状況確認。

 そして、「10分時間をくれ」と犯人に交渉すること。


 そうして定一が難なく犯人との交渉を終えたところに、見慣れた金髪が駆けてくる。

「お待たせ!小太郎が見っけたって言ってたから…もうすぐ…」

「ああ、来たみたいだねぇ」

 走りよりながら報告する義希に同意して、斜めに視線を流した定一に合わせて帯斗の首も回った。

 義希もつられて振り向くと、そこには確かに路地から抜け出た小太郎の姿が。

「寝てたの叩き起こして来た」

 彼が引っ張って来たのは、いつも以上にぼやけた顔の倫祐だった。

「助っ人…?」

 あからさまに顔を歪めた帯斗が、ふわふわ笑いながら欠伸する定一を振り向き抗議する。

「滅茶苦茶身内じゃないすか」

「身内でも助っ人は助っ人だろうに」

「最初から知ってましたね?いっさん」

 帯斗の推察に、彼はすぐに頷いて答えた。沢也が電話を切る間近に、そんな面倒ごとに時間とられたくねえから速攻で片を付けてやる。と言った事を思い出しながら。

「んじゃいっさん、悪いけど状況説明よろ」

 二人の空気もどこ吹く風。恐らく詳しい事情は後回しに集合したであろう隊長達に、定一は簡潔な説明をはじめた。

「えー…詳しい事情は抜きにして。犯人はガスで気絶した圓隊員を人質に、自宅に立て籠り車を要求している」

「恐らくは強化剤を使用したものと思われます。中には圓さん含めて二人だけだと思うす」

 帯斗の補足が終わると、タイミングよく牛の鳴き声が。そんな気の抜ける着信音を採用している人物が義希の他にいるわけもなく、彼だけが携帯を取り出し届いたメールを確認した。

「沢也からだ。お、こりゃ…間取り図だな」

 そう言って、彼は全員に見えるようにメールを提示する。

 数秒後、それぞれが図面を脳内に収めると、義希と小太郎の視線が倫祐に流れた。自然と集まった四つの瞬きに瞬きを返し、彼は義希を振り向く。その手は控え目に階段をさしていた。

「おっけ。小太郎は?」

 指示を読み解いて頷いた義希に瞬きを浴びせ、帯斗と定一は呼ばれた当人に顔を回す。すると待ち受けていたような小太郎の眼差しが、じっとりと二人にはり付いた。

「おれ様は是非とも原因の方を追求してえなぁ」

「それは面倒だから、帯斗くんに聞いておくれよ」

「ぅえ!?う…いいすけど…ここは大丈夫なんすか?」

「へーきへーき。離れるなら離れるではよ連れてけ」

「んじゃ隊長…」

「りょーかい。じゃあいっさん、この辺お願いー」

「あいさー」

 あとは流れるままに会話を流し、それぞれが役割に向かう。

「さぁて、お手並み拝見といきますかねぇ…」

 体よく残った定一が欠伸混じりに独り言を呟く側から、辺りは俄に騒がしさを増していた。

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