cp04 [偽物の空]③
王座の間の中央を陣取る長テーブルの隅で、書類と電卓を広げたままため息を漏らすのは、大臣補佐官及び財務課長の有理子である。
背中の中程で切り揃えた赤髪を適当に束ね、頬杖を付く彼女の表情は芳しくない。同じ部屋で仕事を進める沢也や蒼も、顔には出さずとも有理子と似たり寄ったりな心境だ。
僅かながら張り詰めた空気に、扉を開く控え目な音が響く。有理子は忙しなく机の天板を叩いていた指を止めて、勢いよく立ち上がった。
「海羽!早かったのね?」
頷いた海羽は、有理子に歩み寄りながら小首を傾げて報告する。
「うん。あのな、義希に会ったぞ?」
「あら、そう?」
「有理子、最近ちゃんと会ってるか?」
「当たり前じゃない。毎日五月蝿いくらい」
「どこで、会ってるんだ?」
海羽の瞳の中に浮かぶ鋭い光に押し負けて、有理子はサラリと話を逸らした。
「夜にこっそりと。それより海羽、あなたどうして…あの人は?」
「義希が助けてくれたんだ」
「そう…それなら、いいんだけど…大丈夫?」
「大丈夫。だから少しだけ、仕事してくるな」
心配そうな眼差しを交わしながら、曖昧な笑顔で頷き合ってすれ違う2人。有理子は部屋の右奥に消えていく海羽の背中を見送り、ポツリと声を落とす。
「…仕事、か…」
「無理もねえだろ」
ため息のような沢也の一言に振り向いた有理子は、苦笑を浮かべて自らも仕事に戻った。
彼女が反論しないのは、文字通り反論の余地もないほどに、海羽の仕事が進んでいないことを知っているからだ。
彼女が働く魔導課は特殊な部署で、他人が手を貸すにしろ限度がある。もどかしいけど自分が出来る仕事を片付けるのが先だ…結論は出ている筈なのに何度も思考を巡らせてしまうのは、海羽の置かれた立場と、海羽の性格のせいだろうか。
「…優し過ぎるのよ、あの子は…」
「それが彼女の良いところですよ」
有理子が溢した独り言を拾い上げた蒼の視界の片隅で、真っ白な端末が振動した。 ディスプレイが知らせるのはメールの着信だ。
「義希からでしょ?」
内容に軽く目を走らせる彼に、椅子に座り直した有理子が問いかける。彼女は蒼の作った小さな間で全てを悟り、大きく肩を竦めた。
「隠さなくてもいいのよ。なんとなく分かるから」
「口裏合わせのメールですね。つい先程、例の方からかっさらったらしいですよ?」
「メールで伝えるくらいなら、直接来たらいいのに…」
「でもまぁ、あいつにしちゃ上出来だろ」
有理子が口の中で呟いた愚痴と、沢也のため息を掻き消すようにして聞こえてきたのは、広い城の中にもよく通る声。それは確実にこちらに近付いているが、その速度はまるで獲物を追い詰めるようにゆっくりだ。恐らく彼は、海羽がどこで何をしているか理解しながら、敢えてそう振る舞っているのだろう。
それは、そう。王座の間にいる彼等へのあてつけとして。
扉の向こう側で小さく響いた咳払いを皮切りに、あからさまな苦情がはじまる。
「どうなってるんですか、あなたのところの近衛隊長は」
扉を開くや否や切り出した男は、身に纏う淡いグレーのスーツをぐいっと前に引っ張った。
彼は代々続く名家の長男で、その口ぶりや身形だけなら立派な貴族に見えるだろう。
しかし、それは彼を知らない人間の評価であって、蒼や沢也のように素性を調べつくした人間には意味がない。
ガッチリと固めた茶髪を撫で付けて、どちらかと言えば濃い顔立ちで凄みを利かせた秀は、王座の前まで歩を進めると、動揺するどころか仕事から手を離さない三人に鼻息荒く足を鳴らす。
蒼は笑顔で彼を迎えると、書類片手に言葉を並べた。
「すみません、急用が入ったので呼び戻して頂いたんですよ」
「それにしてもやり方が無礼でしょう。あんな野蛮な連れ去り方がありますか?」
「ゆっくり説明している場合ではなかったものですから。非礼はこちらでお詫びします」
「部下の躾くらい、まともにやって頂きたいものですね。おっと、そもそも政治すらまともにできないあなた方には無理な話でしたかね?」
わざとらしい嫌みに眉を顰めることすらせず、笑顔を傾けた蒼が口を開きかけた時、視界の左端で気配が動く。それは側面の扉が開く音と共に、全員に認識された。
「あの、すみません、お待たせしました」
「海羽さん!大丈夫ですか?怪我などしていませんよね?」
薄く笑みを浮かべたまま頭を下げた海羽は、張り付かんばかりの秀を連れて足早に外に向かった。
2人の気配が遠のくと、再び張り詰めた空気が部屋に充満する。抑えようにも抑えきれない溜息が、重なって部屋に落ちた。
なぜ彼等は秀の横暴を見守るだけなのか。それは先に述べたように、彼が「名家の長男」であることが関係している。
簡潔に言えば、厄介なのは彼自身ではなく、父親やその周辺の貴族達だということ。蒼や沢也が相手にするべきなのは、寧ろそちらなのだ。
だからといって秀の機嫌を損ねれば、それはそれで面倒なことになるわけで。とりあえずの応急処置として海羽が彼の厄介払いを引き受けた……それが2年前の話だ。
秀の性質をよく知る彼女の真意を知る3人は、溜息もそこそこに黙々と目の前の仕事との格闘を再開した。
あの空は偽物だ。
だけど、一枚のガラスを隔てたその先には本物の空が広がっている事を、俺達は知っている。
黒い雲が辺りの光を奪いはじめた。城の最上階にあるのだ、箱庭の内側からもその事実を認識することはできる。
天窓の向こう側に映るそれを、青空の映る透明な壁越しに見上げる一人の黒い妖精。その背後から近寄った3人の妖精が、思考に浸る彼に向けて語りかける。
「もどかしいものですね」
「そうね。そう簡単にうまくいくものじゃないって分かっていても、見ていて辛いわよね」
彼等の真下にある泉に浮かび上がるのは、階下にある王座の間の映像。国の動向が分かるようにと、取り付けられたカメラを監視するのも彼等の役目のうちだ。
扉を潜る海羽が映し出された泉を覗き込む三人に溜息を返し、随分前から空を仰いでいた黒い彼は、久方ぶりに視線を落とした。
「憎むべきはこの力か、それとも…」
「難しいことを考えても仕方がないって、何回言ったら分かるのかな」
掌を見据えて真剣な顔をする黒い妖精の後頭部に、痛烈なツッコミチョップが入る。彼の隣に位置する花の上に腰を下ろした緑の妖精が、不機嫌に短く言葉を零した。
「大丈夫、か」
「結も言ってたけど、海羽ちゃんは嘘は付いていないの」
同じく脳天に一撃入れられた緑の彼は、不貞腐れてみんなに背を向けてしまう。
そうしているうちにも、天井に降り注ぐ雨が立てる音が室内に響きはじめた。それは次第に大きくなって、部屋に流れる小川のせせらぎをかき消していく。
黒い妖精は、溜息を漏らす緑の妖精の頭に手を乗せて空を指差した。外界で生み出される雨が降り注ぐことのない、青空を。
「彼女の大丈夫は、あの空と同じだ。俺達に心配をかけないよう、無理矢理塗り固めた…そんな顔だったろう?」
「うん。その向こう側には、本物の空が広がっているのにね…」
溜息交じりに呟くブラウンの妖精に、同じく茶色を基調としてはいるが、若干淡い色合いの妖精が同意の頷きを返す。同様に頷く緑色の妖精の隣では、桃色の妖精が腕を組み、真剣な眼差しで泉を見下ろしていた。
「早く見付けないといけませんね。解決方法」
「ああ。そうすれば、少なくとも…」
呟く黒につられて、他の4人も空を仰ぐ。
浮かない表情の彼等が見上げる先には、偽物の空が広がるばかり。
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