cp05 [蚊帳の外]②


 途中、駄菓子屋で仕入れたきな粉棒片手にぼんやりと見上げた空は、分厚い雲が織り成す鉛色。今にも雨が降りそうな気がするが、予報では夜までこの状態が続くらしい。

「帰りまで降らないでくれよー?」

 空に呟いた義希は、小太郎の家の前で立ち止まり、インターフォンを押した。

 遠くでチャイムが鳴り響く。合わせて足音が、ややあって目の前のマイクが雑音をたてはじめた。

「義希くん?待ってて、今開けるから」

 くれあは早口に伝えると、マイクを切って玄関口に向かったようだ。扉の奥から微かに物音が聞こえてくる。

 義希は庭先の小さな門を潜ると、テンポ良く石畳を踏んで玄関前まで足を進めた。彼が扉の手前に辿り着くと同時にくれあが顔を出す。

「いらっしゃい」

「よっ!悪いな、突然」

「いいのよ。どうせ昼間は暇だから。上がっていく?」

「お?まじで?お邪魔していいん?」

「大丈夫よ。義希くんだもの」

 言いながら戸を開き直すくれあに代わり、ゆっくりとノブを引いた義希は玄関をぐるりと見渡した。

 ランプの光に照らされてオレンジ色に染まる壁紙には、縦ストライプに添って花柄が浮かんでいる。靴箱の上に飾られた写真立て中には、暑苦しいバカップルが写り込んでいた。

「おじゃましまー。あ、これおみやげー」

「あらありがとう。ふふ、これなら緑茶がいいかな?」

 頬を緩ませながら靴を脱ぐ義希が差し出した袋を確認したくれあは、その真意を見抜いて顔を綻ばせる。リビングキッチンに通された義希は、ダイニングテーブルの手前で足を止めて窓を見据えた。

 成る程、全面硝子張りのここからなら、入り口がよく見える。誰かがインターフォンの前に立てばすぐに気が付くだろう。

「凄いでしょう?マジックミラー」

「ああ、それであっちからは見えないのか!」

「そうよ?こっちに移してからね、硝子だけ張り替えたのよ」

 電気ポットから急須にお湯を注ぎ、湯呑み茶碗二つと共に盆に乗せたくれあは、手を出しかけた義希を制してゆったりとテーブルまでやってきた。

 二人向かい合って席に付き、駄菓子を茶請けに温かい緑茶を啜る。

 曇り空にも関わらず、室内よりも明るい外からの光を受けて、フローリングの床とラベンダー色の絨毯が鈍く輝いて見えた。

「まさかこんなに早く来てくれるなんて思わなかったな」

 お茶の表面に息を吹き掛ける合間、ぽつりと呟かれたくれあの一言に義希の眉が下がる。

「うん、まぁ」

 頷きながら彼が横目に捉えたのは、複数の雑誌や新聞、パズルや縫い物…そして、綺麗すぎる室内だ。

「やっぱり、寂しいよな?家に独りじゃ」

「そうね。それなりに」

 図星を付かれたからか、苦笑を浮かべつつ首肯したくれあは、寂しげに笑う義希を見て彼が今日訪れた理由を悟った。

「なるべく小太郎が早く帰れるようにしてやりたいんだけど…」

「やだなぁ、分かってるわよ。難しいってことくらい」

 強がる彼女に曖昧に微笑んだ義希は、作りかけの小さな手袋に手を伸ばして軽くつつく。柔らかく、温かい感触が妙に指先に残った。

「それよりも…」

 くれあは言いかけて口をつぐむが、義希のあどけない瞬きに負けて言葉を溢す。

「なんていうか、ちょっとだけ蚊帳の外っていうか…」

 遠くに飛ばされたような声は、それでも確かに義希の元へ届いた。

「ああ、分かるよ。オレも戻ったばっかだし、そんな感じ」

「でも義希くんはもう現場復帰してるでしょう?立派に蚊帳の中に入ってるじゃない」

 困ったような、焦ったような、微妙な色で漂う感情が場を支配していく。義希は微妙な表情で頷いた。

「そりゃあ、なんもしないわけにはいかないし。頑張ってはいるつもりだけど…」

「それだけで十分立派よ。それに比べて、私は…」

「なに…?なんでそこで凹むん?」

 盛大に落ちたため息に身を乗り出す彼に、くれあは苦し気に真意を告げる。

「みんながあんなに頑張ってるのに、なにも出来ないのがもどかしくて……」

 胸が跳ねるのが分かった。だからこそ、義希はすぐに返答する。

「くれあ?お前、小太郎にも言われない?今のくれあの仕事は…」

「分かってる。この子の事はちゃんとするし、してるつもり」

「うんうん、ならそれだけで十分立派だって」

「そうなのかな?」

「そうそう。オレなんも分かんないからデリ…デリなんとかがない事言うかもしんないけど…」

「もしかしてデリカシー?」

「そう!そうそう、それな。デリカシー」

 一つ咳払いをし、グダグダになりかけた会話を立て直した義希は、しっかりとくれあを見据えた。

「子供を産むとか、育てるとか、想像しただけでもすっごい大変そうなのに…それをやろうとしてるんだから、やっぱ凄いよ。少なくとも、オレはそう思う」

「うん……ありがとう…」

 小太郎も小太郎で毎日のように気にかけているくらいなのだが、やはり別の手も必要なのだろう。義希はぼんやりと考えながら、自らの手を頷くままに俯いてしまったくれあの頭へと伸ばす。

「大丈夫、きっと上手くいくって。オレもみんなも、楽しみにしてるからさ」

「…ほんとに?」

「そりゃあそうだって。くれあと小太郎の子供だし?他人事じゃないってば」

 テーブル越しに頭を撫でながら義希が朗らかに頷けば、くれあも笑顔になった。こんな時でも涙を見せない彼女の強さと頑なさを再認識した義希は、彼女の腹部とにらめっこするようにして小首を傾げる。

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