cp04 [偽物の空]②


 忠犬小太郎から逃がれた義希が進む方角には、メインストリートの中でも高級な店の建ち並ぶ商店街がある。

 その片隅。

 駐屯地から10分程歩いた辺りにある宝石店の前、人の流れに逆らって振り向いたのはぼんやり眼の持ち主だ。

「海羽さん、どうかされましたか?」

 先を行く青年に名を呼ばれ、正面に向き直った彼女は小さく首を振る。

「あ、いえ、なんでもありません」

「そうですか?欲しいものがあったら、どんどん言って下さいね?が、買って差し上げますから」

「その、お気遣いなく…」

「そう言わずに。ささ、行きましょう」

 海羽の機嫌を取らんとする青年の身形は、道行く人々をことごとく振り向かせた。

 容姿淡麗だから。それでだけではない。彼が貴族で、いついかなるときでも、それを隠す素振りがないからだ。

 彼のように全身を高級スーツで固めた人は、見渡す限り見当たらない。目立つのも当然だろう。

 周囲の視線を気にとめるどころか、当たり前だと言わんばかりに背筋を伸ばす彼の手は、海羽の拒否を受け入れようとしてくれない。宝石店に誘導するように手を広げ、自分の移動を待つ男を見上げた海羽は、困ったように笑って呟いた。

「あの、そろそろ仕事に戻らないと…」

「なにを仰いますか。あなた程の方があのような雑務など、する必要はないでしょう」

「いえ、自分にしか出来ない仕事が沢山残ってますので…」

「ああ、海羽さん見てください、あのネックレス。あなたによく似合いそうですよ?」

「あの…」

「そう遠慮なさらずに」

「…いえ、あの…本当に、結構ですから…」

「海羽?」

 ショーウィンドの前で続いていた控え目な押し問答を止めたのは、やはり控え目な呼び掛け。ピタリと言葉を止めた男は、ウィンドウに映り込む金髪を見て体を振り向かせる。

「おや、これはこれは、第一近衛隊長さま」

 含みのある口調に、海羽の肩が微かに震えた。義希は取り繕った笑顔で下手な嘘を並べる。

「えーと、海羽、ちょっと城の方で呼ばれてるらしくて…まぁ、なんで…連れていきますね…?な!じゃ、行くぞ?海羽」

「そんな、困りますよ。勝手を言われては…」

「いえいえ、すぐに終わるんでー」

 悠長に抗議する男を置き去りに、義希は海羽の手を取り一目散に駆け出した。


 二年前。

 憲法作りの過程で制作されたのが、貴族院制度だ。

 財政の厳しい国政に「寄付」という形で協力してくれた貴族に、見返りとして国政に関与する権限を与える。…沢也に言わせれば「政治に口出ししたきゃ、金払えって制度」だ。

 表向きは財政対策としているが、実際は力のつきすぎた貴族勢を懸念する孝の意見が発端となっている。要約すると、夏芽や孝の全面的なバックアップの下、反政府として動く貴族達を抑制しようと上層部が極秘で対策を行っている…それが貴族院制度の裏の顔だ。

 武力行使が難しいと理解した一部の貴族達が、貴族院制度を利用して経済的且つ政治的圧力を行使しはじめたのが、国を設立してから半年ほど経った頃だろうか?その頃から城に入り浸っては海羽にまとわりつく貴族がいて、今も変わらず続いている。

 正直、義希の頭では制度の意味の半分も理解できてはいないし、だからどうなんだと聞かれても答えることはできないが、何故彼女がまとわりつかれているのか。それだけは今までの経験からおおよそ見当を付けることができた。


 妖精の力


 彼が狙っているのは、恐らくそれだろう。



「義希…あの、まっ…」

 どれだけ走っただろうか、頭の中に並んだ情報に気を奪われていた義希は、背後から聞こえてくる息の切れた声にハッとして足を止めた。振り向くと、自分に左手を預けたまま膝に手を付く海羽の背後には、見慣れた穏やかな光景が広がっている。

 義希は海羽の背を支えて路地に移動すると、追っ手に見つからないようにとその身を屈めた。

「悪い…大丈夫か?」

「うん、あの…ありがとう」

 息を整えながら頷く海羽の瞳には、心なしか安堵の色が映っているようにも思える。頭の悪い自分には詳しい事情までは分からないが、今はあの貴族の我が儘に振り回されるしかないのだろうと、義希は海羽や、このことを説明してくれた沢也の様子から読み取って一人密かに頷いた。そして俯く彼女に小さく問いかける。

「…倫祐と、まだ会えてないのか?」

「えと、うん…」

「あいつ、忙しいらしくてさ。だからきっと、そのうち…」

「いや、いいんだ」

「よくはないだろ?だって…」

 だって、帰ってからもう二ヶ月も……言いかけた義希は、海羽の視線が大通りを向いたことで口をつぐんだ。海羽はまだ追い付かれていない事を確認し、小さく言葉を落とす。

「今は、会わない方が…」

「どうして…だって、会いたいんだろ?」

 問うと、彼女は口をきゅっと結んで俯いてしまう。義希にはその仕草がまるで頷いたように見えた。

 でも…と彼は考える。


 自分の願望のようなナニかが働いたからそう見えてしまっただけなのだろうか?

 でも、どうして…やっぱり忙しそうだから?

 だから…いや、もしかしてあの貴族が邪魔している、とか?


 会いたい筈なのに会わないと言い張る彼女を自分と重ねて考え事を煮詰める義希は、悟られぬよう頭を振り、勢いに任せて提案する。

「…とりあえず、城まで行こう?」

「義希も来るのか?」

「いや、オレは仕事があるから…」

「義希も、久しぶりだよな?」

 そう言って顔を上げる海羽の眼差しに押され、思わず視線を逸らした義希は慌てて言い訳を口走る。

「大丈夫、またちゃんと会いに行くから」

「うん、でも、無理はするなよ?」

 予想外の返答に思わず見下ろすと、悲し気な瞳が傾いて、義希の首肯を待っていた。

「…海羽…?」

「ありがとな」

 彼女はただそう言って、義希の返事も待たずに人混みに紛れていく。

 遠く向こうから彼女を呼ぶ声が近付いてくるのに気付いた彼は、その場で海羽の背中を見送ることしかできなくなった。

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