cp06 [File2”D区画・路地裏”]①


 義希がくれあの家から飛び出したのが、午後4時頃のこと。


 そこから時は遡り、時刻は午後2時少し過ぎ。


「この辺りが一番賑わう場所ですね。近くに噴水広場があるから」

 メインストリートの中程を歩く男女のうち、女性が簡単な説明をする。

「本当だ。屋台も出てるみたいですね?」

 噴水広場を遠目に眺め、頷いたのは細身の男性だ。襟足を擽る黒い髪と、優しい印象の眼差しを持つ彼は、辺りを見回しては景色を記憶していく。

「友達情報だと、黄色いワゴンのクレープ屋さんがおいしいとか」

「ふむ。後で時間が余ったら寄ってみましょうか?」

「じゃ、残りの半分、さっさと回っちゃいますか」

 互いに笑顔を浮かべ、並んで広場を横切るのは有理子と八雲。

 彼等は八雲の赴任初日に交わした約束通り、現在城下町の観光案内の最中である。

 仕事中は高い位置に纏める赤髪を下ろし、アネモネの髪飾りを胸に付けた有理子は、慣れた足取りで広場を目指す。それに並ぶ八雲が、うねる黒髪を靡かせながら思い出したように切り出した。

「それにしても、本当によかったんですか?」

「え?なにがですか?」

 唐突な問い掛けに首を傾げた有理子に、八雲の困ったような笑顔が降り注ぐ。

「こうして案内してもらえるのは嬉しいんだけど、聞いた話によると…」

「なにを聞いてきたか知りませんが、わたしはただ街を案内しに来ただけで、やましいことをしているわけじゃありませんから。いいもへったくれもないんです」

 詳細を聞かぬうちに言い切って、有理子は前方に向き直った。心なしか大きくなる歩幅に気付いた八雲の口から、思わず独り言が溢れる。

「その様子だと、噂は本当のようですね?」

「……八雲さん?」

「おっと、失礼。でも早いところ仲直りしておくに越したことはないと思いますが?」

 悪びれない彼は、こめかみを押さえる有理子を見下ろして微かに首を傾げた。

「なんであなたまでがそんなことを…」

「なにを仰いますか。ご自分の人気くらい自覚なさった方が宜しいかと」

「人気……ですか…」

「周りの目がギラギラしていて仕事がやり難いんです。宜しくお願いしますよ」

 深刻そうに聞こえない口振りで釘を指され、有理子は思わずため息をつく。

 八雲が勤める民衆課は、国中から集められる民の書類をチェック、処理する事務専門の部署で、各町村に置かれた役所の一番上のポストに当たる。分野的にも沢也の仕事に一番近い為、沢也自身もちょくちょく出入りしているらしい。

 課長は孝の部下として働いていた元執事が務めており、彼の人柄のせいもあってか比較的おっとりした人種が多い。それ故に、周りの目がギラギラしているとは……有理子的にも信じ難い話である。

「あ、その感じは……もしかして信じてない?」

 訝しげな顔を覗き込むようにして呟く八雲を、有理子は膨れて見上げた。

「当たり前です」

「ギラギラする理由は、なにもあなたを狙っているだけではないんと思うんですけど」

「誰がそんなことを言いましたか。心配してくれてるんだろうな、とは思ってましたけど」

「それなら、やはり早期的に解決して欲しいです」

「それが出来たらどれだけ楽か…」

「このままだと、誰かしらがあなたのお相手を襲撃しかねませんよ」

「彼等がそんな過激なことするわけないじゃないですか」

「大人しい人ほど、怒ると怖いって。よく言いません?」

「……それは、そうですけど」

 唸る有理子を横目に、八雲は広場の入り口に到達すると、中央を占拠する5段重ねの噴水がしぶきを上げる。

 ここが噴水広場と呼ばれる城下町の中心部だ。メインストリートを軸に南通りや倉庫街に繋がる道など、全てが交わるその場所には日替わりで即席の屋台が並んでいた。

 屋台の種類は様々で、クレープ屋をはじめとする食品関連や、風船売りに靴の修理屋まで、多様な業種が入り乱れている。島外からやってくる商人のキャンピングカーや荷車などの大型屋台は勿論、シートを敷いて商品を並べただけの簡素な店など、形までもが個性的だ。時には大道芸や紙芝居などもあり、商店街とは別の意味で賑やかな空間である。

 出店許可も民衆課の管轄だ。八雲は横切る間に雰囲気を飲み込んで、広場を出ると話の軌道を戻した。

「そもそも、なぜケンカなんか?」

「そもそも、喧嘩しているわけじゃありませんし」

 つんとした有理子の横顔からなにかを察した八雲は、小さく間を置いて。

「浮気でもされましたか」

 言いにくい事を躊躇いもなく呟いた。面食らった有理子は悔し紛れに喰ってかかる。

「そんなこと、知りません」

「冗談ですよ、怒らないで下さい」

「別に怒ってなんかいませんし」

「……もしかして図星ですか?」

「……痛いところついてきますよね、八雲さんって。っていうか、普通言いますか?そういうこと」

「すみません、思ったことは口を突いて出ていくタイプなもので」

「羨ましい限りです」

 穏やかな印象から蒼に似ているかもしれないと予測したのが間違いだった。有理子は心の片隅で呟きながら、隠しきれずに溜め息を溢す。

 八雲は有理子の憂鬱など気にもとめず、既に街の景色に意識を移していた。瞳に影を落とし、有理子はぽつりと問い掛ける。

「それより八雲さんの方こそ、いいんですか?」

「なにがです?」

「わたしに案内されたりして」

 八雲は有理子の含みのある言葉にも動じず、素早く一つ頷いた。

「それは勿論光栄ですよ。私には甲斐性というものがありませんから」

「特定のお相手はいないんですか?」

「いたら今頃はその子とケンカになってますって。こんな美人さんと並んで歩いてるわけですし」

 掌で自らを示された有理子は、沈黙で発言に抗議する。

「呆れないで下さいよ」

 両手の平を空に向けた八雲に盛大なため息を浴びせ。有理子は力なく呟いた。

「呆れたっていうか…思ったよりおしゃべりなんですね」

「よく言われます」

 臆面もなく笑って首肯した彼に苦笑して、有理子はぴたりと足を止める。

「それより、ここが鑑定所ですよ?仕事でもよく使いますから、しっかり覚えて下さいね」

「随分離れた位置にあるんですね」

「郵便の集積所はもう少し手前にもあるんですけど、民衆課は書類の関係でここに来ることの方が多いんですよ」

 休日にも関わらず、染み付いた仕事モードで建物に誘導した彼女は、文句も言わず続く彼と二人、忙しなく開閉される戸を潜った。



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