cp07 [君との距離]①
「大丈夫すか?隊長…」
通り魔を下敷きにしたまま地に伏すのは、帯斗に呆れた眼差しを注がれる義希だ。
「ごめ………ぜ、ぜんりょくで………は、はしっ…たから、息が………」
「おいしいトコ持ってったなぁと思ったら、これですからね…」
「本当に、困った隊長さんだねぇ」
息も絶え絶えに言い訳を呟く彼を尻目に、呻く通り魔に手錠をかけた定一が通行制限解除の指示を出す。
「全く、馬鹿は相変わらずみたいね」
いつも通りの光景に飛んできた小言に、義希が一時停止する。彼は数秒の間を置いて起き上がると、珍しく真顔で振り向いた。
「よかった…」
「なに……」
「無事で、よかった」
有理子の疑問を遮った義希は、そのままの勢いで彼女を抱き寄せる。抵抗の余地も与えられなかった有理子は、義希の心音と周囲から飛んでくる口笛の音をやけに大きく感じながら、荒い息を吸い上げた。
「あのー…」
叫びかけた有理子の勢いを止めたのは、控え目な八雲の呼び掛けだ。
「大丈夫でしたか?八雲さん」
「ええ。私は」
赤面を誤魔化して盛大に義希を突き飛ばした有理子は、服の汚れを払う八雲に駆け寄って覗き込む。
反動で尻餅を付いた義希は、離れていく有理子を見て顔を歪ませた。
酷い。突き飛ばすことないじゃんか、折角助けて…っていうか久々に会ったんに、いや、そもそもあの男誰だよ…………
駆け足にそこまで考えた義希の脳内に、珍しく適切な情報が降りてくる。
カップル
手配書に書かれていた通り魔のターゲットだ。つまり…
「すみません、巻き込んでしまって…」
「あなたも被害者でしょう。それよりも…」
有理子の謝罪に肩を竦め、不安を滲ませる義希を振り向いた八雲は左手を差し出した。
「ありがとうございました。おかげで赴任早々、後味の悪い思いをせずに済みましたよ」
「あ、いや。これが仕事っていうか…へ?ふにん?」
目を白黒させながら八雲の手を取った義希は、困った笑顔の彼に腕を引かれて立ち上がる。
「誤解があるようですね」
八雲が有理子を振り向くと、彼女は不機嫌そうに義希に向き直った。
「こちら、新しく民衆課に配属された八雲さん」
「改めて、はじめまして。あなたが噂の近衛隊長さんですね?」
紹介を受けて顔を合わせた二人は、繋いでいた手をそのまま握手に変える。義希は八雲に上下に振られる右手を挙動不審に眺めて首を倒した。
「噂の?」
ハッとした有理子が八雲の腕を引き、義希を睨む。
「してないしてない、あんたの噂なんてしてないから!」
「まあまあ、有理子さん」
慌てる有理子を宥めた八雲は、一息置いて踵を返した。
「それでは、私は聴取に」
「あ、いえ、それはわたしが…!ほら義希!あんた、わたしの代わりに八雲さん案内してあげて?」
「え?」
八雲を押し戻す有理子の振りに、開けていた口から疑問符を吐き出した義希は、額を押さえる彼女の言葉で全てを悟る。
「今日中に回らないと、次の休みがいつ被るか…」
「…分かった、案内したらいいんだな?」
放っておけば、また今日のように二人で出歩く事になるのだろう。珍しく回転した頭で判断した義希は、再三の念押しに何度も首肯して、帯斗及び定一に続く有理子を見送った。
息を付く彼の背後、笑顔で様子を見守っていた八雲は、義希が振り返ると同時に言い分ける。
「心配しないでください。私達はただの上司と部下の間柄ですから」
言い切る彼をポカンと眺め、時間差でハッとした義希は自らの鼻先を指して間抜けな声を出した。
「…えっと、オレ達のこと、知って…?」
「有名ですから」
「ああ、…え?そうなん?」
腑に落ちない様子の義希を置いてけぼりに、八雲は話を繋ぐ。
「早いところ、仲直りして下さいね?」
「……そんなことまで…っ!?」
「有名人の辛いところですよ」
「ああ、うう…ってか、その…有理子、なんか言って……」
口ごもり続ける義希を誘導するように足を進めながら、八雲はうんと一言。
「口では強がっていましたけど」
前置きして振り向いた彼は、真剣な面持ちの義希が付いてきていることを確認すると、笑いを隠すように正面を向く。
「あまり機嫌がいいようには見えなかったですね」
「……そ、か…」
笑いを含んだ相槌に、八雲は思わず義希を振り向いた。
「どうかしました?」
「いや、さ…」
照れているのか、それとも困っているのか。曖昧にはにかんだ彼は、瞬く八雲から人の流れに視線を流す。
「気にもされてないかと思ってたから」
ポツリと呟いた義希の、穏やかな横顔を捉えた八雲は、安心したように小さく息を吐き出した。
二人はそのまま詳しい自己紹介もなしに話に花を咲かせ、目的であった監視塔への挨拶やクレープの試食、更には雑貨屋での買いものに加えて、義希自身も倫祐に頼まれていたおつかいの全てを終わらせる。
すっかり日も暮れた現在、義希は買い物袋を両手に抱えた八雲を、丘の手前まで送り届けたところだ。薄闇の向こうに消えていく彼に手を振り返し、情報の放出と吸収でエネルギーを使い果たした体を方向転換する。
最初に浮かんだヤキモチはどこへやら。喋り倒した二人はすっかり意気投合して、連絡先まで交換したとかしないとか。有理子や沢也に知られたら、さぞかし呆れられるだろうと思いつつ、重くも軽い足取りで帰路に付く彼の頬を打ったのは、予報通りの雨粒だった。
「うっげ…降ってきちゃったか…」
最初はパラパラと、しかし次第に強くなる雨足は、義希が走るスピードよりも早く土砂降りを連れてくる。
家に辿り着くどころか駐屯所にも届かない位置で雨宿りを強いられた彼は、数分間立ち往生した後、雨粒で霞む中に手を振る帯斗の姿を発見した。
義希が佇んでいたキッチン雑貨店の軒先で合流したのは、定一も含む三人だ。
「今帰り?」
「やっと終わったんすよ。取り調べ」
「傘がないなら、駐屯所までいれてあげてもいいけど?」
小首を傾げて二人の返答を聞いていた義希は、定一のやる気ない笑顔に苦笑を返す。
「その代わりになんか手伝わなきゃいけない感じ?」
「その為にわざわざこの最低な視界の中、君を見つけたわけだからね」
「どうせ帰っても暇なんじゃないんすか?折角逮捕に貢献したんですから、最後まで付き合ってくださいよー」
両脇をがっしりと固められ、ぐうの音も出なくなった義希は、仕方なく話に乗っかって駐屯所に出向く事にした。
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