cp20 [雛鳥]②


 城門を抜け、来客を先導する蒼を左側から呼ぶ声があった。振り向くと、芝生の上で身をよじる雛鳥の姿がある。

 蒼は雛乃に断って、鳥の体を掬い上げた。その様子を後ろから眺めていた雛乃が、恐る恐るといった感じに問い掛ける。

「怪我を…?」

「はい、他の子は既に巣立ち、親鳥も離れ、取り残されたところを発見しまして」

 蒼は雛を巣に戻しながら簡潔に説明した。枝を支えに幹に足を掛け、巣が見える位置まで頭を持ち上げる彼を見上げながら、彼女は控えめに呟く。

「お優しいんですね」

「そうでしょうか?」

 着地して、蒼は小さく肩を竦めた。

 進行を再開する彼の背中に雛乃が続く。歩調を緩めた蒼の横顔を斜め後ろから見上げ、並ぶことのないよう速度を調整しながら、彼女は柔らかく笑みを浮かべた。そして世間話程度に質問する。

「鳥が…動物がお好きなのですね?」

「はい、そうですね。どちらかといえば」

「私も、その…好きなんですよ」

「生き物が、ですか?」

「はい」

 頷く雛乃を振り向いた蒼は、表情を変えずに聞いた。

「何故ですか?」

「可愛らしいからです」

「そうですか」

 笑みを強めて言ったきり、前を向いてしまう蒼に彼女は続ける。

「…家で、犬を飼っています」

「散歩には行かれますか?」

「…いいえ?私は、行きません。世話は係の者がしますから」

「ああ、成る程…それは失礼」

 不思議そうな返答に頷いて、蒼は密かに苦笑した。それに気付かず、雛乃は犬の話を続けたが、彼女は元より口下手なため、そうそう話さぬうちに王座の間に着いてしまう。

 蒼は先に雛乃を中に通し、自分も入室して静かに扉を閉めた。見合いの時と同じように、中央付近にソファーとローテーブルのセットが並べられている。予め用意しておいたティーセットが、カバーを被せられたまま待機していた。

 促すと、雛乃は頷いてゆっくりと腰を下ろす。蒼はティーポットにお湯を注ぎ、クッキーとブラウニーを皿に取り分けた。

 彼の動きを呆然と注視していた彼女が、目の前に皿が置かれて我に返るまでを見届けて、蒼も席に付く。

 雛乃は紅茶がティーカップに注がれるのを待って、懐から封筒を取り出した。

「契約書です」

 微笑を浮かべる彼女を制するように、蒼は紅茶の入ったカップを手に、逆の手で人差し指を回す。

「その前に。一つだけ確認させてください」

 宣言に瞬いて、首肯した雛乃は封筒に乗せていた手を引っ込めた。

 蒼は勿体振るようにカップを傾けて、音も立てずにそれを置き。人差し指に嵌めた指輪から品物を出して提示する。

「このトランプに、見覚えは?」

 テーブルに乗せられたそれを見て、雛乃の顔色が確かに変わった。目を見開いて、息をのみ。それでも彼女は否定する。

「いいえ…」

 呟いて顔をそらした雛乃に対し、蒼は笑顔を崩さず紅茶を持ち上げた。ゆっくりと味わって、ゆっくりと口にする。

「うちの近衛隊長があなたの声を聞いた、と証言しています」

 柔らかい笑顔はあどけなく。しかし鋭さを持って雛乃を見据えていた。彼女は横目にそれを認めると、俯き気味に答えを返す。

「聞き間違いではないですか?」

「そうですか。それでは、きちんとした証人をお呼びしましょうか?」

「私ではありません」

 素早い切り返しに、雛乃は思わず声を荒げた。それでも蒼は微笑を浮かべたまま、悠長に紅茶を啜っている。

 温度差に戸惑って、瞳を泳がせて。彼女は蒼の目を見ないまま問い掛けた。

「陛下には、私が盗人に見えるのですね…?」

 儚い声に、首が傾く。蒼はその過程であっけらかんと問い返した。

「どうしてこれが盗品だと?」

「それは…」

 優しくも鋭い口調に雛乃の言葉が詰まる。みるみるうちに淀んでいく彼女の表情に、彼は変わらず笑顔を注いだ。

 伸ばしていた背筋を前に倒し、僅かに顔を近付けた蒼は、そこではじめて声色を変える。

「正直に、全てを話して頂ければ不問にしましょう」

 低くなった声色での進言を、雛乃の震えた声が繰り返した。

「…全てを、ですか…?」

「はい、正直に。包み隠さず」

 威圧を含んだ微笑に怯えながら、雛乃は静かに唇を噛む。

「もし、嘘がばれてしまった場合は…」

「勿論、それ相応の処分を覚悟して頂きます」

 蒼は言いながらソファーに身を預けた。足を組み、膝の上で指先を組んで答えを待つ。

 その間も表情を窺いながら、しかしなにも読み取ることが出来ずに、雛乃は小さく呟いた。

「…少し、考えさせて下さい」

「構いませんよ」

 蒼が頷くと、彼女は静かに席を立つ。

「どちらへ?」

「…一度家に」

「帰れるとお思いですか?」

 予測はしていたが。

 蒼はクスリと声を漏らすと、念のため扉側に座っていた彼女の後ろに回る。ゆったりとした足取りに合わせて振り向きながら、雛乃は瞳を細く歪ませた。

「…それは強迫ですか?」

「そんな物騒なものではありませんよ。あなたが貴族だとしても、証人…若しくは容疑者であることに変わりはありません。こちらには拘束する権利がある。ただそれだけのことです」

 事務的に捲し立てると、彼女は床を見据えたまま押し黙る。蒼は密かなため息を溢し、短く礼をした。

「お兄様とのご相談は諦めて、ご自身で答えを出して下さい」

 言い終わると、室内には静寂が訪れる。

 外はいつも以上に静かで、喧騒の一つも聞こえてこない。このままでは彼女の心音まで聞こえてしまいそうだと、蒼が密かに思った時。

「話したら…」

 雛乃は顔を上げ、潤んだ瞳で彼を見詰めた。

「話したら、助けて頂けるのですね?」

 その色に、顔には出さなくとも蒼の思考が僅かに揺さぶられる。小さな間を雛乃の言葉が埋めた。

「約束通り…婚約者として…」

「それとこれとは話は別です。婚約は契約書通りに。窃盗に関しては内容次第で目を瞑りましょう」

 懇願にも似たしどろもどろな声を、蒼はばっさり切り捨てる。それでも雛乃はよしとして、ストンとソファに腰を落とした。

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