cp05 [蚊帳の外]①


 夕暮れ時。

 背丈が不揃いな建物が乱立する大通り。様々な色合いの壁も、足元に模様を描くようにして敷かれた石畳も、この時間帯は一様にオレンジに染まる。

 先程まで雨に降られていたせいもあって、夕焼けがいつも以上に有り難く感じた。道の端々では空を反射する水溜まりが輝いて、賑わう街並みは光に満ちているというのに。

 夕食の匂いに鼻をむずつかせながら家路を急ぐ義希の足取りが、彼の疲労感を最大限に表していた。それでも残業に狩り出されるよりはマシだと一人頷きつつ。遠巻きに見上げた城壁も、街や自身と同じように赤く染まっているのを認識し、不意に寂しくなって歩調を早めた。

 一人暮らしが長かったわりに家事の一つも出来ない義希は、馴染みの商店街で買い込んだ惣菜を抱え、街外れの建物に足を踏み入れる。本島に繋がる橋にほど近い場所に佇む古びた建物が、今の彼の仮住まいだ。

 店舗として使われている一階部分の脇にある入り口を潜ると、左壁に無機質なポストが数個並んでいる。その先にある薄暗いレンガ造りの階段を早足に上りきった義希は、目の前の扉が開いた事で軽く肩を跳ねさせた。

「倫祐!びっくりしたぁ…ってかもしかして、これから仕事行くん?」

 階段に一番近い部屋から顔を出した倫祐は、首元を掻きながら左手を差し伸ばす。ポケットルビーから出たのは、出来立ての肉じゃが入り小鉢…もとい丼だ。

「おぉお!うまそぉ…悪いなぁ、いつも!助かるよ」

 瞳を輝かせる義希が言う通り、倫祐は時折差し入れを持ってくることがある。持ってくるといってもそう顔を合わせられるわけでもないので、何かあった時のためにと交換してある合鍵を使ってのやり取りなのだが。

 倫祐が頼まれごとで忙しい事を義希が知っていたのも、差し入れの器を返しに部屋へ行ったときに事情を聞いたからなのだ。

「あ、そうだ。倫祐、これ渡しとくな」

 義希の大袈裟なリアクションの間に部屋に鍵をかけた倫祐は、体半分振り向く形で義希から一枚の紙を受けとる。

「事務所にも貼ってはあるんだけど、早い方がいいべ?」

 問われて頷く倫祐が早くもポケットルビーに収めたのは、ここ数日城下町を騒がせている通り魔の手配書だ。手配書といっても、ハンター達が流通させていたものとは違い、金額などが提示されているようなものではなく、どちらかといえば注意書きに等しい。

「なかなか捕まんなくてさ、もし見付けたら頼むな」

 なんでも道行く幸せそうなカップルだけを狙った悪質な事件らしく、かく言う義希も帰宅寸前までこの事件の捜査に駆り出されていたわけで。未だハッキリしない事件にもやもやが晴れず、落ち着かない状態だ。

 倫祐は顔の前に右手を立てた義希に再度頷くと、胸ポケットから煙草を取り出し足を進めた。

「まだ忙しいん?」

 問いかけに間髪入れずに頷いた彼は、義希の横をすり抜けて階段を降りて行く。その背中を振り向いて、義希は慌てて付け足した。

「器と食材、明日までには届けるからなー!」

 階下に降りた倫祐の左手が微かに翻ったのを確認し、義希は自室となる隣の部屋の鍵を開ける。

 粗方片付いた室内の中央に置かれた炬燵の上、今しがた買ってきた品物と肉じゃが、預かったメモと数枚の紙幣を乗せた彼は、待ちきれんと言わんばかりに帰宅後にやるべきことを一通り終わらせた。

 台所とも呼び難い設備の引き出しから箸を探しあて、布団の装備されていない炬燵の前で両手を合わせる。

「いただきます」

 そうしてあっという間に半分の食事を胃に収めた義希は、倫祐の肉じゃがに付属されていたメモを眺めてよだれ混じりに独り言を漏らした。

「次は牛丼…いや、すき焼き?肉豆腐も捨てがたい…」

 牛肉、豆腐、玉ねぎ、生姜…綺麗に列なる文字が示すのは食材の名前。つまるところ、彼が今目を通しているのは買い物メモである。

 無口な倫祐が買い物に困るのは昔からの事で、それを義希が肩代わりしはじめたのは、二人揃ってアパートに転がり込んでからのことだ。義希が買い出し、倫祐が調理する。これが二人のギブアンドテイクの形なのだ。

 ここ二ヶ月程、義希は倫祐から頼まれた品プラス、自分が食べたい食材も一緒に購入しては、ついでに調理して貰って英気を養っている。おかげさまで風邪を引くことも仕事の疲れでバテることもなくいられるわけで、たまたまとはいえ倫祐が隣人であることに、義希は心から安心しているのであった。




 そうして日は落ち、月も落ち。




 翌日のお昼前。

「さぁて、せっかく肉屋に行くんだ。ついでに角煮も作ってもらおう!」

 たっぷりと寝坊した義希が意気込んで向かう先は、メインストリートの南側の商店街。

 久々の休日を満喫するように、欠伸混じりで出掛けていく私服の彼を、アパートの管理人でもある一階の理髪店店主が見送った。


 フラりと紛れた人混みで、いつもと違う立場から眺めた大通りの風景は、これ以上になく平和で、のどかで、そして賑やかだ。

 その向こう側に佇む城ですら、平和な光景に溶け込んで、日頃の忙しさが想像も出来ない程に輝いて見える。


 それはきっと、凄く幸せなことだろう。


 そう思うからこそ、義希は自分の中から溢れ出てくる鬱蒼とした感情が許せずにいた。同時に、気付いていながら問題を先伸ばしにしているだけの自分自身を情けなくも思う。

「分かっちゃいるのになぁ…」

「なぁにが分かってるんだ?肉が旨いってことか?」

「そうそう、肉が旨い…って!おっちゃん、いつの間に!?」

「いつの間にって、お前が来たんだろうよ、肉買いに」

 驚く義希に呆れた顔で答えるのは、白髪混じりの肉屋のおじさん。頬を震わせて首を振る彼の様子から、義希はどうやら魂が抜けたまま肉屋の前まで来てしまったらしいことを悟った。

「そう、そうそう!肉、おっちゃん、牛のバラ肉と…あと、角煮に良さそうなの頂戴?」

「へい、まいど!いいの見繕っとくよ」

 バツの悪さを誤魔化すための勢い任せな注文を受けた店主は、人懐っこい笑顔を浮かべる。ホッと息を落とした義希は、俯いた拍子に目に入った透明なケースの中身を見て、数日前の出来事を思い出した。

「…くれあ、元気かな…」

 調理前のそれは若干グロテスクにも見えたが、調理後の匂いや味を想像した彼の思考がヨダレと共に口から流れ出る。

「流石にレバー続きじゃあなぁ…っつーか、折角だから倫祐に何か作って貰って…いや、でも次いつ休みになるかわからんし、その前に産まれちゃったら…ってかいつ産まれるんだっけか?」

 ブツブツと続く独り言、いつものことと微笑ましく眺めながら秤と向き合っていた店主は、唸る義希が不意に顔を上げるのに気付いて首を回した。

「おっちゃん。レバー以外に貧血にきくのってなにかなぁ?」

「そうだなぁ。肉じゃあないけど、きな粉とかオススメだよ」

「まじか!それなら駄菓子屋で買っていけるな」

 目を輝かせる義希に計量を終えた精肉を確認してもらい、パパっと包んで袋に収めた店主は、代金と引き換えに差し出す。

「折角の上肉だ。美味しく食ってやってくれよな」

「任しといて。豚も牛も、生きてたんだ。無駄にはしないさ」

「さすがは近衛隊長さん。分かってるねえ」

「あはは、まあ今日はただの暇人だけどな」

「はは、まぁどっちにしろ、また来てくんな」

「もちろん!あんがとなー」

 カウンター越しに手を振って、受け取った品物をポケットルビーに仕舞い込んだ義希は、その足でくれあの家へと向かった。

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