cp04 [偽物の空]①



 あの空は偽物だ。




 一見して本物のようにも見えるかもしれない。

 しかし、よく見れば気付くことができる。

 気付かないのはよっぽどの馬鹿か鈍感か、もしくは重度の近眼くらいだろう。





 通り過ぎる風の匂いは甘く、目に鮮やかな光の影がちらちらと舞い踊る。

 丸く切り取られた透明な空に向かって伸びゆく草花は、宙を漂う虫達と無邪気に戯れているようにも見えた。

 そこは外からはけして見ることのできない、秘密の箱庭。外界から隔離された場所で生活するのは、絶滅を免れた数少ない妖精達だ。

 幾度となく繰り返されてきたを恐れた彼等は、城内に妖精の王国を設立し、人間の王と共同で国に関わっていく事を決断した。それが二年前、大きな事件が解決したあの日のこと。

 お互いが共存していくために必要な数々の問題対策を講じる間、妖精達は種を保持するための休息を取る。それが種族間で最初に決められた約束の一つだ。

 妖精の繁殖は人間と大きく違い、容易ではない。新しい妖精が産まれるためにはいくつか条件があるそうだ。

 一つ、水や植物が豊富で澄んだ環境。一つ、現存する妖精の思念、思想がまっすぐなこと。他にもあるがこれが最低限。あとはひたすら待つだけだ。

 花から産まれる妖精もいれば、鉱物から産まれたり、妖精から妖精が産まれることもあるという。

 とにもかくにも生を受ける条件が曖昧すぎて、人間達は見守ることしかできそうにない。

 話し合いの結果、王座の間の右側にあった「鳥籠の部屋」を改装し、その上に隔離された小さな庭園を作った。

 室内とは思えないほど植物が咲き、小川や泉に蝶が舞っているのは、全て妖精の力あってこそ。天井にあたる半球状の空と、所々に置かれた機械以外は、全てのものが生きている。平和そのものを切り取ったような、それでいて寂しさのある、誰から見ても特別な場所だった。


 

 さて、海羽の仕事場は妖精の庭の真下にある。彼女は魔法関連の書類を片付けながら、時折上階の空調と水の管理をしていた。

 今がまさにその一時で、浄水タンクに水が貯まるまでの間、海羽は空を仰いでいた。恐らく本人にはぼうっとしている自覚すらないだろう。それを証拠に、満杯になったタンクから水が溢れた。

「あ、わ…」

「おいおい、大丈夫か?海羽」

「あ、うん。ごめんなさい…」

「服、濡れませんでしたか?」

「大丈夫。床も…平気みたいだな?」

 集まってくる妖精達に答えながら、特殊な機械の蓋を閉める。そんな海羽の虚ろな表情を見て、一人の妖精が出入り口に立ち塞いだ。

「もう少しゆっくりしていけばいいのにー」

「ごめんな」

 もどかしげな妖精の少女に肩を竦め、海羽は分厚い戸に触れる。

「また、来るから…」

 心配の滲み出る複数の眼差しに微笑んで、彼女はその場を後にした。




 人から隔離された妖精達が外に出られるのは、緊急時と、城門が完全に閉められ人目がなくなる深夜の王座の間だけだ。

 未だ悪魔対策も出来ていない現在、できる限り人との接触を少なくしたいと望むのは、妖精だけでなく国の要人も同じこと。不便を承知で隔離を受け入れた妖精達が快適に過ごせるよう、国は出来る限り彼等の要望を受け入れた。

 その甲斐あってか、海羽だけでなく蒼や沢也にもすっかり馴染んだ妖精達は、移動が出来ない結に会いに来るついでに、明け方まで王座の間に入り浸る事も多くなってきた。

「清浄機、きちんと機能しているようだよ」

「そうか。ならよかった」

 庭園の機械の様子を聞きながら書類を捌く沢也のデスク。その脇にある縦長の窓枠に集合して井戸端会議を開くのは、結を含む小さな6人だ。

「それよりさぁ…海羽ちゃん、大丈夫なのかな…?」

「あの子、ああ見えて芯は強いからね、大丈夫だと思うけど…」

「でもやっぱり会いたい筈ですよ?」

「それなら会いに行けばいい。昼間は無理でも、夜なら問題ないだろう」

「そうだよー!ねぇ、沢也。あの人もこの城に住んでるんでしょ?」

 質問混じりに飛んでくる熱い眼差しに苦笑して、沢也は小さく肩を竦める。

「残念ながら、あいつは城下町」

「でも、それなら行けない距離じゃないよね?」

「どのみち夜勤だからな、今頃仕事してんだろ」

「もう、沢也の意地悪ぅ」

「俺のせいじゃねえ」

「でも本当に、どうして顔を出してくれないんですかね?」

 膨れた4つの顔に笑い声を注ぐのは、王座を挟んだ向こう側に座る蒼だ。彼は眉を下げた妖精達に寂しげな笑みを向けながら、王座が背負う巨大なガラス細工に溜め息を上げる。

「義希くんも倫祐くんも、困ったものです」

 彼の呟きは天井まで伸びる窓が映し出す、夜空の淡い輝きが回収していった。



 その翌日。



 場所も変わってこちらは近衛隊の駐屯地前。路地の入り口でばったり出会した小太郎と義希が、情報交換がてらちょっとした世間話をしている最中だ。

 はっきりしない天候ではあるが、若干ながら注がれる日光が、通りと路地の明暗をくっきりと分けている。義希はその明るさを背に、暗がりで困ったように髪をかきあげる小太郎の質問を受けた。

「そういやお前、鉄面皮見なかったか?」

「倫祐?うんにゃ。今日は見てないなぁ。アパートにも居なかったみたいだし?」

「っつーか、あいつちゃんと仕事してんだろうな?ココにはタイムカード押しに来てるだけで、すぐどっかいっちまうって噂だぜ?」

「ああ、そこは問題なさげ。ほら」

「…夜間の検挙率上がったのはあいつのせいか」

 眉根にシワを寄せて差し出された書類に目を通した小太郎は、舌打ちと共に小さな溜め息を溢す。

 倫祐が国中に散らばった全てのモンスターを倒す旅から帰ったのは、義希の帰還から数日後のこと。

 その日から近衛隊の上司に当たる本隊の隊長に任命された彼ではあるが、実のところまだ本隊の編成はされておらず、実質的に本隊に所属するのは倫祐だけである。

 理由は多々あるが、そもそも第一近衛隊の隊員も、義希が帰還するまでは第二近衛隊の隊員として働いていた者が殆どであり、これ以上分断するのも移動するのも憚れるし、ましてや募集をかけるほどの暇もないのだから仕方ない。

 とにもかくにも、沢也曰くなんとかされるであろう本隊の隊長は、旅をしていた頃と変わらず誰にも行方が分からないわけだ。

 義希は困ったように眉を下げつつ、頭を掻く小太郎に問い返す。

「何か用事?」

「用事っつーか。いい加減、連中にきっちり紹介しねえとよ…あとボスんとこにも連れていったほうがいいべ?」

「まぁ…そうか」

 はっきりしない小太郎の発言から真意を察した義希は、自らも口ごもる事で同意した。

「行き先に心当たりねーのかよ?」

「んー、まぁ。ないことも、ない」

「んだよ」

「あんまおっきい声じゃ言えないんだけどな?」

 義希は手で壁を作ってボソボソと、顔を寄せる小太郎の耳元に情報を落とす。

 どうやら倫祐は沢也か蒼に何か特別な仕事を頼まれているらしく、早朝から深夜まで不規則に活動しており、いつも所在が掴めないが、詳しいことまでは分からないと。義希がそこまで伝えたところで小太郎の口から独り言が溢れた。

「…へえ、一応城には行ったのか。あの無愛想」

「ん?いっつも行ってるんじゃないん?」

「そうだったら、おれ様がこんな苦労せずに済むんだよ」

 すっとんきょうな声を上げる義希に、じりじりと威圧を与えていく小太郎。そのじっとりとした睨みをかわすようにあからさまに視線を逸らした義希は、白々しくも惚けて見せる。

「あれ?そーいうもん?」

「ああそうだ。この前の試合もうやむやにされちまったし、いい加減城に連行しねえとなぁ?お前含め」

「う…あ、小太郎!オレちょっと用事思い出した…」

「逃げんな馬鹿。今日こそまじで連れてく。引きずってでもっ!」

「なんでそんな必死なん!小太郎、別にオレがどーとかあんま気にしてなかったじゃんか」

「おれ様はそうでも、あいつが気にしてんだよっ!」

「へ?あいつ?」

 掴まれた首根っこをほどこうと、無駄と分かっていながらもがいていた義希の疑問を受けた小太郎は、不覚にも僅かな隙を見せてしまった。

「上司命令なんだし、仕方ねぇだろうよ」

 赤くなった顔をそっぽに向ける彼に微笑ましい笑みを注ぎ、義希は一歩後退する。

「…てっきり、くれあかと思った」

「も、勿論くれあもっ…」

「はいはい、分かってる分かってる。んじゃ、パトロールいってきまー」

「おう、行ってこい行ってこい…って!待てコラァ!このおれ様を出し抜こうとは良い度胸して…っあぁぁぁあ!ったく、逃げ足だけは速えんだからよ、あんにゃろ…」

 ノリツッコミの要領を上手いこと利用され、まんまと義希を逃がしてしまった小太郎は、お馬鹿の義希にまで騙された自分の不甲斐なさに呆れこそしなかったものの、疲れがたまっていることだけは確かに自覚した。

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