cp21 [ランプ]②


 もう一度日が落ちて、月が真上に昇った頃。

「また随分面倒な場所だな」

 いつもより大きく輝く月を背負い、ため息混じりに呟いたのは黒いスーツの男。先導しながらぼやきに頷くのは、近衛隊のジャケットを羽織った男。

 現在地はとある建物の屋根の上。昼間は一階に八百屋、二階にはレストラン、更に上階は事務所と空き店舗 の入った三階建ての物件だ。

 周囲を見渡せば闇に漬かった屋根瓦が所狭しと並んでいる。見通しが良く、下方からは道の関係で見えにくいそんな場所から、二人は目標の様子を窺う。

 月明かりに照らされ鈍く輝く瓦の上。滑らぬよう気を配りながら背負っていた得物を取り、ため息混じりに弾をセットするのは大臣兼参謀。マスケット銃に続いて使い慣れた銃にも弾丸を詰めた彼は、音もなく 剣を出す相方を振り向く。

「打合せ通りに」

 沢也の合図に頷いて、倫祐はスッと姿を消した。

 闇に紛れて屋根を渡る背中を確認し、沢也は小さく息を吐く。

 倫祐が指定したアジトを見付けて来たのが、昨日の早朝…つまり蒼との話が一区切りした後の事だ。丁度沢也は風呂と仮眠の最中だったので詳しくは知らないが、蒼の報告通りだとすれば、地図とメモだけ置いてそそくさと去ろうとしたらしい。

 それをなんとか呼び止めて、ケーキと紅茶のコンボで沢也が起きてくるまで待たせることは出来たが、勤務中ということもあって朝まで居座ることはなく、打合せを終わらせてすぐに帰っていった。

 その後、倫祐が下調べを終わらせた事件の現場、第8倉庫を詳しく現場検証し、幾つかの痕跡を確認。室内に辛うじて残っていた血痕やタイヤ痕等から証言の裏を取った。

 第8倉庫は元々海産物の一時保管場所としてある会社が保有していたが、いつの間にか所有者が変更されており、追って調査を続けている。

 倫祐のメモに残されていたのは第8倉庫の事だけではなく、ナンバーと車体の特徴から盗難車を割り出し、車の所有者がアジトに出入りするところを押さえた旨も記されていた。

 そんなわけで現在、少数精鋭で乗り込もうとしている。

 沢也は傾斜のある屋根にうつ伏せになると、目標の一室に狙いを定めた。

 三階建てに囲まれた四階建ての最上階。唯一の死角は、今沢也がいる場所だ。

 明かりが灯っていないので沢也には分からないが、室内にいるのはだと倫祐は推定している。夜目もきき、気配も読み取れる彼が言うのだからほぼ確定だろう。

 手に汗を滲ませながら、神経を研ぎ澄ませる彼の目に不意に光が飛び込んだ。倫祐が部屋の電気を点けた…つまり、静かな突入が成功した証だ。

 沢也は窓から逃走を試みた一人に麻酔弾を撃ち込み、騒ぎともいえぬ騒ぎが終息するのを待って立ち上がる。見渡すと、先と変わらぬ景色が静寂の中に落ちていた。

 一つため息をつく。聞いていたかのように、倫祐が隣に着地した。

「これで全部か?」

 沢也が手渡されたポケットルビーを掲げると、倫祐は首肯して彼を抱えようとする。

「いや、いい。俺は俺で先に帰るから、あと頼んだ」

 声も殺さず指示する沢也に、頷いて答えた倫祐はその場を静かに後にした。沢也は見送れなかった背中を探すように空を仰ぎ、数秒後に諦めて帰路に付く。

 沢也が建物の外階段に降り、梯子を片付けてゆっくりと王座の間に辿り着く間に、倫祐は牢屋に容疑者の三人を運び入れた。

 一方封鎖された現場には、沢也と入れ替わりで別の人物が顔を出す。

 彼は室内の様子を一通り写真におさめると、窓に浮かぶ月を振り向いた。変装代わりの黒渕眼鏡と窓ガラスを隔てた光を吸い込むように、蒼は密かに深呼吸する。

「他に怪しい動きもなさそうですし、引き上げるとしましょうか」

 背中で問い掛ける彼に、倫祐は頷こうとして固まった。蒼が振り向くと、中断された首肯も動き出す。

「ないとは思いますが、念のため監視カメラを仕掛けておきましたので。ここのことはもう忘れて頂いて構いませんよ」

 沢也に言われた通りに設置、動作確認を終えた蒼の言葉を聞いて、倫祐はまた頷いて応えた。

「第8倉庫は近衛隊の方で定期的に見回りを、それから例の車は…放置されるようであれば後程民衆課に回収させます」

 すらすらと並べられる指示の全てを飲み込みながら、倫祐は視線を窓に流す。浮かぶ月の色合いが、妙に薄く儚く見えた。

 蒼はぼんやり顔の倫祐の前に立ち、小首を傾げて退室を促す。倫祐はぼんやり気味の蒼を一瞬だけ見据え、足を動かす事で応えた。

「この時間の街は、いつもこんな風ですか?」

 階段を下り、外に出るなり蒼が質問する。人通りはなく、ぼやけた闇の中で建物が息を潜めているような。静かな空気に頷きを落とした倫祐は、いつかの夜を思い出して空を仰いだ。

 蒼は眼鏡に加えて目深に帽子を被ると、城とは逆側に足を進める。

「ついでに少し、散歩していきますから。先に戻って頂いても…」

 言い終わるのも待たずに首を振り、隣に並んだ倫祐に肩を竦めた蒼は、橋のある方角に進路を定めた。

 一見して手ぶらだが、ルビーの中には弓も入っているし、腕も鈍っていないつもりでいるだけに、倫祐の行動を少し不思議に思った蒼は首を回す。すると同じように、倫祐の首も動いた。

 何か言いたそうにするでもなく、どちらかといえば様子を窺うような無表情に、蒼は僅かに笑みを強める。

「大丈夫ですよ」

 呟きに、倫祐は瞬いた。それを流して蒼は問い掛ける。

「あなたは大丈夫ですか?」

 傾けた首とは逆向きに小首を傾げると、倫祐は視線をそらして煙草をくわえた。

「お互いに、そうは見えないみたいですね…」

 頷いたような仕草に肩を竦め、蒼は静かに笑みを溢す。倫祐の目には蒼の微笑が、蒼の目には倫祐の無表情が、うっすらと闇に溶けているように見えた。

 現在地は橋も間近な商店街。もう暫く歩けば、防風壁が見えてくる。緩やかにカーブしたレンガ通りは、昼間とはうってかわって静まり返り、二人の小さな足音をも響かせていた。

 歩きながら倫祐の真意を見抜いた蒼は、躊躇うでもなく本心を提示する。

「僕のやっていることは、果たして正しいのだろうか?と、思いまして」

 不意な呟きに、振り向いた倫祐は口から煙を昇らせながら瞳を細めた。

「沢也くんにこんなことを言ったら怒られてしまいそうですけど…時々どうしても、考えてしまうんですよ」

 月に向けてそう続けると、視界の下方で煙が揺らぐ。

「俺も同じだ」

 煙と一緒に出た言葉に、蒼は内心驚いた。倫祐がどこか申し訳なさそうなのはきっと、向き合う問題の大きさが違いすぎると考えているからだろう。

「目標は見えているのに…その過程が曖昧すぎて、どこに向かっているのか分からなくなってしまう。暗闇の中を歩くのと同じように…」

 蒼は微笑に乗せて囁きながら、倫祐の心情を想像し、自身の想いを曖昧な言葉に直す。

「幸い、僕には仲間がいます。だから多少不確かでも辛うじて歩いていられるんだと、常々思うんですよ」

 蒼のなだらかな声が途切れると、同時に倫祐が頷いた。正面を向いたまま、静かに煙を吸い込んで。吐き出す間際に、もう一度。

 その仕草に安堵を覚えた蒼は、静けさを打ち破るように息を吐く。透明な溜め息は、そのまま月のある場所へと昇っていった。

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