cp02 [大臣の憂鬱]①
新しい国が設立されてから、早くも二年の月日が流れた。
ここは四方を海に囲まれた島国で、王都は本土に隣接する小島だ。正式名称はチェリーブロッサムだが、国民の間では「桜の国」と呼ばれている。
2年前。崩壊状態にあった王都を再建する際、孤島の広さと環境のせいでそれなりの苦労を強いられたが、それでもたった半年で全てを終えることができたのは、元々の基盤がしっかりしていたのが大きな要因だろう。一から都市を作り上げた歴代の王族に感服し、インフラから書類関連、商業斡旋の仕事まで様々な分野で手を貸してくれた人々に、王となった蒼をはじめとする関係者達は心から感謝し、誓うのだ。
この国をしっかりと支え、末永く繁栄させていくことを。
さて。国を動かす中心となる彼等が働く王都は、本島から伸びる橋を入口に、そこから約3分の2を城下町として整備している。煉瓦作りの建物が並ぶ通りには様々な店が出店されており、復興の最中から連日賑わいを見せていた。
明るい色合いの城下町を抜けて、鮮やかな緑の茂る小高い丘を上った先にあるのが、王を筆頭とした要人が住まう城である。白を基調とした洋風の外観は、シンプルではあるがどことなく気品のある、繊細なデザインを出来る限り再現したものだ。
城を囲う背の高い塀も城壁と同じく真っ白で、丘から続く道の終点には、頑丈な鋼鉄が複雑な模様で門を形成している。それを越えた先には短い中庭があり、緑を踏みしめ足を進めれば、高さ5メートル程の扉に辿り着く。その立派な入り口を潜れば城内だ。
吹き抜けのホールは勿論、殆どの床に敷き詰めら大理石の上には、深い青の絨毯が道を示すように走っている。ただでさえ目を奪われる色彩に加えて、各所に設置された縦長の窓が時刻毎に外の色を映し出す様は、特別な美しさをもたらしていた。
6月某日、とある午後のティータイム。
傾きはじめた太陽が、暖かな光を注ぐ城の一室。眠気を飛ばすようにコーヒーの香りが漂う中。
「本当にいいんですか?こんな裏路地に店を構えても、人が来るとは思えませんが…」
「いいんですよ。それで」
小さく響く落ち着いた会話は、広い城の中でもひときわ目立つ扉の中で行われていた。
奥行きのある部屋の、高い天井に合わせて作られた縦長の細工窓が、惜しげもなく自然光を取り込む。その窓を背景に、入り口の真正面に据えられているのは、絨毯と同色の立派な椅子だ。
王座の間。
誰もが多少なりと堅苦しく感じる場所かもしれない。しかしながら現在は、ただ広いだけの事務室と大差なかった。
なぜなら、会話を交わす彼等が向かい合って座るソファー二組や、間に置かれたローテーブルをはじめ、今にも崩れ落ちそうな程高く積まれた書類の束。それを乗せた深茶のデスク、部屋の中央を我が物顔で陣取る長テーブルなど、本来特別である筈の場所には似つかわしくない日用品が雑多に置かれているからだ。
強いていえば、天井に吊るされたシャンデリアと王座、そして窓の外の風景だけは、日常からかけ離れた特別な存在と呼べるのかもしれないが。
「所詮、金持ちの道楽ですから」
そう言ってコーヒーに口を付けた壮年の男は、景色を横目に微笑んだ。それにつられたのか、正面に腰掛ける沢也の瞳も一瞬だけ窓に向けられる。
「俺は好きですけどね。あなたの淹れるコーヒー」
「それは嬉しい。しかしね…」
言いながら手元のカップに視線を落とす沢也にはにかんで、男はしっかりと窓を振り向いた。
「従業員を雇う気力は、もう残っていないんですよ。だからこそ、人が来ないくらいが…一人で切り盛り出来るくらいが丁度いいんです」
「そうですか。しかしそれではまるで…」
「やはり、分かってしまいますか?いいんですよ。私がそう望んでいるんです」
小高い丘の上に建つ、一般建築より天井の高い建物の三階から見下ろすのは遠く向こう、緑の先に浮かぶ水平線。空と海の曖昧な、しかしハッキリとした境界線に目を細めていた彼は、複雑な表情の沢也を振り向き眉を下げる。
「がっかりしましたか?」
「いえ。あなたがそう決断されたのなら…俺がとやかく言う必要はないでしょう」
ローテーブルに広げた区画図の脇にコーヒーカップをそっと置き、沢也は静かに言葉を繋げた。
「時田さん。あなただって、こんな若造に叱られたい訳では…」
「いや、あなたのことは尊敬してますよ。だから叱られたって構わない。しかし逆に、尊敬しているからこそ…あなたなら、分かってくれるような、そんな気がしたんですよ」
揺れる瞳を揺れるコーヒーの水面に浮かべて、時田は浅く息を付く。
「だからこそ、あなたにお願いしたんです」
微笑を浮かべた彼の瞳が捕らえたのは、沢也の手元に置かれた城下町の区画図。そして店舗内装の設計図だ。傍らに彼自身がデザインした看板のロゴなども見てとれるように、現在二人は新設される喫茶店について話し合っている最中。お互いが口を付けているコーヒーも、商品の一つとして提案されたものだ。
沢也はいつもの曖昧な微笑を返した後、目頭を押さえる時田の囁くような声に耳を傾ける。
「元々、私は人付き合いが苦手なもので。貴族なんて職業…向いてなかったんですよ。社交会だ、パーティーだ、会議だって…毎日毎日付き合わされて、それだけでもうウンザリでしたから」
己を嘲笑うような言葉尻を小さなため息が追いかけた。並べられた資料の全てを一纏めにして、手元で綺麗に揃えた彼は、次に悲しげな笑みを浮かべる。
「しかし、父がそうして稼いでくれたお陰で、私はこの道を選べるわけです。皮肉なものですよね」
時田が語るように、貴族であった彼の父が病気で他界してから、彼は残された数々の問題に頭を抱える日々を過ごしてきた。その過程を見てきた沢也には、黙って苦笑を浮かべることしかできない。
「父の意思は継いであげられませんでしたが」
一方的に話を纏めた時田は、鞄片手に立ち上がり、ソファの脇に避けて沢也に掌を差し出した。
「たまに遊びにいらしてください。コーヒーくらいでしたら、ご馳走しますから」
同じく起立して手を取った沢也に向けられた真剣な眼差しが、実年齢より老けてみえる時田の負った苦労を忠実に表現する。
「彼等のこと、頼みます」
「あなたの下にいた部下だ。心配は無用でしょう」
「ありがとう。大臣」
沢也の首肯に笑みを返し、時田は目深に帽子をかぶった。
片側だけ開いた扉の手前に、深い一礼を残して去っていく彼を見送って。この国の大臣兼参謀である沢也は、一人小さく息を吐いた。
ぽつりと残されたコーヒーカップの中身を飲み干し、書類に埋もれたデスクに歩み寄る。出入り口となる扉側から見れば、王座の丁度右隣に当たる空間に置かれた彼のデスクは、最早デスクと呼び難い状況にまでなっていた。
合間を縫って整理を試みてはいたが、次から次へと増える上に、彼自身片付けが苦手なことも手伝って、山というか棟というか、とにかくうず高く積まれた書類や資料の類いがこれでもかとひしめき合っている。誰が見ても何がどこにあるのかさえ分からない現状はもう何ヵ月…いや、年単位で続いているかもしれない。
それでも特別不便はないと言わんばかりに目的の書類を手に取る沢也は、モノクルを外してデスクの端に置かれていた眼鏡を掛け直す。そうして再三の溜息と共に、そこそこ立派な回転式の椅子に腰掛けた。
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