cp05 [蚊帳の外]③


「それにしても、やっぱ不思議っつーか、なんつーか…うん、凄いよなぁ」

 好奇心を向けられたくれあは、手元のきな粉棒で笑みを隠す。義希は椅子に座り直し、宙に向けて独り言を続行した。

「男の子かな?女の子かな?いやー、やっぱ楽しみだなぁ」

「あら、海羽や有理子ちゃんから聞いてない?お…」

「うわぁあぁあ待て待て、言うなって!小太郎と一緒に楽しみに取っとくからさ…」

 慌てぶりに驚いたくれあは、数回の瞬きの後に全てを察する。実は小太郎は、産まれてからのおたのしみ…と性別を聞かずにいるのだ。

「もしかして、黙ってられる自信ない、とか?」

「だって、間違って口走ってみ?小太郎に一生恨まれそう…」

「あははは、そっか。そうだよね?」

 義希がうっかり口走らなかったら奇跡である。怒る小太郎と謝り倒す義希を想像して一頻り笑ったくれあは、眉を下げて頭をかく義希に頷いた。

「さっきはああ言ったけど。ほんとはね、寂しいのよ」

 笑いの延長線上で呟かれた一言は、義希の表情を複雑に変える。くれあは冷めかけた湯呑みを両手で包み、その中に落とすように言葉を繋いだ。

「だからっていっつも構ってもらうわけにもいかないでしょ?みんな苦しいの、分かってるのよ。だから、余計にね…」

「うん…うん、わかるよ…」

「自分で新しい友達作ってみようかとも思ったんだけど、この通り、この性格だからね」

 おどける彼女に何度も頷いていた義希は、首の動きを止めて苦笑する。くれあは小さく肩を竦めると、同じく苦笑混じりに舌を出した。

「昔から小太郎と二人だけで過ごしてきたから、今更どうしていいか、よくわからなくって」

 困惑が滲むため息の後、彼女は哀しそうな彼に曖昧な笑みを向ける。

「ごめんなさいね。なんだか義希くんには不思議と話せちゃうの」

「いやいや、いーって。昔からよくみんなにそう言われるし。ってか、聞けてよかった」

 一転して安心したように笑う義希は、片手を振りながら緑茶に手を伸ばした。くれあもくれあで笑顔のまま、手に掴んだままだった湯呑みに口を付ける。

「みんなには言わないでね?」

「分かってるよ。絶対言わない」

「ありがと」

 二人向き合った微笑を頷かせ、変わりはじめた外の色を振り向きながらホッと息を付いた。

「今度はさ、沙梨菜も連れて来るよ」

「うん、是非。出来れば有理子ちゃんにも会いたいな?」

「うっ…あ、あーそのうち、な?」

「まだ仲直りしてないの?」

「別に、喧嘩してるわけじゃ…」

「じゃあ、どうして?」

 ハッキリしない言い分けを並べていた義希は、くれあの厳しい眼光に負けて、耳たぶを弄くりながら重い口を割る。

「さっきも言ったけどさ、オレ…くれあが今言ったこと、凄い分かるんだ。上手く言葉にできないんだけど、ほんと、なんていうか…」

 急速に乾いていく口をお茶で潤した彼は、目の前で話の続きを待つ彼女の圧力をかわすように、一息に吐き出した。

「オレは、ほら。くれあよりもっと手が出しやすい位置にいるはずなのに、なんにもできないっていうか…むしろ頭が悪すぎてなにがなんだかよくわかってないくらいだし」

 俯くと、握りしめた湯呑みがいつの間にか空になっている。

「そのくせ仲間外れみたいになっちゃうのも寂しくて、だけど遊びじゃない…仕事なわけだし。みんな忙しいしさ…だからこそみんなにはこんなこと言えなくて…」

 徐々になくなる勢い、最後にはため息まで付いて。それでも義希は無理矢理笑顔を作る。

「分かってるのにな。みんなが頑張ってるってさ…」

 乾いた口から乾いた笑いを漏らした彼に、歪んだ笑みを返していたくれあは。

「分かってるからこそ、か…」

 呟いて席を立つと、冷蔵庫から紫色のジュースを出す。

「ねぇ、義希くん」

 彼女はグラスにジュースを注ぎ、質問と同時に差し出した。

「義希くんも、今忙しいのよね?」

「ん?うん、まぁな…」

 受け取った硝子のコップから口の中に液体を流し込んだ義希は、味わってはじめてそれがグレープジュースだと認識する。綺麗に飲み干したグラスと共に前方に直れば、くれあの真顔と目があった。

「私がもっと遊びに来てほしいって言ったら、迷惑?」

「いや、むしろ嬉しいよ。頼ってもらえて」

「でしょう?」

 答えを聞くなり、景気よく笑うくれあに面食らった義希は大口を開ける。

「くれあさん…?」

「私達、難しく考えすぎてたのかもね」

 目尻に溜まった笑い涙を払い、椅子に身を預けた彼女は、呆ける義希に笑顔を向けた。

「もっと甘えていいのよ。みんな、それくらいで怒ったりしないもの」

 穏やかな声に告げられて、言葉の意味を飲み込んだ義希は、数秒後にくれあと同じような笑みを浮かべる。

 笑顔を向き合わせた二人は、数秒後には堰を切ったように笑いはじめた。楽し気な声が綺麗な部屋に絶え間なく響き渡る。


 その明るさに水を差したのは、義希のジャケットに仕舞われていた携帯電話だ。

 義希は鳴り響くそれを眺めて躊躇する。表示されているのが、仕事中の筈の帯斗の名前だったから。

「気にしないでいいから、早く出なさいな」

 くれあの進言に甘えて、頷いた義希は通話のボタンを押した。

「もしもし」

「隊長!大変です!有理子さんが…」

 繋がるなり耳に飛び込んできた聞き慣れた名前。解析するまでに数秒もかかったのは、帯斗の口から出るとは考えられなかったから。

「っ………へ?帯斗、おま…な、なんで…」

「早く来てください!Dブロックにある花屋の前ですから」

「なん…え?有理子が、どうしたん?」

 口ごもる義希に構わず続ける様子から、急を要することも、ただ事ではないかもしれないとも理解していながら、混乱する義希は電話片手に様々な仕草を繰り返す。

 しかし直後。動きを止めた彼は、困り顔を溶かすように真顔に変化させた。

「すぐ行く」

 通信を切り、振り向いた義希にくれあの笑顔が頷く。

「いい顔になったわね」

「悪い、くれあ…」

「また遊びにいらっしゃいな。いつでも待ってるから」

「ありがとう」

 微笑を残して駆けていく義希から、有理子への心配を感じて安堵したくれあは、窓越しに彼を見送った。

「いってらっしゃい」

 その声が聞こえたかのように、一瞬だけ振り向いた義希の表情は酷く真剣だった。



 人通りの少ない道を選んで駆け抜ける義希の耳には、帯斗が最後に告げた言葉が張り付いて離れなかった。


「有理子さんが、通り魔事件に巻き込まれて…」


 風を切る音もなく、頭の中に木霊する情報と心の声が不協和音を生み出す。

「無事でいてくれよ…有理子…っ」

 不安に駆られて走り抜ける彼を、道行く人々が不安そうに見送った。

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