cp20 [雛鳥]③


 ティーカップを手に、多少冷めた紅茶に口を付ける彼女の横を通って席に戻った蒼は、促すでもなく笑顔を傾ける。

 雛乃は視線に気付かぬふりでもするように、しばらくの間紅茶とブラウニーを味わっていた。伏せた瞳に長い睫毛の影が落ちて、反省の色を添えているように見える。

 蒼は自らも紅茶を飲みながら、刻々と変化する空気を観察していた。不意にカタリと音がして、雛乃の手が膝の上に収まる。

「…私はただ、仕返しをしようと…」

「仕返し、ですか」

 か細い声を拾い上げ、復唱した蒼は微笑を強めて質問した。

「あなたはこのトランプがどういったものなのか、ご存知なのですね」

「勿論です…そうでなければ、そのようなもの…」

「ということは…こういったアイテムの裏取引が行われているのも知っていたと」

「…はい」

「仕返しとは?」

「…私の家は、他に比べて…その…」

「資産が少ない」

「…そうです。ですから、父も兄も…他より努力しなければなりません。それなのに…」

 言葉を切り、雛乃は掌を握り締める。小刻みに震えていたそれは、俯く彼女が再び口を開くと収まった。

「…それは…それを盗んだのは、父や兄を貶めた人物に対する、復讐のためです」

「その人物の名は?」

「残念ながら、分かりません」

 躊躇いがちな回答。膝を見詰めたままだった雛乃の顔が上がる。

「私はただ、執事が調べ上げた人物から、トランプを盗み出しただけなんです」

 すがるような眼差しは、数秒間蒼と向き合った。変わらぬ微笑を前に諦めたのか、彼女は首を回して声を落とす。

「執事は死にました…その男に殺されたのです」

 蒼は何も言わなかった。表情すら変える気配もない。雛乃は震える声で問い掛ける。

「悪足掻きだと笑いますか?」

「いいえ」

「惨めだと同情なさいますか?」

「いいえ」

 どちらも否定されて安心したように、彼女はまた蒼に向き直った。目の前にあるのは先と変わらぬ微笑であるにも関わらず、雛乃は肩の力を抜く。彼女の口元は僅かに微笑んでいた。

 蒼は彼女の気の緩みを認識し、紙を滑らせる。

「トランプを売り捌いていた人物の特徴を、覚えていらっしゃいますか?」

「忘れもしません」

 頷いた雛乃はペンを手に、覚えているだけの情報を書き込んでいく。外見的特徴、呼び名、扱っている品物、活動拠点…それから、トランプを盗んだ現場、奪われた車のナンバーと特徴。

 すらすらと書き連ねる彼女の手を見据えながら、蒼は次の質問を考える。それは当たり前に犯行の詳細だったが、実際に聞いてみるとどうにも要領を得なかった。

 だからこそ。蒼は納得し、首肯する。雛乃はその仕草をどう解釈したのか、安心したようにため息を漏らした。

「あとはこちらにお任せ下さい」

 蒼は言い残し、メモを手に立ち上がる。雛乃も腰を上げ、彼を呼び止めた。

「陛下…」

 差し出されたのは、契約書。蒼は微笑んで、当たり前のように流す。

「お送りしましょう」

「あの…これは…」

「もう一度よく、検討された方が宜しいかと」

 扉に向かう背中に駆け寄ってまで問う雛乃に、蒼は微量の感情を籠めて呟いた。

「僕はあなたの想像しているような人間ではありませんから」

 それを聞いても、雛乃は気付かない。

 彼の本心にも、彼の感情にも。

 理由は簡単。簡単過ぎて、ため息すら出ぬほどに。


 城門まで送り届けると、来たときと同じように、雛乃は車の後部座席に乗って帰っていった。どことなく不服そうな彼女を見送る蒼の横顔を、門番二人が横目に見据える。

「なにか変わったことはありましたか?」

 不意に振り向いた蒼の質問に、内心驚きながらも顔には出さず、背筋を伸ばした正宗が素早く回答した。

「いえ、これといって…」

「これといわなければありそうですね?」

 困った微笑に図星を突かれ、同じく困った笑顔を傾げた正宗に、茂達から助け船が入る。

「ご報告というよりは、詮索になってしまうかもしれませんが」

「構いませんよ」

 さらりと返され、咳払いで焦りを払った茂達が正宗に横目で合図した。

「そうですか…では…まず一つ」

 正宗は頷き、城の脇を示して話す。

「そちらに待機していた運転手。どうやら最近雇われたばかりのようで、聞いてもいないことをべらべらと喋りました。尤も、世間話程度だったんですが…」

「給料が安い、人使いが荒い、自分はお嬢様の子守りをするために運転手をしているわけではない、この前リリスに行かされた時も同じように待たされた、それから大きな屋敷に行った時も、随分長く待たされた。しかも待たせるときは全て屋外だと、世間話というよりはほとんど愚痴でしたが」

 言葉を濁した正宗に変わって、茂達が覚えている限りを簡単に説明した。尤も彼の覚えている限りとは、それすなわち会話の全容に変わりはないのだが。

 蒼は二人の声が切れるのを待って、言葉の一つを拾い上げる。

「屋敷、ですか」

 促されたと受け取った正宗が、中空に向けて回答した。

「なんでも、所謂上司にあたる貴族の屋敷だとか」

「小耳に挟んだだけで確証はないが、つるばみという名らしいと話していました」

「貴族の家には表札がないんだと、なぜだか自慢気に語ってくれましたよ」

 正宗の皮肉に苦笑して、肩を竦めた蒼は人差し指を空に向ける。

「まず一つ、という事は…二つ目もあるんですか?」

「こちらは憶測と推測と詮索ですんで、あまり言いたくはないんですが…」

 正宗の前置きに、蒼は頷いて先を促す。彼は渋々というよりは、躊躇いがちに口を開いた。

「その…随分とお帰りが早いんですね?」

「はい」

「彼女は…先日お見合いにいらした方、ですよね?」

 茂達の遠慮がちな問いを聞き、蒼は早々に納得した。

「どうやら、心配をおかけしてしまったようですね」

 普段通りに振る舞っているつもりでも、分かる人には分かるものだと。穏やかに笑う蒼に、茂達が深く頭を下げる。

「失礼を…」

「そんなことはありません。頭を上げてください」

 結局揃って謝罪する二人をどうにか宥め、蒼は話の種を蒔いた。

「ご心配には及びませんよ。どのみち僕と彼女では、噛み合いませんから」

 それはせめてもの謝罪として。二人の憶測を解決に導く言葉として。いや、単に愚痴が溢れただけかもしれない。

 蒼は頭の片隅で発言の動機を考えるが、答えは出ず。敬礼する二人の表情が、見合いの失敗を嘆くどころか、安心したように緩んだことに密かに感謝した。

 門を潜り、いつものように城を目指す。短い道程で、また彼を呼ぶ声があった。

 蒼は振り向き、笑顔を微量沈ませる。ゆっくりと歩み寄り、屈みながら草の上で跳ねる雛に囁いた。

「駄目ですよ、僕に頼ってばかりでは。自分の力で飛んで下さい」

 諭しても、楽しそうに踊るばかりで飛ぶ気配のない雛を指先でつつき、両手で掬い上げる。

「姉さんも心配しているんですよ?このままではあなたが…」

 自分の力で生きていけなくなってしまうと。

 手の中で、目の前で、小首を傾げておどける小さな生き物に。蒼は続きを告げることなく両腕を伸ばした。

 あと少しで巣に届きそうな距離を、雛はじっと見据えるだけ。飛び移るどころか、蒼を振り向き催促する始末。

「困った方ですね…」

 蒼は呟き、爪先を立てる。

 あと数十センチ、あと十数センチ、あと数センチ…蒼が目一杯体を伸ばすと、雛はどうにか羽ばたいて巣の中にダイブした。

 転がった体を立て直した雛が、顔を出したことを見届けて、蒼は微笑を緩ませる。

 複雑な笑顔を見送る雛は、高く小さな声で鳴いた。


 また明日、また明日…と

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